腐れ水
ブロック造花のブーケ、というものがある。組み立てる必要があるから、ただの造花と違って手軽ではない。自分で作ったという感慨があるから、ただの造花より洒落ているように見える。それを贈られたのは、去年の夏だった。京香は社会に出てもう2年。俺は大学を休学してから、3年が経っていた時だった。
「あなた、花瓶の水とか替えられなさそうだし」
1Kのベッドに腰かけて彼女は言った。そういうものがあるんだと思って調べたら7000円ぐらいするらしい。花束としては目玉が飛び出る金額だ。「ちょっと、目の前でいくらか調べるのデリカシーなさすぎ」と叱られ、それもそうだと思って「ごめん、ありがとう」と言った記憶がある。のに、なんで別れたかは覚えていないのが不思議なところだ。
組み立てたところまではよく覚えている。なにせ貰ってから2か月かかった。1週間後に「そろそろできた?」と連絡が来て、ビニールの包装だけ急いで剥がして「ポリネシアン組み立て中」と写真で返した。「だろうと思った」と言われて、ようやく箱を開ける気になった。途中の、
「ポリネシアンポリネシアンって、ゆっくりやってることの代名詞みたいに使われるポリネシア人がかわいそうじゃない?」
「京香は日本式労働に忙しそうだもんな」
「どういう意味」
「忙しそうってこと」
という軽口も覚えてる。覚えてる。実際、連絡は取りあっていたものの、彼女が家に来る頻度は少なくなっていた。俺はバイトしながら翌年から大学に復学する準備を進めていて、温めすぎて腐っていた卒論を教授に添削して貰っていたから、お互いのタイミングが合わなくなっていたのもある。ようやく華やかなブーケが完成した頃には、秋になっていた。複雑怪奇なブロックの組み合わせに単純に苦戦していたというのもある。1本完成したあとに変な形のパーツが余って、最初につないでいないといけなかった部分だと知った時、握りつぶす勢いで分解したりした。「少年の日の思い出」の主人公の、最悪の逆恨みバージョンみたいな気分だった。
完成して、それっぽくまとめて写真を送信した。花瓶なんて大層なものは家にないから、大きめのマグカップに差して送った。
「やっと本当にありがとうって言えるところまできた」
「あなたのそういうところ、結構好き」
本当になんで別れたのかを思い出せない。今俺はギリギリで大学を卒業して、なんとか就職を果たし数年間日本式労働に勤しんでいる。明日から月曜で、スーツに身体を通さないといけないのを考えると、もうなんでもいい気がしてきた。カーテンレールに無造作にかけたスーツに目をやると、夕陽の逆光でカーテンの向こうにブーケのシルエットが見えた。出来立ての記憶と違うその影の形に、思わず駆け寄って見ると、ブロックの形が歪んで、枯れている。猛暑の熱で溶けたか定かではないが、それはどうしても枯れているように見えた。写真を撮って、彼女に送る。
「お前の言ったように水やれなくて枯れちゃったよ、ごめん」
既読がつくはずもないそれを、ずっと眺めていた。
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