孤独なクローンたち
八雲 稔
孤独なクローンたち
1
〈医療メッセージ〉
〈M:心臓摘出:完了〉
〈M:人工心肺装置/動作中:正常〉
〈D:血中酸素飽和度:正常〉
〈D:血流速度/血圧:正常〉
〈M:血液循環補助装置/埋め込み:開始〉
ミリアは医療処置用のカプセルの中に横たわっている。
開腹手術中でも、脳は活動していて意識があるので、音声によるメッセージ通知を認識できた。私の体にはもう心臓が無いんだ、と彼女は心の中で反復する。
臓器を切除している最中も、痛みを抑止するだけで、脳神経を活性状態にしているのは、副交感神経をモニターし、肉体への影響の監視や、脳幹経由での血圧や呼吸を制御するためだと聞いたことがあった。
ミリアも手足を動かすことはできないが、眼球を動かして周囲を見回すことはできた。
室内に人の姿はない。ここは完全にAI化された手術室。見えるのは、壁一面に設置された医療用コンソールの表示や自動手術機器のアームの複雑な動きだけ。今の自分を生かしているのはこの機械やAIなんだ、と彼女は改めて思った。
ミリアの体内から取り出された心臓は、速やかに放射能保護処置が施された専用ケースに格納され、自動輸送ヘリで都心の病院に運ばれる。そこで、移植手術を行うためだ。
彼女は臓器を提供するために生きている。
それが彼女の存在価値。
ミリアたちが住んでいるのは、対核攻撃用として半世紀前に建築された地下シェルター。二十年前までは百名以上の住民がいたが、戦闘が膠着状態に入ったため、現在は全住人が都市区画に移動した。狭苦しい空間で長期に生活するよりは、たとえ危険でも自由に生きたいと考えたからだ。
放棄されたシェルターを、医療関連の企業が買い取り、運営している。臓器培養工場として。あるいは、臓器提供用クローン人間の育成工場として。
この巨大シェルターに住んでいるのは、ミリアを含めて三名のみ。地下施設全体が、独立制御システムになっているので、全てがAIによる集中管理と、数体のアンドロイドによるメンテナンスで支えられていた。
ミリアの臓器摘出手術も、AIと汎用型医療処置機器のみで行われた。
〈医療メッセージ〉
〈M:幹細胞移植:完了〉
〈M:縫合:完了/術式:終了+痛覚復元処置:開始〉
手術が終わっても二週間ほどはカプセルから出ることができない。
臓器を移植用に提供した後には、また同じ臓器を体内で培養するために幹細胞が移植される。培養プロセス中は体を動かしてはならない。それに完全に臓器が復元されるまでは、機能的な欠如を補うために、外部の生命維持システムの助けを借りる必要もあった。特に心臓のような重要な器官の場合は。
新しい臓器と血管や神経の接続が出来上がるまでは、医療用ポッドの外に出ることができない。
それでも加速培養技術で、期間は大幅に短縮されていた。胎児と同じ生育プロセスを二週間でやるのだから。それに痛みもなかった。
半月すれば、とミリアは思った。
半月我慢すれば、補助デバイスを体内に組み込んだままなので、激しい運動はできないものの、ほぼ以前と同様の日常生活が始められる。大好きな甘いお菓子も食べられる。ゲームもできる。それまでの辛抱だ、と。
それに彼女は、カプセルの中で動けないことを苦痛に感じたことはなかった。決してそれは、何度も臓器提供をして慣れてしまった、ということではない。
不思議な感覚。
その狭い空間が自分の居場所……そう感じることがよくあった。自分はこの容器の中で培養された。多くの時間を培養液の中で過ごした。ここは子宮。ここは母親の胎内。
閉所に閉じ込められているという感覚ではなく。
むしろ、我が家に帰ってきた時のような懐かしさ、居心地の良さを感じた。
ミリアは臓器提供用に育成されたクローンだ。
彼女の肉体は、〈オリジナル〉によって提供された遺伝子を元に、人工子宮を用いて加速培養された。
人工子宮と言っても、その機能は赤ん坊を作り出すだけではない。彼女は十三ヵ月の時間をかけて、十六歳の肉体まで育てられた。すぐに臓器提供が可能なレベルまでの育成。摘出して移植用に利用可能な体を作り出すことが、人工子宮装置の目的。
ミリアの今の年齢は十八歳。
生まれてから二年たったことになる。その間に、すでに三度の臓器提供を。最初は腎臓と脾臓、二回目は眼球、三回目は肺と小腸。そして、今回は心臓。
人工子宮の中にいた期間も含め、人生の多くの時間をカプセルの中で過ごしてきた彼女にとって、外での生活よりも培養液の中にいる時の方がリラックスできたとしても不思議なことではなかった。
「ミリア……元気?」
カプセルを覗き込んでいるのは、ギギだ。
ギギはミリアよりも一つ年下の男の子。彼も彼女と同じように、臓器提供用のクローンで、やはり十六歳まで加速生成された。生まれてからまだ一年しかたっていない。
人工子宮内では脳接続を使って直接記憶を書き込まれるので、まだ一歳の彼も、会話や日常生活について困ることはなかった。その所作を見る限りでは、街にいる高校生と区別がつかない。
「……ミリア」
彼はもう一度彼女の名前を呼んだ。
手術が終わりすっかり意識を取り戻しているミリアも、肺での呼吸や横隔膜の筋肉を機械でコントロールされているので、自分の意志で声を出すことができない。医療用コンソールから人工音声で答える。なるべく明るい声で。
私、元気だよ。ギギは?
ギギは返事をしない。なぜか、彼は泣きそうな顔をしていた。
寂しいのだろう。
その気持ちは彼女にも分かった。
たとえ、ほとんど大人の体をしていても、たとえ、高校生と同程度の知識を持っていても、ギギの心はまだ一歳。生まれたばかりの幼児。
しかも、彼には親がいない。ミリアが母親代わり。たった一つしか年が違わないのに。でも、ミリアしかいないから。
そんな彼女が医療ポッドに入っているので、ギギは不安なのだろう、と彼女は思った。
居住区では部屋が隣なので、よく一緒に過ごした。
このシェルターはクローン専用の施設として隔離されているので、外部とのつながりが一切ない。中にいるのは三人のクローン。ミリアとギギと、もう一人キコジという男の子。キコジはミリアよりも一つ年上で十九歳だった。三人だけで、メンテナンス用のアンドロイドの助けを借りて生活している。
キコジは一人でいることを好んだ。一日のほとんどを情報コンソールの前に座って、生物の進化や宇宙の現象について勉強していた。あまり他の二人とは話をしなかった。そのことも関係して、ギギとミリアは長い時間、二人だけで同じ部屋で過ごした。
そのミリアが、今はカプセルの中に入っているので、話し相手も遊び相手もいないギギは寂しいのだろう。顔をくしゃっとして、今にも泣きそうな表情をしている。
ミリアはまた声をかけた。
どうしたの? 私、元気だよ。ギギも、元気?
ギギは、やはり返事をしなかった。かろうじて、うなずいただけだ。涙をこらえるだけで必死なようだった。
泣きたいなら泣けばいいのに、とミリアは思った。
ここには誰もいないんだから。誰も見ていないんだから。
泣きたいだけ泣けばいいのに。
でも、ごめんね。今は、私、カプセルの中。だから、いつもみたいに、抱きしめてあげられないの。
もう少し待っててね。治療が終わったら、また一緒に遊ぼうね。
言いたいことが次々に心の中に浮かんでくる。でも、ミリアはそれを口にしなかった。
言葉の力を信用していなかったから。もちろん、何の教育も受けていないミリアも、人口子宮内での培養中に脳に基本情報をインストールされていた。その中に言語に関する情報も。
だから、周囲にギギとキコジしかいない閉鎖的な環境で育った彼女も、何不自由なく会話できた。それでも、言葉を使うことにいつも躊躇した。特に自分の気持ちを伝えなければならない時には。
頭のどこかで、言葉は情報を伝えるためのもの、心を伝えるためのものではない、と彼女は考えていた。だから、意識の奥底から沸き起こってくる気持ちを声に出して言うことはほとんどなかった。
ギギ、大丈夫だよ。
彼女は黙って、ギギを見つめていた。彼も同じだった。何もしゃべらずに、ただミリアを見つめていた。
〈館内メッセージ〉
〈M:荷物到着:宛先/ミリア、ギギ〉
ギギの顔がいきなり明るくなった。あまりにも急な変化だったので、ミリアは笑いそうになった。
外部からの郵便物がシェルターに自動配送されたようだ。ミリアとギギ宛ての荷物。きっとネットで注文したもの。よく好きな食べ物を取り寄せていた。それが二人にとっての、唯一の外部とのコミュニケーション。
施設では健康が最も重要視された。だから、必須の教育などもなく勉強をする必要はなかったが、毎日の運動や定期的な健康診断は絶対的な義務だった。完全自動化された施設なので、規則を破ったからと言って、彼らを叱ったり罰を与えたりするような先生や管理者がいるわけではない。でも、義務を果たさずに臓器提供という商品価値を失えば、即時に処分されるということを知っていた彼らは、規則に抗おうとはしなかった。どれほど絶望的な生活環境でも、死にたくはなかったから。
そういった厳しい健康管理のルールの中に、食事も入っていた。
一日中遊んでいても三食十分な食事が与えられる。でも、好き嫌いは許されない。出された食事は、決して残してはならなかった。臓器を維持するために必要な栄養素を摂取することが、彼らにとっての義務であり仕事だった。
ただ、ある程度の精神面の考慮も行われていた。量の制限はあったものの、お菓子をネットで購入して食べることだけは許されていた。それが彼らにとっての、たった一つの楽しみ。
ミリアもギギも、毎月お小遣いとして電子マネーを与えられると、今度は何を注文するか、ネットの情報を探し回りながら何時間も話し合った。
もっとショコラケーキを食べたいとか、この前のバタークッキーをもう一度買いたいとか、話題は尽きなかった。
二人が待ちわびていたもの。
そのお菓子が届いたのだろう。
ギギは館内放送を聞いただけで、今にも涙が溢れそうだった顔が、あっと言う間に喜びでいっぱいになっていた。
「僕のフルーツクーヘンが来たんだ」
私のマドレーヌも。
カプセルの中のミリアも思わず叫んだ。もちろん、外部スピーカーを通して。
お願い、私のも受け取っておいてね。お願い。でも、食べちゃ駄目だよ。絶対だよ。私のだからね。
うん、と大きな声でうなずいて、ギギは走って行った。
ミリアは何となく、彼が自分のお菓子も食べてしまうような気がした。きっと私の包みも開けて、それを口に入れてしまうと。
でも、それはそれでよかった。何ならさっき、私のお菓子も食べてもいいよ、って言おうとしたぐらいだった。私、まだポッドから出られないから、いいよ、って。
どうして素直にそう言わなかったのだろう。後で喧嘩をしたかったのかも。食べてはいけないお菓子を勝手に食べたと言って、後でギギと言い合いをしたかったのかも。
ギギと一緒にいたい。ギギとずっと遊んでいたい。ずっと話をしていたい。
ミリアは同時にキコジのことも考えていた。
どうして、キコジは私たちと同じようにお金をもらっても、使おうとしないのだろう。たった一つの自由なのに。どうして、キコジは私たちと話をしないのだろう。どうして、いつも一人でいるのだろう。
ギギは郵便物を取りに行ったきり、戻ってこなかった。
自分の部屋で食べているのだろうか。きっと、治療室には食べ物を持ち込めないからだろう。あるいはカプセルの中で食事ができない私に気を遣ったのかも。
ギギは甘い物を夢中で頬張りながら、一人ぼっちで泣いているのかもしれない。
誰もいない治療室で、ミリアはこれからのことを考えていた。今から自分がどうなっていくのか。
彼女には自分が何のために存在しているのか、よく理解できなかった。
現代では遺伝子操作によって、ほとんど病気にならない子供を生むことができる。また、新型の変異ウイルスに感染しても、医療用マイクロマシンを使えば例外なく治癒する。
前世紀に核融合技術が完成し、一般的に商用化されてからは、エネルギー問題もなくなり、人々は贅沢さえしなければ何の不自由もなく生きていける。
病もなく、資源の問題もない世界。
それなのに人々は戦争をしている。局地型の核兵器を多用し、地球全体を核汚染した。国家間の争いだけではない。国の中でも。同じ国民同士でも、核の力を利用して殲滅しようとする。
あらゆる人間が強力な放射線に晒されている。そして、放射能の影響を受けて機能不全を起こした臓器を移植するために、ミリアのような臓器提供用のクローン人間を育成している。
人は何をしているのだろうか。
もはや何の不足もないはずなのに他人を殺し、他人を殺すために自らを傷つけ、その傷を回復するために新たな命を犠牲にしている。それが私たち。
ミリアはあることを思い出した。キコジが前に教えてくれたこと。これは秘密だから、ギギにもまだ教えないでくれと言われたこと。
臓器提供用にクローン人間を作るのは違法なのだと。つまり、ミリアやギギやキコジが住んでいるこの施設の存在も、〈オリジナル〉が病気や怪我をする度に自分たちの臓器を摘出する行為も、全て違法なのだと。
じゃあ、どうして訴えないの?
ミリアは思わずキコジに叫んだ。彼は静かに答えた。
「誰に訴えるんですか?」
警察か誰かに……。
「そうですね。警察に訴えれば、この施設を運営している企業や、私たちを生成した〈オリジナル〉たちは処罰されるでしょう」
じゃあ、訴えましょうよ。
「そうすると、私たちはどうなると思いますか?」
助けてくれるんじゃ……。
「そうですね。ある意味では助けてくれるのかもしれませんね」
ある意味って?
「私たちは解放されますよ。苦痛や恐怖から」
じゃあ、助かるってこと?
「ええ。私たちは違法行為によって生産された異物ということで、裁判中は証拠品として保管され、裁判終了後に処分されるでしょう」
処分って……。
「要らないから捨てられるってことです。つまり、殺されるってこと」
どうして、そんなひどいことを。
「そもそも、私たちは生きていないんですから。ひどいことだと感じるのは、私たちだけ。彼らにとっては、私たちは単なる物なんですから。要らなくなった物を処分するのは当たり前の行為」
自分たちは命ではなく物。いつか処分される存在。
彼からそう教えられた時、ミリアは全てを諦めた。もう、ここからは抜け出せない。受け入れるしかない、と。
ここで生まれた人間は、自分たちの〈オリジナル〉に臓器を提供するために、そのためだけに生きて、最後には死んでいく。そういうものなのだと。
たとえ、それが納得できなくとも。あるいは納得できるような理由を聞いたとしても、現実が変わることは絶対にないのだと。
医療ポッドの中のミリアは、キコジの言葉を何度も思い出していた。そして、その時の彼の辛そうな表情も。
きっと今も同じなんだと。今も彼は、部屋の中で、一人で、辛そうな表情をしているのだと。そう思った。
ミリアは、医療用のデバイスを経由して、ネットにアクセスした。
施設内でのネット利用には制限があった。どんな情報を制限しているのか、何のために制限しているのかミリアにもよく分からなかったが、あまり気にしていなかった。
それは施設を管理している組織がやっていること。おそらく自分たちのような特殊なクローンは、知らない方が幸せな情報もあるのだろう。
命としての存在を否定されたミリアにとって、それはある意味で些細なこと。
〈ネットニュース〉
〈N:核融合発電所の増設計画:詳細〉
〈N:エリアU201での戦闘状況+被害報告〉
〈N:最新医療/永遠の命:詳細〉
カプセルの中のミリアから見えやすいように、目の前に巨大なスクリーンが展開され、メニューだのアウトラインの動画だのが表示される。
しかし、彼女は何も見ようとしなかった。何を見ても、彼女の疑問を解決してはくれないと分かっていたから。
彼女はAIとのコミュニケーションを対話モードに切り替えた。
あのね、少し、お話がしたい。
『ええ、どうぞ。体の調子が悪いのですか? メンテナンス用のアンドロイドを呼びましょうか?』
いいえ。体は普通。
ちょっと、最近のニュースとかを聞きたくて。
また、この近くに核攻撃があったんでしょう。
『はい。南に十三キロほどいったところにある、建設中の核融合炉が攻撃されました。死傷者が千二百人ほど出たと報告されています。まだ未確認の部分もあり、おそらく、現実の被害はもっと大きいでしょう』
ねえ、誰が攻撃してきたの?
『現時点では今回の攻撃が、他国によるものなのか、国内の紛争によるものなのか、判明していません』
でも私たち、戦争してるんでしょう。どの国と戦争しているの?
『世界の勢力地図も、御存知の通り極めて複雑です。昔の米ソのような二極化された対立構造ではありませんから。中国もインドもアフリカも独立した勢力ですし、ヨーロッパとアメリカさえも衝突しています。世界中のどの国が攻撃してきても、不思議ではありません』
ミリアが黙っていると、AIは少し情報を補足した。
『それに、すでに国内も分裂していますから。世界最初の被爆国で、戦争を放棄し、非核三原則を打ち出したこの国ですら、国内で争っています。しかも、核兵器を使って。たとえそれが、威力を制限した戦略核兵器でも、こんな小さな島国で使えばどうなるか自明なのですが』
ミリアは何も言わなかった。AIもそれ以上の説明をしなかった。
彼女には理解できなかった。
なぜ、人は人を殺すのだろう。核融合技術が完成して、使い切れないほどのエネルギーが手に入るようになり、都市に住めば何不自由のない贅沢な生活が保障される。
それなのに、わざわざ他国に侵略し、戦争を起こし、互いの国の発電所を破壊し合い、他国民の生活を破壊しようとする。いや国家間だけではない。国内でも内乱が続き、基本インフラの破壊を繰り返している。
核融合による安全でクリーンなエネルギーを手に入れ、危険な原子力発電を放棄したのに、もっと危険な核兵器は増産し続けている。
ミリアはある歴史に関する資料に書いてあったことを思い出した。一番最初の戦争は、農耕を始めた人類が肥沃な土地を奪い合うために起きたのではないかという仮説。
人は限りある資源を取り合うために戦う、彼女は今までそう思っていた。しかし、違うのだろう。もはや、この世界ではわざわざ奪い合う必要などないのだから。使い切れないほどリソースが余っているのだから。
格差があるからそれを是正するために戦うのではなく、格差を作り出すために他者の所有物を破壊し、破壊を正当化して拡大するための口実として戦争を宣言している。
自分が裕福であるためには、他人が貧乏でなければならない。だから壊し、だから殺す。
上位に立つ者にとって、全ての人間が十分なエネルギーや食料を入手できる世界など認められない。
弱者を作り出すための戦争。
貧困を作り出すための破壊。
自分が、あるいは、自分だけが優位に立つための行為。
そして、誰もが自分のことだけを考えた結果、あらゆる人間が争うことになった。核兵器という強力な武器を使って。
ミリアは尋ねた。
都市部の放射能汚染は進んでいるの?
『はい。今回の核攻撃の影響も出ています。住人の平均白血球数が減少傾向にあります。人体の免疫システムに影響が出ているのは間違いないでしょう。おそらく今後死者も増加するに違いありません。そのためにも、あなたのような臓器提供用のクローンが重要になるのです』
私のような臓器提供者……。
私は臓器を提供するために生まれて来た。〈オリジナル〉を生かすために、私たちは生きている。
でも。
ミリアは目の前のスクリーンに点滅している文字を見つめていた。……小型核ミサイルによる攻撃……死傷者約千二百人……。
彼女はチャンネルを切り替える。〈科学ドキュメンタリー:宇宙の不思議〉〈D:宇宙の生成と消滅/M理論:アクセス可〉〈D:重力子の超対称性:アクセス可〉〈D:空間に偏在する巨大ボイド:アクセス不可〉
それは、キコジがよく利用している情報サイト。
以前はなぜ彼がそういった勉強をいつもしているのか、不思議だった。でも、今は違う。それらは、人間から一番離れた場所にある情報空間。遠い場所へ入り込めば、自分たちを覆っている不条理やら矛盾やらから目を逸らすことができる。
ミリアも最近はよく、はるか深宇宙へと自分の思考を飛ばすようになった。ビッグバンが起きた直後の宇宙へ。宇宙の外の領域へ。時間が始まる前の存在へ。
たとえ、光の速度を超えないと到達できないような久遠の彼方であっても、想像の中でなら自由に動き回ることができる。
ミリアはブラックホールの内部構造の解析を聞きながら思った。
私は今日心臓を摘出された。まだ、回復する力がある。でも、このような臓器提供を繰り返していたら、いずれ肉体が蘇生能力を失っていくのだろう。使い物にならなくなる。そうすれば私は、処分される。
それがいつなのかは、分からない。でも、私の運命は決まっている。
私はそういう『物』なのだから。
しばらくすると、超新星の周囲をぐるぐる回っている自分を想像しながら、眠ってしまった。ミリアの脳波が睡眠状態に移行したことを検出すると、スクリーンが自動的に消え、室内が暗くなった。
彼女は夢を見ていた。渡り鳥のように青い空を飛びながら海面を見下ろしていたり、海の底に立って暗い水面の微かな光の揺らぎを眺めていたり、銀河系と銀河系が衝突しながら放つ膨大な光を全身に浴びていたり。
ふと、近くで何かが動く気配を感じて、ミリアは目を覚ました。彼女は明かりの消えた部屋の中を見回した。
キコジの顔の輪郭がぼんやりと見えた。彼は椅子を持ってきてカプセルの横に座ったまま、じっとミリアを見ていた。
彼女は不思議だった。これまでにも何度か手術を受けてカプセルに入ったが、彼が様子を見に来てくれることなどなかったから。いつも、来てくれるのはギギだけだったから。
何か起きたのだろうか。こんな深夜に。
キコジは悲しい表情をしていた。嫌な予感がしたが、ミリアは何も言わなかった。彼も黙ったままだった。
2
半月後、ミリアの体は順調に回復し、医療用カプセルから出ることができた。
彼女が部屋に戻ると、すぐに隣室のギギが気付き、ドアをノックした。
「あ、ミリア。帰ってきたんだ」
「うん」
「部屋に入ってもいい?」
いいよ、という彼女の返事を待たずに、ギギはずかずかと中に入ってくる。二人の間に遠慮などなかった。ギギが生成されてからのこの一年間、ミリアが臓器摘出手術を受けている期間以外、二人はいつも一緒だった。
彼はまだ一度も臓器を提供していない。きっと、彼の〈オリジナル〉は健康なのだろう。あるいは若いのかもしれない。ミリアはそう思っていた。
二人はいつも一緒にいた。でも、二人の関係が何なのか、ミリアにもよく分からなかった。
自分は姉なのだろうか。私たちは姉弟。
私は母親なのかも。私はギギを育てている。私たちは友達。それとも、もっと深い関係。私たちは恋人。
ミリアもギギも生成されてから、シェルターの居住区という閉鎖的な環境で生活している。外の世界も外の人間関係も何も知らない。コンソールから見る情報以外は。
だから、ミリアは自分とギギの関係が何なのかよく分からなかった。ただ、ギギとの関係と、キコジとの関係が違うということだけは認識できた。ギギは年下でキコジは年上だというような年齢の問題ではない何かが、そこにはあるような気がした。
彼女の気分は時によって変わった。二人との関係の違いがとても気になることもあったし、そんなことはどうでもよいと思うこともあった。なぜなら、二人とも嫌いではないのだから。ギギはいつも向こうから近づいてきて、キコジはいつも遠い場所にいる。でも、二人とも好き。だから、それでいいような気もした。
ミリアの外の世界に対する興味の強さも、やはり時によって変わった。何とかしてここから抜け出して、街を見てみたいという衝動に駆られることもあったし、ずっとこのシェルターの中にいればいいんだと諦めてしまうこともあった。
三人が外に出られないのは、〝規則〟だった。外部の放射能汚染から肉体を守るためだと説明を受けていたが、本当は違うのだとキコジが話していた。空気中の汚染度が高く臓器に悪影響があることが事実だとしても、それ以上の理由があるのだと。つまり、社会から自分たちの存在を隠そうとしているのだと。
キコジの意見も理解できた。なぜなら、他の人間は汚染された空気の中で生きている。影響が無いわけではないにしろ、少しぐらいなら外に出てもいいはず。理由は別にある。きっと、臓器提供用のクローン育成が違法だから、私たちを社会から隠蔽しようとしているんだ、と彼女も思った。
理由はどうであれ、彼らは地下シェルターの外に出ることを許されない。地球は丸いということや、地上には大勢の人間がいるということは、情報として知っているだけ。湾曲した水平線を見渡したこともないし、友達と親友と恋人の違いを実感したこともない。
人間関係を知らないミリアには、自分とギギをつなぐ感情が何なのか分からない。分からないけど、ギギのことが嫌いじゃない。分からないけど、ずっと一緒にいたい。
それが二人の関係。だから、ギギが気兼ねすることなく部屋に入ってきても、ミリアは平気だった。むしろ、うれしかった。
「ちょっと、待っててね。シャワーを浴びてくるから」
ミリアが体を洗って浴室から出てくると、ギギはもう大きなスクリーンに向かって、ゲームを始めていた。
ミリアもギギの横に座って、一緒に。
二人はよくゲームをしていた。他にすることがなかったから、というのが一番大きな理由。
クローンは加速培養中に、医療用のポッド内で基本情報を脳にインストールされている。だから、生み出された時から、言語を話すことができたし、社会に関する最低限の知識もあった。しかも、シェルター内の施設では食事も衣服も用意されている。特に勉強をしなくても生活に困ることはなかった。
何もすることがない。二人で話していても楽しいが、ずっと一緒にいるのだから話題はすぐに尽きてしまう。必然的にミリアとギギは、毎日のようにゲームをするようになった。
しかし、キコジは違った。彼はゲームなどせずに、いつもコンソールを使って勉強していた。宇宙の謎、生命の謎、自然の謎。そういうものに彼は興味を持っていた。可能な限りネットにアクセスし、真実を探ろうと。
キコジだけがなぜ違うのか、ミリアにはよく分からなかった。キコジも一緒にゲームをしてくれたら、もっと楽しいだろうに、と思うこともあった。でも、それを押し付けてはならないような気もした。
たった三人しかいないけど、三人とも違う人間なんだから。
「ねえ、ギギ、ずるくない? そっちのシップの方が加速性能いいでしょう」
ミリアはスティックを操作しながら、叫んだ。
「おんなじだよ。違うのは腕だよ」
「偉そうに」
ミリアは右足のつま先で、ギギのふくらはぎを突いた。
二人がやっていたのは、各々が選んだ宇宙船で惑星間軌道を飛行し、スピードを競うという単純なゲーム。軍のシミュレーションプログラムをベースにしているので、リアルな操縦体験ができたが、ゲーム自体はタイムを競い合うというシンプルなもの。
二人はシェルター内の放棄された居住エリアに残されているゲームをいろいろ拾ってきては、部屋に持ち込んで遊んでいたが、二人とも世界観が簡素なものを好んだ。
お互いに戦って、短時間で勝ち負けが決まって、二人で言い争って、また同じゲームをやる。ただその繰り返し。
長時間試行錯誤して経験値を上げるだの、何日もかかってルートを攻略するだのといった複雑なゲームは、二人とも嫌いだった。なぜなら、いつ死ぬか分からないから。
明日、緊急の臓器提供の要請があるかもしれない。その結果、肉体の利用価値がなくなり処分されるかもしれない。
管理用のアンドロイドに医療室へと連れて行かれた後、自分の部屋に戻って来られる保障はない。
だから、遊ぶこと以上に、その日その日のうちに遊び終えることが大切だった。
「ああ、ギギ、今、ワープしたでしょう」
ミリアはまたギギの足を蹴った。今度は強く。
「痛いよ」
「だって、ズルしたから」
「してないよ」
「私がポッドに入ってる間に練習したんでしょう。ねえ、ギギ、もう一回勝負」
「いいよ」
「もうズルしちゃダメだよ。そのワープ禁止だから」
〈緊急ニュース〉
〈N:U103エリアでテロ事件〉
〈海底リニア鉄道のセンダイ・ステーションが襲撃を受け、死傷者多数〉
〈エネルギー輸送ラインが停止したため、周辺エリアでの電力障害が発生〉
〈現在復旧作業中〉
〈イベント情報〉
〈I:祝賀パレード:永遠の命・寿命からの解放:専門医院/開設・記念〉
〈I:音楽祭/勝利記念:T183エリア戦闘〉
さっきまで宇宙船の予測軌道曲線だの、残存エネルギー量だの、惑星間の重力強度変位だのが無数に入り乱れていたスクリーンに、今は基本生活情報が表示されている。
「ネットでお菓子買ったんだよ」
自分の部屋から持ってきたカラフルなデザインの箱をミリアの前に置くと、ギギは楽しそうにふたを開けた。中には小さなチョコレートが一つ一つプラスチックで包装されて並んでいた。
「今日ぐらいに、戻れると思って、買っておいたんだ。ミリアのために」
ギギは少し恥ずかしそうに言う。
「これ、私にプレゼント?」
「うん。そうかも」
「ありがとう。うれしいよ」
ミリアはにっこりと笑った。ギギもつられて笑ったが、その笑顔は何となく不自然だった。
「どうしたの?」
気になったミリアは尋ねたが、ギギは答えない。
ミリアはギギの手をそっと握った。きっと何か辛いことがあったのだろう。でも、言いたくないのかもしれない。
尋ねるべきなのだろうか。それとも、そっとしてあげた方がいいのだろうか。
心なしかギギの手が震えているような気がした。
どうしたの? ミリアはもう一度、同じ言葉を繰り返す。しかし、ギギはやはり黙っていた。
ミリアは箱の中のチョコレートを一個取り出して口に入れた。ミルク味だ。
「美味しいよ」
そうつぶやいてから、
「ねえ、一緒に食べよう。コーヒー、煎れようか」
ギギは下を向いたまま、うなずいた。
ミリアがキッチンで、加熱器の温度を調整していると、誰かが部屋のドアをノックした。ミリアはすぐに行ってロックを解除した。それが誰なのかは、ドアのモニターを見なくてもわかった。ここに住んでいるのは三人だけなのだから。管理用のアンドロイドは用事があれば、ノックなどという紳士的な行為はとらずに、強引に入ってくる。
「ああ、様子を見に来てくれたの? 私、大丈夫だよ」
ドアを開けたミリアは、キコジの深刻そうな表情を見て、手術を受けた日の夜のことを思い出していた。確かにあの日の夜も、医療ポッドの横に彼はじっと座っていた。きっと、何かあったのだろう。
「どうしたの?」
それは奇しくもさっきギギに対して言ったのと同じ言葉。そして、キコジの反応もまた、ギギと同じだった。何も答えようとしない。
キコジはただ、中にいるギギの方へ、ちらりと視線を投げかけただけだった。唇を動かしたようにも見えたが、結局何も言わずに彼は自分の部屋に戻ってしまった。
ギギがいると都合が悪いのだろうか。ギギには言えないことなのだろうか。追いかけようとしたミリアを、水の沸騰を知らせるキッチンのアラームが呼び止めた。
彼女は加熱器を止め、テーブルの上にコーヒーカップを三つ並べてから、もう一度廊下に出ると、キコジの部屋の前まで行った。
ノックをしても返答はなかったが、彼がそこにいるのは間違いなかった。この居住区で他に行く場所などないのだから。
「コーヒー煎れたんだよ。熱いコーヒーだよ。ねえ、ギギと一緒にお菓子食べない? チョコレートのお菓子。美味しいよ」
何度問いかけても返事がないので仕方なく、彼女は部屋に戻って、ギギの前のカップにコーヒーを注いだ。
「何があったのか知ってる?」
ミリアは優しく尋ねた。キコジという名前を出さなくても、それが彼に関する質問だということはギギにも分かった。
ギギが左側の頬を引き攣らせるような表情をしたので、ミリアは、それ以上、問いかけなかった。ギギは知っている。キコジに何が起きているのかを。でも、それは辛いこと。だから、……。
キコジに何が起きているのか知りたかったけれども、ギギを強制的に問い詰めるようなことはしたくなかった。
「ギギ、変なことを訊いてごめんね。コーヒー、熱いうちに飲んでね。飲み終わったら、またゲームの続きやろうよ。今度は負けないからね」
しばらくすると、まるで独り言のように小さな声でギギはつぶやいた。
「処分されるんだって」
ミリアには理解できなかった。なぜ、キコジの肉体が処分されるのか。
臓器提供用のクローンが処分されるのは、体が再生能力を喪失したか、臓器提供に不適切な状況になったかのどちらかだ。
彼はすでに肉体が生成されてから三年目に入っている。でも、年齢としてはまだ十九歳。まだまだ若い。再生能力が失われるとは思えない。
何か別の理由で臓器提供が不適切だと判断されたのだろう。一番考えられるのは、組織に病変が見つかったということ。
クローンを生成する時に、遺伝子のチェックは行われているので、遺伝病だとは考えられない。この閉鎖エリアにウイルスが入り込んでいるのだろうか。もしそうなら、キコジ以外の人にも影響が出る。少なくとも何らかの検査は行われるはず。でも、そういう医療チェックはなかった。
ミリアはため息をついた。
想定される状況は一つしかない。きっと、キコジの体内に悪性のガン細胞が検出されたのだ。
どんな動物でも、生きている限りは細胞分裂を繰り返している。そして、常に一定の確率で遺伝子異常が発生し、一定の確率でガン細胞化する。多くの場合は、増殖する前に免疫システムで除去されるが、やはり一定の確率で生き残り、急速に増え始める。
おそらく、キジコの体内でガンが検出されたのだろう。
医療用のナノマシーンを使えば、大抵のガン細胞はほぼ完全に除去できる。すでに、ガンは治療可能な病だ。
しかし、臓器提供を受ける人々はそうは思わない。たとえ確率が低くても再発の可能性がある。そんな汚れた臓器を移植してほしくはないと。
だから、ガン細胞の増殖が検出されたクローンは処分される。
きっと、彼も。
ミリアとギギは長い間、黙ったままコーヒーを飲んでいた。
ギギは立ち上がると、部屋から出て行った。ゲームを始めようとはしなかった。ミリアも彼を呼び止めなかった。
スクリーンには新しいニュースが表示されていた。
〈緊急ニュース〉
〈N:U912エリアとの同盟交渉失敗:戦闘状態へ〉
〈N:U031エリア:戦略的核攻撃/成功〉
〈イベント情報〉
〈I:記念祝賀祭:U082エリア放射能除去/完了〉
〈I:講演会:不死のテクノロジー/完成〉
その夜、またキコジがミリアの部屋に来た。
彼女はまだ起きていた。
ミリアは知っていた。彼がもう一度来てくれると。だから、待っていたのだ。
「ねえ、散歩に行こうよ」
彼女は、手にしている専用コネクターを見せながら。脳接続VRを使って、どこかへ行こうと。
キコジも素直にうなずいた。
クローンの脳には外部接続用のアダプターが取り付けてあった。専用のラインを使って互いの脳をつなげば、同じイメージを共有することができる。
二人はベッドに並んで腰掛け、コネクターを起動した。
ミリアが思い浮かべたイメージの中に、彼女とキコジは立っている。それはミリアが外部記憶と連携して生成した仮想空間。
夜の湖。
音もなく、風もない。
「ここは、どこ?」
「あのね、私にも分からないの。ライブラリで偶然見付けただけだから。でも、綺麗だと思って。だから、インデックスを付けておいたの」
夜なのに、空には無数の光の帯が見える。それは星ではなく、雲でもない。そして、その光の帯が広大な湖面に反射して、どっちが空でどっちが水なのか区別できないほど、世界の全体が輝いていた。
「ここがどこなのか、どれほど昔のものなのか、分からないの。でも、」
私は好き、だから。
ミリアが言うと、キコジも珍しく驚いたように目を見開きながらも、それでいて楽しそうに微笑んだ。
二人は、水面で絡み合う光の軌跡を追いながら、岸をゆっくりと歩いていく。
「ここは、私の秘密の場所」
ちょっと恥ずかしそうに笑ってから、
「これ、オーロラって言うんでしょう。なんで、こういう光の現象が起きるのか、私には理解できないけど。きっと、キコジならちゃんと説明できると思うよ。私はあんまり勉強してないから、理屈は分からない。理屈は分からないけど、美しいと思う。だから、私の秘密の場所。まあ、もちろん、秘密って言っても、ただの仮想空間なんだけど。でも、これはAIが作ったものではなくて、現実の景色」
「地球にもこんな神秘的な場所があるんだね」
「今もあるのかどうかは分からないよ。昔の記録かも。今は放射能の汚染が進んで、自然環境も破壊されてしまったから。けど、どうせ私たちはこの地下シェルターから出られないんでしょう。そう考えると、それが現在であっても過去であっても同じだと思うの。だって、そうでしょう。私たちにとっては、シェルターの内側と外側があるだけ。昔の世界も今の世界も未来の世界も同じ」
そうかも、と言いながら、キコジは空を見上げた。
ミリアはキコジに顔を近づけるようにして、
「私、寂しくなったり、不安になったら、よくここに来るの」
岸に倒れている大きな木の幹にミリアが座ると、キコジもその横に。
ミリアは、ギギが教えてくれたと伝えた。
「ごめんね。キコジ。聞いちゃったの。でも、あの日だったんでしょう。私が医療ポッドに入って手術した日。あの日に連絡があったんでしょう。だから、キコジは夜に私のところへ来てくれて……」
「うん」
何があったの? どうしてなの? どうして処分されるの? 彼女は尋ねたかった。しかし、ミリアは自分の気持ちを言葉にはしなかった。
これが最後の会話になるかもしれないとキコジだって分かっている。分かった上で、何を話すかを決めるのはキコジ自身なのだから。
そして、そのことを彼もよく理解していた。
キコジはミリアの部屋に入ってきた時とは違い、その表情から暗く陰鬱な雰囲気はすっかり消えていた。
まるでふっきれたように、
「もう終わりなんだよ」
「どういうこと? もしかして、病気なの?」
「違う。そうじゃないけど。終わりなんだ」
「どういうこと? ごめんなさい。私には分からない」
ミリアが申し訳なさそうにうつむいていると、キコジが優しい声で、
「僕の〈オリジナル〉が死んだんだ」
「事故?」
「いや。事故じゃないみたい。この前の核攻撃の被害にあったらしいんだ。放射能汚染だったら、まだ救えたのかもしれないけど、超高温の熱線を全身に浴びたんだって。きっと一瞬だったと思う。肉体が焼けたんだ。全身の細胞が破壊されて。それで」
「そうなんだ」
「うん。人間って、不思議だよね。核融合炉ができて、もう世界にはエネルギーが有り余っているのに、それを核兵器で破壊したりしてね。せっかくマイクロマシンのテクノロジーで寿命や老化から解放されたのに、互いに戦争をして殺し合ったり。訳が分からないよね」
「そうかも」
ミリアはうなずいた。
彼女も少しずつ理解し始めていた。キコジに何が起きたのか。
キコジにもギギにも、そしてミリアにも、それぞれに〈オリジナル〉としての人間がいた。遺伝子提供者。三人は、その〈オリジナル〉の遺伝子を元に生成されたクローン。そして、それぞれが〈オリジナル〉の所有物。
キコジはキコジの〈オリジナル〉の持ち物であり、キコジの臓器は、その〈オリジナル〉に移植するためだけに存在する。たとえ、他に適合する相手がいたとしても、他人に提供はしない。クローンの臓器は、金銭や家と同様に個人に属する資産なのだから。
だから、キコジの〈オリジナル〉が死んだ以上、その臓器提供用のクローンであるキコジの存在価値はもはやない。なぜなら、提供する相手がもういないのだから。
臓器提供用のクローンの育成はそもそも違法だし、法を破ってまでそういうことをするのは一部の極めて裕福な人間のみだ。クローンはある種の贅沢品。
再生技術が進み、人間の臓器を幹細胞から再生することは簡単だ。クローンを用意しておかなくても、治療はできる。
ただ、専用クローンの臓器があれば、病気が見つかった場合に即時に移植手術を受けることができる。幹細胞から臓器が培養されるのを待つ必要がない。しかも、すでに人体の中で動作している臓器。つまり品質が保証されている臓器だ。
そういう意味で、高品質な生きた臓器を一式用意しておくのが、裕福な人間の間では流行っていた。クローンの育成は健康活動であり、娯楽の一部であり、資産を誇示するための自慢でもあった。
それが、三人がシェルター内部で秘密に培養され、生かされている理由。
「〈オリジナル〉が死んだ以上、僕はもう不要な存在。故人と会社との契約が終了した時点で、もう僕に商品価値はない」
「でも……」
「だから、処分される」
「それって、」
殺されるってこと? 事実を認識したミリアはつい、強い言葉を口にしてしまった。口にした直後に後悔した。横に座っているキコジの顔を見ることもできなかった。
夜の空には相変わらずオーロラがゆらゆらと輝いている。
しかし、キコジは動揺していなかった。
「そうだね」
「いつ……」
ミリアは自分が言い過ぎていることがわかっていても、もうそれを止めることができなかった。強引に問いかけたりはしないと心に決めていたにもかかわらず、まるで自分が自分でなくなっていくかのように、質問を繰り返していた。
さすがに、この問いにはキコジも表情を変え、深いため息をついた。空気が漏れ出していく彼の唇は震えている。そして、その震えは、VR空間の中での彼の姿であり、現実の彼の姿でもあった。
彼もミリアも脳接続を切断し、視界も意識も彼女の部屋に戻った。
それは、分からない……。彼はつぶやいた。
その言葉が嘘だと言うことは、ミリアにも分かった。彼は自分がいつ処分されるのかを知っている、でも。
彼女は黙ったまま、彼の体を抱きしめた。もう、彼女には口にすべき言葉などなかった。ただ、静かに体を押し付け合い、彼の体温を感じていた。そして、少しでも自分の温かさを感じてほしいと思った。それ以外にできることなどないのだから。
ミリアもキコジも、人間と人間のつながりを知らない。
それは社会に出た経験がないから、という理由だけではなかった。人と人が深い関係になる方法は、徹底的に情報規制されていた。特に男女間の関係については。二人の体は臓器を提供するための商品であり、子供を作るためのものではないから。
強く抱きしめ合いながらも、それ以上何をすればよいのか分からない二人に、本能が何かを囁いていた。でも、それが何なのかを具体的に知ることはできない。
ミリアもキコジも長い時間、じっと抱き合ったまま、互いの柔らかさを、互いの呼吸を、互いの鼓動を感じていた。
やがて、キコジは自分の部屋に戻った。
ミリアは夜通し泣いていた。
翌朝、ミリアがキコジの部屋に行くと、もうそこには何もなかった。キコジの所持品も、キコジ自身も。
夜の間に全てが終わったのだということを彼女は知った。
3
キコジがいなくなっても、ミリアとギギは相変わらず、一緒にゲームをしたり、ネットで注文したスイーツを食べたり、VRで世界を旅したりしていた。
表面的には何の変化もなかった。そもそも、キコジは二人とはほとんど会話をせず、いつも一人で生活していたから。
変わったことは、共用のダイニングルームのテーブルの上に用意される食事の数が、三つから二つになったこと。
三人で食事をしていた時も、キコジは何も話さなかった。ただ、黙々と食べ物を口に入れるだけだった。食事中だけは、いつもは大声でわいわい騒いでいるミリアとギギも、遠慮して小声でしゃべった。
だからと言って、キコジを嫌っているわけではなかった。二人にも、キコジが会話を求めない気持ちが理解できたから。二人と話をしなくても、決して彼が心を閉ざしているわけではないと知っていたから。
言葉を交わさなくても、心が通じ合っていた。
そのキコジが、
もう、いない。
リビングルームで向かい合って座るミリアとギギは、やはり黙って食事をした。もうキコジに気を遣わなくてもいいのに。なぜか何もしゃべらなかった。しゃべることができなかった。食べ物を急いで胃に押し込むと、大急ぎで部屋に戻って、二人でまたゲームを始めた。
スクリーン上に光輝く図形やキャラクターが映し出された瞬間にまた、大声で叫んだり、悲鳴を上げたり、大笑いをしたり。それが二人にとっての会話。
二人もキコジと同じだった。何もない。声を出そうが出すまいが、同じ。話すことなど、何もない。
生まれてからずっと、シェルター内の施設に閉じ込められている彼らにとって、幹細胞だの加速育成だの脳へのインストールだので人為的に作り上げられた彼らにとって、クローン人間として親も兄弟もいない環境で育てられた彼らにとって、一日中ただ一緒にいるだけの彼らにとって、言葉を使って話さなければならないことなどなかった。
言葉で伝えなければならないことは、何もない。
もちろん、伝えたいことはある。ミリアにも。ギギにも。心の奥底に。でも、それを言葉などで表現することはできない。
きっとキコジもそうだった。だから、彼はいつも。
ミリアは大きな声で喚き散らしながら、小型の宇宙船を操縦していた。土星のリングの中を小刻みに回転しながら高速ですり抜けていく。
しかし、いきなりコントローラーを手から落としてしまった。突然、手に力が入らなくなって彼女自身もびっくりしていた。でも、それは自分の意志でもあった。
ギギは、ミリアが急にゲームを放棄したので驚いた。しばらくは一人でプレイしていたが、やがて彼も指を動かすのを止めて、コントローラーを床の上に置くと、じっとミリアを見つめた。
広いスクリーン上には、まだ氷の塊だの岩のような物体などが無数に浮遊している。ミリアはさっきまでと同じように、画面の方へ顔を向けていたが、その視線は遥か遠くへと投げかけられていた。あるいは、自分の心の内部を見下ろしていた。
「どうしたの? 気分が悪いの?」
ギギの声が聞こえた。が、ミリアは返事をしなかった。
ギギは最初、ミリアの心臓の再生がうまく行っていないのかもしれないと思った。スクリーンのウィンドウに、バイタルのモニターを表示した。確かに、ミリアの心拍数は上昇している。でも、不整脈はなかった。
「ねえ、ミリア。どうしたの?」
ギギがもう一度尋ねると、ミリアは、ああ、と声を出した。それは返事なのか、単なるうめき声なのか判然としなかったが、彼女の精神状態が普通ではないことだけは、ギギにも理解できた。
ミリアはギギに近づくと、彼の体を両手で強く抱きしめた。
ギギが戸惑っていると、ミリアは彼を床の上に押し倒すようにして、両足も巻き付け、必死で二つの体を一つにしようとした。
「ミリア。どうしたの?」
彼女にもギギの声ははっきりと聞こえた。
自分は何をしているのだろう、と彼女も心の中で思っていた。自分が何をしているのか、自分が何をしたいのか、理解できない。ただ、何かをギギに求めている。
ギギは震えていた。恐怖を感じて。しかし、それはミリアに対する恐怖ではなかった。
ギギもまた、ミリアを求めていた。求めていても、彼女にどうしてほしいのか認識することができない。それはミリアと同じだ。だから、彼には、ミリアの不安定な気持ちが十分に理解できた。
そして、ミリアの心を強く感じれば感じるほど、ギギの心の奥底からは、いつもは深い場所にひっそりと沈んでいる感情が浮かび上がってきた。
自分の中にある闇。日頃は感じることのない影。
恐怖。
死に対する恐れ。
ギギもはげしくミリアを抱きしめた。まるで、そうすれば自分の体の震えが止まるかのように。
バイタルのモニターが異常を検知し始めた。二人の心拍数も血圧も呼吸数も異常値を示し始めたのだ。
それでも二人はもがいていた。どうすればいいのか分からずに。
二つの心が興奮し、二つの肉体の鼓動が高鳴っていく。
それが自分の心臓の拍動なのか、相手の心拍が伝わってきているだけなのか区別できないほど、互いに体を密着させ、重なり合い、手足を絡ませて。
人と人との境界があやふやになっていく。
曖昧になっていったのは、肉体の境界だけではなかった。それが現実なのか夢の中の出来事なのかすらも判別できなくなって。
ミリアは自分の体とともに、ギギの体を感じていた。そして、心も。二つの体。二つの心。それら全てが境目を失って一つになっていく。
彼女はギギの心の深部に沈んでいる恐れや、寂しさや、辛さを自分の内部に、自分の一部として感じた。
そして、彼女はキコジのことも考えていた。
彼女は、後悔していた。キコジに何もしてあげられなかったことを。処分される前の晩に、彼に対して何も与えられなかったことを。そのことを悔やみ、苦しんでいた。
負の感情が増幅され、ミリアの意識を引き裂いていく。耐え切れなくなり、彼女は、ああ、ああ、と大きな声をあげた。それは悲鳴に近かった。
その時の彼女の心を支配していたのは、絶望だったのかもしれない。
二人は半ば反射的に互いの体を突き放した。なぜ同時に拒絶したのか、その理由は二人にも分からなかった。ただ、拒絶したいのは相手ではなく自分自身なのだということに、ミリアもギギも気付き始めていた。しかし、どうやっても自分から離れることはできない。それがどれほど醜いものであっても。だから。
ギギはうなだれたまま自分の部屋に帰っていった。
それから一週間ほど、二人は口を効かなかった。決して嫌いになったわけではない。恥ずかしさと、戸惑いが入り交じった不思議な気分。
リビングルームで顔を合わせても、向かい合って食事をしていても、黙っていた。食事を終えると、自分たちの部屋に帰っていく。そんな日々が続いた。
ある日、ギギが先に夕食を食べ終えて立ち上がった時、外から大きな衝撃音が聞こえた。
それは音であり、同時に振動でもあった。部屋全体が、あるいはシェルター全体が揺れ動いた。人口音声による警報が聞こえた。
〈警告:下層への非難を行ってください〉
二人が生活していたのは、最も地上出口に近い上層部だった。おそらく、何らかの攻撃を受けて、シェルターの構造にダメージが発生したのだろう、と二人は思った。
「行こう」
ギギはまだテーブルに座ったままのミリアを見下ろして言った。はっきりと。
彼女はすぐにうなずいて立ち上がった。ギギはミリアの手を握り、ミリアも彼の手を握り返した。
運搬用のエレベーターは動作していたが、この状況で使うのは危ないだろうとギギが言った。途中で止まって出られなくなるかもしれない。非常階段を使おう、と。
てきぱきと判断していくギギを、ミリアは不思議な気持ちで見ていた。
それは初めて見る姿だったから。ギギは自分よりも一つ年下。だから血はつながっていないけど弟だと思っていた。いつも一緒にゲームをして遊んでいる仲の良い弟だと。でも、今のギギは違った。彼女の手を引き、彼女を導き、何とかして二人一緒に生き延びようとしている。
非常階段のドアを開けた瞬間に、建物の中が真っ暗になった。廊下や室内の明かりが消えた。壁に組み込まれているモニター用のディスプレイも全て消えた。主電源が停止したのだ。直後に非常灯が付き、電力がバックアップシステムに切り替わった。
「外部からの電力が切れたんだ」
「攻撃されたの? もしかして街が破壊されたの?」
「分からない。電力システムが爆破されたのか、単にどこかの送電線が切れただけなのか。非常電源が作動しているうちに移動しよう。ドアをロックされるとまずいから」
「下に降りるの?」
「そうしよう。とりあえず下層に行こう。核シェルターだから、少々のことでは壊れないはずだけど、もう古いからね」
「下って、このシェルター、地下何回層まであるの?」
「俺も知らない。でも、一番下まで行く必要もないと思う」
「そうなの?」
「うん。とりあえず、何階層か降りて、様子を見てみよう」
ミリアはギギの後ろについて、シェルター内を垂直に伸びている円柱構造の、内側に設置された非常用の螺旋階段を下へ下へと降りていった。
ギギは階段の脇にある水平通路へと進んだ。螺旋階段はまだ下へと続いていたが、そこよりも下位層は非常灯すら消えて真っ暗だった。
「ここは発電システムの制御ルームだね」
ギギは、ドアが開いたままになっていた薄暗い部屋の中のコンソールを見ながら言った。非常用電源で動作しているらしく、ディスプレイには機器の状態が表示されていた。
「これはプラズマ制御システムだよ。ここには核融合炉があったんだ」
「今はもう動いていないの?」
「みたいだね。シェルターを放棄する時に、停止したんだろう。施設として再利用し始めた時にも、発電システムは再稼働せずに、外部の電源だけを使うことにしたんだろうな」
ミリアとギギはその制御室らしき部屋の床に、並んで腰を下ろした。激しい振動はまだ続いていた。
「近くで戦闘が起きているんだろうな」
「このシェルター、壊れてしまうの?」
ミリアはギギに尋ねた。
ギギは少し笑いながら、
「大丈夫だよ。ちょっと古いけど、核シェルターなんだから。少しぐらいの爆発では、壊れたりしないよ」
「そうなの?」
「うん。でも、壊れるんだったら、都市もみんな壊れてしまえばいいんだよ。住人もみんな死んでしまえばいいんだ」
「どうして? どうしてそんなことを言うの?」
ミリアはギギの投げやりな言葉にどきりとした。
「全部壊れてしまえばいい」
ギギの声が真っ黒い毒を帯びているようにミリアは感じた。その毒が何もかもを腐らせていくような。ミリアは、なぜギギはそんな残酷なことを言うのか理解できず、しばらく黙っていた。
すると彼は、ミリアの方を見ようとはせず、うつむいたまま、小さな声でつぶやいた。その声音には、さっきまでのような陰湿な雰囲気はなかったが、その代わり、彼の表情は何かしら苦しそうだった。
「俺、今度、臓器提供しなきゃならないんだ」
「そうなの?」
「ああ。俺はもう駄目だよ」
「そんなことないよ。私なんて、もう四回も臓器提供してるけど、ちゃんと生きてるよ。ギギは初めてなんでしょう。だったら大丈夫だよ」
ミリアはギギの手を握った。ギギは少し震えていた。
「でも、俺は駄目だよ」
「どうして? 私なんか、この前、心臓を提供したんだよ。再生するまで、ちょっと大変だったけど、それでも大丈夫だったよ。だから、ギギも大丈夫だよ」
でも、とギギは同じ言葉を繰り返した。しかしその後、言葉が続かなかった。
「ねえ、どうしたの? ねえ、どの臓器を提供するの?」
ミリアの質問に、ギギは低い声で答えた。
脳なのだと。脳細胞を提供するのだと。
ミリアもギギも、自分たちの〈オリジナル〉がどんな人間なのか知らない。遺伝子が同じだということ以外は。それでも、脳細胞を提供するということから、彼の〈オリジナル〉は今特別な状況なのだろう、とミリアも感じた。
「きっと、認知症なんだろうなあ」
ギギは点滅しているディスプレイの方へ視線を向けながら、
「だから、脳細胞を移植して、老化を防止するんだよ。おそらく、もう年寄りなんだろうな。おじいちゃんなんだよ。俺はボケ始めた老人のために、脳細胞を提供するんだ」
そう言ってから彼は笑った。ミリアはじっとギギの顔を見つめていた。
「俺も、都市に行けるらしいよ」
まるで、ミリアを励まそうとしているかのように、明るい声だった。
「手術が大変だから、都市の病院に行かなきゃいけないんだって。俺、初めてだよ。外に出るの」
良かったね、私だって、一度も出たことないもん、と言って微笑もうとしたが、ミリアは声が出せなかった。頬を流れ落ちる涙が止まらない。
彼女は不安で仕方なかった。
「ねえ、脳細胞を摘出したらどうなるの? だって、また再生させるんでしょう」
「ああ」
「都市の病院に行っても、元気になって戻ってくるんでしょう」
「多分、そうなると思う」
「じゃあ、私は待ってればいいんでしょう」
「でも、駄目かもしれない」
ギギははっきりと言った。
「駄目って、何が?」
少し間を置いてから、ギギは説明した。
脳の広い範囲の細胞を取得するので、組織を再生したら記憶が消えてしまうのだと。だから、元気になって戻ってきても、もうミリアのことを覚えていないのだと。それどころか、自分がギギだということも忘れてしまうのだと。
「ギギ、いなくなっちゃうの?」
「大丈夫だよ。全部忘れてしまうかもしれないけど、その時は、ミリアが教えてくれればいいんだよ。俺はギギだって。そうしたら、もう一度覚え直すから」
ミリアは暗い床を見つめたまま黙っていた。
「それに、俺は俺だよ。自分のことを忘れちゃって、自分が誰なのか分からなくても、そいつもきっと、ミリアのことを好きになるよ。俺は俺だから」
「でも、もう、ギギじゃないんでしょう」
そうかもしれない、と彼は思った。俺はもう俺じゃなくなるんだ、と。
ギギは何か答えようとして必死で考えたが、何も頭に思い浮かんでこなかった。俺は俺でなくなる。そう思った瞬間に、ギギの思考は行き詰まってしまった。
二人は長い時間、薄暗い制御室で沈黙していた。攻撃が終わったのか、激しい揺れも止んだ。部屋の中は静かだった。
突然、ギギが立ち上がって、何かをしゃべり始めた。それは意味のある文章ではなく、言葉ですらなかった。ただ声を出しているだけだ。ただ叫んだり、喚いたりしているだけだ。
ギギの心が狂い始めているということは、ミリアにも理解できた。きっと辛いんだ、と思った。代われるのなら、代わってあげたい、と。
彼は制御室の中を行ったり来たりした。
ミリアはどうすればよいのか分からないまま、自分も立ち上がり、彼にすがりついて、その行動を止めようとした。でも、ギギはミリアの手を振り払い、やはり意味も無く部屋の中を急ぎ足でせかせかと歩き回った。
時々、立ち止まっては、大きな声を出した。
それはもはや人間の声ではなかった。獣の遠吠えのような音を喉から出した。上半身を揺らしながら叫んでいるギギの体を、ミリアは強く抱きしめて、何とか落ち着かせようとした。
それでも、ギギは部屋の中を歩き回っては叫ぶという行為を繰り返し続けた。とうとうミリアも、ギギと同じように大きな声で叫び始めた。まるで彼女にも狂気が移ったかのように。
二匹の獣の声はシェルターの中に響き渡ったが、それは誰にも届かない。誰にも届かないと分かっていても、二人は自分たちの行為を止めることができなかった。
やがて、疲れて座り込んでしまったギギの体を、ミリアは包み込むようにして優しく抱きしめた。
二人は一つになりたかった。
どうすればいいのか知らない。それでも、少しでも互いに近づこうと。
ミリアは思った。服なんか邪魔だと。肌と肌で触れ合えばもっと近づけると。彼女は必死でギギの服を脱がし始めた。剥ぎ取るように。ギギは少しも嫌がらなかった。彼にも何となく理解できた。だから、ギギもミリアに対して同じことを。
二人で裸になると、床の上で抱きしめ合った。互いの体を強く押し付け合う。床の上を転がりながら、ミリアが上になってギギを床に押さえつけたり、逆にギギが全身の体重を彼女にかけたり。
二人の息が荒くなり、二人の肌は汗だくになり、二人の体が熱くなっていく。
やがて、ミリアはギギを自分の体内に感じた。
4
翌日、ギギは都市の病院へと連れて行かれた。
ミリアは一人になった。部屋の中で寝ている時も、共用のダイニングルームで食事をしている時も、大きなスクリーンの前でゲームをしている時も一人だった。
一ヶ月が過ぎた。ギギは帰ってこない。
何があったのだろうか、とミリアは食事をしながら思った。
移植手術に失敗したのだろうか。脳へのダメージが大きすぎて、ギギは再生できなかったのだろうか。あるいは、手術中にトラブルが起きて、〈オリジナル〉が命を落としたのかもしれない。それで、もう不要になった彼は処分されてしまったのかも。
分からない。
でも、帰ってきてほしい。
たとえ、記憶を失っていても。
彼女は食事を終えて部屋に戻ると、スクリーンの前に座ってゲームを起動した。ギギと二人でやっていたゲーム。しかし、コントローラーに手を触れようとはしない。ただ、初期画面が表示されたり消えたりするのを眺めているだけだ。
それでもミリアの心の中では、ギギと一緒に騒いだ時の記憶が蘇っていた。キャーキャー悲鳴をあげながら競い合ったこと。勝負がつくと互いに言い訳をして口喧嘩をしたこと。負けても勝ってもまたゲームを始めたこと。
ミリアはVR用のコネクターを取り出して、自分の脳をAIに接続した。一瞬で視界が切り替わった。彼女を取り巻く美しい景色。広大な夜空を覆っているオーロラ。キコジと一緒に眺めた夜の風景。紫色や緑色に輝いている光の帯が、静かな湖面にも映っている。しかし、そこにはもうキコジの姿はない。
画像を消そうとすると、AIが類似した情景を彼女に勧める。夜空から舞い降りる雪が一面に降りしきっている街。雲よりもずっと高い山頂から眺める無数の流星。暗い洞窟の岩の割れ目から微かに見える星の輝き。
どれほど綺麗な情景を見ても、感動することはなかった。大切なのは景色ではない。一緒にいること。ギギ。キコジ。
彼女はコネクターを外して、ベッドの上に横になった。
長い時間、目を開いたままじっとしていたが、彼女は何も見ていなかった。ただ、時折、頭の中に記憶が浮かび上がってきては消えていった。
ミリアは生きる気力を失っていった。
彼女は食事をしなくなった。
それでもリビングルームに行くのは、監視されているから。規則を破って食事を取らないと、処分されるかもしれないから。彼女はとりあえず皿の上の食べ物を胃の中に押し込んだ。部屋に帰ってから、全てトイレで吐き出す。
嘔吐している姿も管理システムで、チェックされているかもしれない。そうでなくても、次第に痩せ細っていく彼女の体の状態を見れば、栄養を適切に摂取していないことは一目瞭然だった。何らかの判断が下されるのは時間の問題だろうとミリアは思っていた。
無気力な彼女も時々、ネットを使って、都市の情報を集めることがあった。街の大きさや人口、幹線道路の地図、高速鉄道のステーションの動画、流行の店の紹介。
ミリアはまだ何かを期待していた。ギギのこと。
このシェルターから連れ出される時に、ギギはどういう気持ちだったのだろう。初めて街を見た時にはどう思ったのだろう。
煌びやかな光の点滅に幻惑されたのだろうか。大勢の人間に驚いたのだろうか。高い建物にうろたえたのだろうか。
それとも、寂しかったのだろうか。一人になってしまったことが。
今ギギはどこにいるのだろう。会いたい。
私も寂しい。
それから半年後、事故が発生した。都市の地下にある核融合炉が暴走したのだ。ミリアは会話モードでAIに尋ねた。
何があったの? 核融合炉って安全なんでしょう?
『そうです。ウランなどの不安定な原子を使った昔の原子炉と違って、重水素やヘリウムといった安定した原子を利用していますから。連鎖反応が起きません』
じゃあ、どうして?
『詳細は分かりませんが、炉に異常が発生したにもかかわらず、制御システムが発電を止めようとしなかったようです。そのせいでプラズマのディスラプションを増大させてしまい、高温物質が外部に放出されてしまいました』
それが事故の原因なの?
『はい。そういう意味では、今回の被害はほとんどが二次災害によるものです。核融合炉の安全性を過信しすぎていたのか、近くに化学プラントが幾つもあり、隣接する工場施設で誘爆が起きました。そのせいで……』
もしかしたら……、とミリアは思った。それは、ある種の予感だった。
もしかしたら、自分の〈オリジナル〉も怪我をしたのでは。そして、自分の臓器がまた摘出されるのでは。
その予想は正しかった。事故の通報直後に連絡が入った。
緊急手術が行われると。
しかし、管理アンドロイドによってミリアが誘導されたのは、いつもの医療ポッドではなかった。移植手術のために、彼女の肉体をそのまま都市の病院へ運ぶと。事故による〈オリジナル〉の肉体の損傷が激しく、多くの臓器を移植しなければならない。そのために、彼女を肉体ごと病院に運ぶしかないのだと。摘出手術と移植手術を同時に行うのだと。
アンドロイドとともに、放射能防御シールドのついた移動用車両に乗り込んだミリアは、緊張していた。これまで一度もシェルターの外に出たことがないから。移動用車両など乗ったことがないから。
しかし、彼女が感じていたのは緊張だけではなかった。恐怖。これから起きることに対する恐れ。それと同時に、かすかな希望も持っていた。
ギギと同じように自分も街を見られるのかもしれないと。ギギが見たものを自分も。そして、ギギと同じことを感じられるのかも。それが、ミリアに残されていたわずかな希望だった。
でも、その望みが叶えられることはなかった。
移動用の車両に外を見るための窓など無かったのだ。全面を厚い保護膜で覆われていて、それはまるで全自動で移動する巨大な金属製の卵だった。車両は病院施設の内部にまで入り込み、車両ごと運搬用エレベーターで手術室の近くまで運ばれた。
……ギギも同じだったのかな……外が見られると期待していたから、きっと、がっかりしたんだろうなあ……かわいそうに……
施設の内部に運び込まれたミリアが目にしたのは、シェルターと同じような医療処置室だった。壁全体に医療用の機器がはめ込まれ、楕円形のポッドの周囲には手術専用のアームが何本も取り付けてあった。
ここで処置されるんだ、と彼女は思った。
AIが彼女に術式を説明した。移植対象の臓器。全身の皮膚、血管、筋肉、肺、腎臓、腸……。人工音声が摘出される部位を説明する。それはいつまでも終わらない。彼女は思った。全身が移植対象なのだと。
すぐに手術が始まった。
切り取られた皮膚の代わりに、薄い樹脂が貼られた。摘出された循環器の代わりに、体の外で血液を制御し始めた。血中の酸素の濃度も、糖質の量も、ホルモンの種類も、機械で調整された。
ミリアは思った。
私は生きている。でも、もう私の体は限界。
摘出した臓器の代替を機械が行う。でも、これは私が生きるための処置ではない。全ての臓器を摘出するまで肉体を維持するための対処。その証拠に今回の手術の手順には、再生用の細胞の移植がない。もう私の体は再生しないんだ。再生しない私の体はもう不要になる。
ミリアは自分の臓器が摘出されるたびに、自分が人間ではなくなっていくような気がした。私はまだ人の形をしているのだろうか。私はまだ私なのだろうか。
しばらくすると、手術は終わった。
一部の骨格と筋肉以外はなくなって体内は空っぽになり、人工皮膚で覆われてかろうじて手足の形を保っている肉体が、そこに残っていた。
……これが、今の……私……
彼女に残された臓器でまともに機能しているのは、脳と眼球だけだった。
だから考えることはできた。そして、周囲を見ることも。しかし、それはとても残酷なことだった。
今の彼女が考えるべきことなどあるはずがないのだから。全身を失った彼女に想像できることと言えば、これから自分がどうやって処分されるのかということだけだ。そして、今の彼女に見ることができるのは、ほとんど中身のない肉体だけ。
そこに残っているのは、苦痛だけだった。
その夜、ミリアは眠っていた。部屋が暗くなったから眠ったのか、麻酔の効果によるものだったのか、あるいは脳が機能を失い始めているのか、ミリア自身にもよく分からなかった。
深夜に、ふと目を覚ました。
誰かがポッドのそばにいるような気がしたから。
目を開けて周りを見回した。一瞬、自分がシェルターに戻ったのではないかと錯覚した。その誤解は彼女に少しだけ希望を生み出した。
……私は帰ってきたんだ……
……もしかしたら、私はまだ生きられるのかもしれない……きっと、たくさんの臓器を摘出しても、大丈夫なんだ……たくさん幹細胞を移植すれば……たくさん幹細胞を移植して、たくさん臓器を再生すればいいんだ……それだけのこと……
……だって、私自身がクローンなんだから……そもそも、私の肉体は幹細胞から再生されたものなんだから……全身を再生できるんだから、たくさん臓器を再生することだってできる……今の私だって再生できる……きっと、そう……
……私は再生する……きっと、その処置のためにシェルターに戻されたんだ……また、半月か一ヶ月か……このポッドの中で過ごせば、元の体に戻れる……
でもすぐに、そこがシェルターの処置室ではないと気付いた。部屋の大きさが違う。医療用の機器が違う。壁のコンソールの配置が違う。
それは紛れもなく、病院の処置室。事故が起きて緊急手術のために輸送された場所。
ミリアはまた暗い病室の中を見回した。
もうミリアはポッドの中にはいなかった。全身が医療機器に接続されていたものの、カプセルの培養液の中ではなく、ベッドの上に横たわっていた。
ああ、再生処置は行われていないんだ。やっぱり私は再生できないんだ。
ベッドのそばに人の姿があった。誰かが座っている。誰だろう。そう思って、人影の方に視線を向けた。
それはギギだった。
ギギはミリアをじっと見つめていた。
ギギだ。ギギが生きてたんだ。よかった。
「ギ……ギ……」
彼女が呼びかけても、ギギは返事をしない。脳細胞を摘出されたギギは、全部忘れてしまったんだろう。そう思うと悲しかった。それでも。
彼女はもう一度、声を出した。
「ギギ…………ギギ…………」
やはり、彼は反応しない。
自分の名前も忘れちゃったんだ。じゃあ、私のことも、もう覚えてないよね。何もかも忘れちゃったんだよね。
一瞬、彼女は腹が立った。
ギギにこんなひどいことをした〈オリジナル〉や組織の人たちに対してではなく、ギギ自身に対して。
ねえ、私のことを忘れてしまったの?
あの日、私たちは一つになったのに。やっと、一つになれたのに。それなのに、私のことを忘れたんでしょう。
じゃあ、ここへ何しに来たの? 私はもうあなたとは関係がないんでしょう。
ねえ、何をしにここへ来たの?
こんなみじめな姿になった私を見て笑いたいの?
笑いたいなら、笑えばいいじゃん。さあ、笑ってよ。
もうあなたと一緒にゲームをして遊んでいたころの私じゃないのよ。私の気持ちも考えてよ。
こんな姿、見られたくないの。
出て行ってよ。もう出て行って。ねえ、どっかに行ってよ。
ミリアはそう叫びたかった。自由に声が出せるのなら、大声でそう怒鳴りたかった。
でも、ミリアは黙っていた。
声が出せないどころか、息さえ自分の力ではできない。こんな体では、大きな声を出すことさえできない。でも、ミリアがしゃべらない本当の理由は違った。体のことではなかった。ギギに腹が立ったのは事実だったが、そんな汚い言葉をギギに言いたくなかった。
ギギ、ごめんね。ギギが悪いわけじゃないんだよね。
私のことを忘れちゃったのかもしれないけど、あなただって、苦しかったんでしょう。あなただって、寂しかったんでしょう。
それに、今でも寂しいんだよね。だから、私に会いに来たんだよね。
私、知ってるよ。ギギは寂しがり屋。
もう私のことを忘れちゃったのかもしれないけど、それでも、私に会いに来たんだよね。
ミリアはそっと指を動かした。まだ、自分の皮膚が爪のまわりに少しだけ残っている指を。
それに気付いたのか、ギギは彼女の手に触れた。それから、彼は両手で彼女の手を包み込むようにして握った。
ありがとう、ミリアは心の中でつぶやいた。
AIが再びミリアに対する処置を始めた。
一瞬、まだ臓器を摘出するのだろうか、とミリアは思った。もしかしたら、また幹細胞を移植して再生処置をしてくれるのかもしれない。そんな期待も。
しかし、
AIが始めたのは〝処分〟だった。
〈医療メッセージ〉
〈M:バイタル確認:異常なし〉
〈D:血中酸素飽和度:正常〉
〈D:血流速度/血圧:正常〉
〈M:痛覚停止処置:開始〉
〈M:脳機能停止処置:開始〉
ギギはまだ横に座っていた。何が始まったのかを理解しているようだった。
彼は片方の手でミリアの手を握ったまま、もう一方の手でミリアの頬に触れた。彼女も彼の手に自分の顔をすり寄せるようにして、肌を触れ合わせた。
ミリアはなぜか、次第に気分がよくなっていった。何となく不思議なほど幸せな気分だった。
それは単に投与された薬物のせいだったのかもしれない。あるいは、脳が機能を停止していくなかで、誰もが経験する一種の臨死体験のようなものだったのかもしれない。
しかし、ミリアは思った。ああ、気持ちいい。きっと、これはギギが一緒にいてくれるからなんだよね。
建物が微かに揺れた。
近くで爆撃があったのかもしれないとミリアは思った。敵が遠隔ドローンを利用して攻撃してきたのだろうか。それともこれは国内のエリア間での争いなのだろうか。一体、人は何と戦っているのだろう。どうして、いつまでも戦争をしているのだろう。
せっかく核融合技術を完成させて使い切れないほどのエネルギーがあるのに、あえて格差を作り出すために互いの施設を攻撃し合っている。
どういうことなのだろう。
いや、奇妙なのはそれだけじゃない。永遠の寿命を手に入れたはずなのに、人は傷つけ合い、殺し合っている。
何をやっているのか理解できない。
でも、今のミリアにとって、もはやそんなことはどうでもよかった。なぜなら、もう終わりの時間なのだから。
ミリアはギギの手の温かさを感じながら思った。ギギがそばにいてくれてよかった。ギギがいてくれたから、最後の時間を安心して過ごすことができた。
その時、突然、ギギが立ち上がって大きな声を出し始めた。
ミリアはびっくりした。何が起きたのだろうか、と。
ギギは何かを叫んでいる。いやそれは言葉ではない。まるで獣が吠えているような声を出した。悲鳴にも似た声を。
ああ、あの時と同じだ、とミリアは思った。脳の手術を受ける前にも。記憶を失ってしまうと知った彼は……。自分の状況に耐えられず気が狂ってしまった彼は……。
あの時と、同じ。
きっと、苦しいんだね。辛いんだね。
私のことを思ってくれているんだ。だから。
ミリアはじっと、部屋の中を歩き回っているギギを見つめていた。
ギギはしばらく大きな声を出していたが、やがてうなだれ、また、ベッドの横の椅子に座った。そして、再び彼女の指に触れ、彼女の頬にそっと……。そして、じっと見つめながら……
「ミ……リ……ア……」
ギギの声。ギギがミリアを呼ぶ声。
彼女は応えようとして。
最後の力を振り絞って、ギギの手を握りしめた。自分の気持ちを伝えようと。もう声を出せないけど。
ありがとう……。覚えていてくれたんだね。私のことを。ありがとう。
ミリアはゆっくりと微笑んだ。
たとえ、ほとんど顔の筋肉を動かすことができなくても、ギギには伝わった。彼もまたミリアをじっと見つめながら微笑んだ。
再び建物が揺れた。
ああ、戦争してるんだね。私には何にも分からないけど。
人は無意味な戦いをしている。そう思っても、不快ではなかった。彼女はむしろ、愉快な気分になった。この世の全てのことが、架空の出来事のように思えた。
〈医療メッセージ〉
〈M:呼吸器/機能停止処理:開始〉
〈M:循環器/機能停止処理:開始〉
〈D:血中酸素飽和度:低下中〉
〈D:血圧/心拍数:低下中〉
もう終わりなんだ、と思った。私という時間が終わっていく。私は今からキコジのところへ行く。だから、寂しくはない。
ギギの方に目を向けようとしたが、もう眼球が動かなかった。
ミリアは心の中で思った。
ギギ、ありがとう。今、私、幸せだよ。
孤独なクローンたち 八雲 稔 @yakumo_minoru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます