第12話 絶対者

ヴァルドの胸を、俺の剣が深く貫いた。


紫に濁ったオーラが激しく揺れ、勢いを失って

いく。その瞳はまだ死んでいなかったが、

刃を押し返す力はもう残っていない。

 浅い呼吸。血の泡が唇から零れ落ちる。

 

――終わった。そう思った。

 

勝利を確信したはずなのに、身体の奥が凍りつくように冷たい。

 この男が俺の腕に残した痺れは、決して物理的なものだけではなかった。


「……やったな、新人」

 背後からノルの声。


 血まみれの体で、それでも彼はまっすぐに立っていた。

 だが、その声に勝利の色はなかった。

 戦いの終わりは、虚無感と、重い罪悪感だけを俺に残した。


 俺の手は震えていた。

 このまま力を込めれば、ヴァルドは死ぬ。

 それだけのことだ。

 だが――踏み込めなかった。


 (人を殺す……)

 

その行為が、俺の心に重くのしかかる。

 これまでのゲイル達との戦闘は、相手を戦闘不能にさせるだけで済ましてきた。

 

だが、今回は違う。

ヴァルドを生き残らせれば、必ずまた、誰かが戦い誰かが傷つく。頭では理解している。わかっているのに、心が言うことを聞かない。

 

脳裏に、ゲイルとの会話がよみがえる。


あの夜、訓練の後の焚き火の前。

剣を磨くゲイルに、俺は打ち明けた。


「人を殺すのに、歯止めが効かなくなるのが怖いんだ」

 

ゲイルは長く黙し、火の粉を見つめたまま答えた。その瞳には、俺がまだ知らない、深い闇が宿っていた。


「俺は新人だった頃、守りたいと思った命は

全部守れると思っていた。だが現実は違った。

俺がいくら強くなろうが守れる命には限りが

あり、気づけば、俺の手から多くの命が零れ

落ちていった」

 

声は静かだった。だが、言葉の一つ一つに、血の匂いが混じっているようだった。

 

「だが剣を置けば、もっと多くが死んだだろう。だから、俺は握り続けた」

 その言葉は、俺の持つ剣が、いかに重いものであるかを教えてくれた。

 

そして少し間を置いて、俺をまっすぐに見た。

 

「でも、それでは......」


「歯止めは効かなくなる。だが、それでも俺は“殺すべき敵”と“そうでない敵”を見極める芯だけは残すようにしてる。

それを忘れたら、ただの人殺しになるからな。」


ゲイルは、俺がこれから歩む道の先で待っている、二つの選択を静かに語っていたのだ。

 

俺は、震える手で剣を握り直す。

 ヴァルドの瞳が、俺をじっと見つめている。嘲るような、冷たい眼差しだ。


 今この一撃を躊躇えば、その時きっと後悔する。そうだ。俺は強くなるんだ。守るために、強くなる。スキルを奪うんだ。


「ノル……後は俺にやらせてくれないか」

 

俺の言葉に、ノルはただ頷き、短く言った。


「お前の選択に任せる」

 

俺は剣を振り下ろそうと――した、その瞬間。

 空気が弾けた。

 否、爆ぜた。

 それは、空間そのものが引き裂かれたような、物理法則を無視した衝撃だった。

 視界の端から、黄金の閃光が迫る。

 

――ドォンッ!

 爆音と共に、俺の剣は軽々と弾き飛ばされ、胸に灼けるような痛みが走った。

 

血が喉を満たし、地面に膝をつく。


「ほう......興味深い力だ」


そこに立っていたのは、白髪の男。

 黄金のオーラを纏い、どこか見惚れてしまうほど整った容貌をしていた。

 だがその美しさの奥に潜むのは、息苦しくなるほどの圧迫感。

 

白髪の男は、俺の胸にできた浅い切り傷を、金色の瞳でじっと見つめていた。


俺は、無意識のうちに自己修復を発動させ、裂けた皮膚がゆっくりと繋がっていくの感じる。


男の視線は、その傷口から一瞬たりとも逸れなかった。


「......魔法ではないな、その力」


 

戦術眼を発動する――だが、信じられない。

 ゲイルのオーラはもの凄く巨大だったのに、この男のそれはゲイルを完全に上回っている。

 

俺の心臓が、恐怖で凍りつく。

 動けない。何もできない。

 あの時、ヴェルドと戦っていた俺の全力は、この男にとっては、ただの遊びでしかないだろう。


そして、その整った顔に、わずかな動揺と、深い思索の色が浮かび上がる。


「まさか......あれが、復活したのか」


その言葉は、俺の心臓に直接響くような、重い響きを持っていた。


男は、何かを否定するように、小さく首を横に振


「......いや、そんなわけはない。ありえない」


まるで、俺の能力の正体を知っているかのように

そして、その存在を恐れているかのように。


 **


 男は、まるでそこに何も存在しないかのように、俺の存在を無視し、倒れているヴァルドへと目を向けた。

 その瞳に宿る、底知れぬ無関心と、絶対的な力。

 俺は、初めて本物の絶望を知った。

 

 ――この男は、俺たちを殺すことにすら、何の感情も抱かない。

 

 その時だった。

 ヴァルドへと歩み寄ろうとした男の背後から、一閃の風が吹き荒れる。

 

 ――ギィンッ!

 

 俺の視界の端で、男の背後から伸びた、見慣れた剣が、黄金のオーラを切り裂いた。

 いや、切り裂こうとした――。

 

 男は振り返ることもなく、ただ片腕を背中へ伸ばす。

 その掌が、剣の切っ先を、指先だけで挟み込んだ。

 

「……ッ」

 

 見慣れた姿が、そこに立っていた。

 土煙を蹴散らし、怒りすら見せず、ただ静かに剣を構えるゲイル。

 

「ネフ、下がれッ!」

 

 その声は、命令ではなく、俺を守るための絶対的な響きだった。

 俺は、震える手で剣を握り締め、ただゲイルの背中を見つめることしかできなかった。

 

 白髪の男は薄く笑い、音が消える。

 否――速すぎて、音が追いつかない。

 

 次の瞬間、ゲイルの剣と男の剣が衝突。

 衝撃で地面が抉れ、爆風が木々を薙ぎ払った。

 それでも男は一歩も退かず、逆にゲイルを弾き飛ばす。

 転がりながらも立ち上がり、再び斬りかかるゲイル。

 

だが、その突進すら片手で受け止められる。

 足元の大地が沈み、空気が圧縮されるような音がした。


「力も速さも……化け物か」

 ゲイルが低く呟く。

 

男は冷たく言い放った。

「ここで殺すには、時間が足りない」

 そして、まだ息のあるヴァルドへ歩み寄り、片腕で軽々と抱え上げた。

 

振り返りざま、俺を見据える。


「お前の力……それはお前が持っていい代物ではない」

 黄金のオーラが渦巻き、視界が歪む。

 次の瞬間、二人の姿はかき消えた。

 静寂が戻った荒野で、俺は立ち尽くしていた。

 ノルが、ようやく地に伏せていたアレンの元へ駆け寄る。

 

「……怪我は、ないか」

 

 ノルは、震えるアレンの肩を抱きしめ、安堵の息を吐いた。

 俺もまた、その姿を見て、胸の奥から熱いものがこみ上げてくるのを感じた。

 

 目の前には、砕け散った壁。血の匂い。

 だが、俺たちは生き残った。アレンを守り抜くことができた。

 

 俺は剣を地面に突き立て、深呼吸をする。

 顔を上げると、ノルとアレンが、不安そうに俺を見ていた。

 俺は彼らに、できる限りの笑顔を見せる。

 

「……よかった。生きてて」

 

 その言葉は、誰にでもなく、自分自身に向けて言った言葉だった。

 その瞬間、俺の胸から、ずっと張り詰めていた緊張と恐怖が、ようやく解き放たれていくのを感じた。


気づけば、頬を涙が伝っていた。

理由なんて分からない。ただ、生きていることが、今は何よりの答えだった。

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