彼の夢

※注釈

ジルバ29歳ミスティア25歳です。


 金曜日、目覚めは最悪だった。今日行けば休みだから、なんてのは癒しにもならない。何故なら昨日、最悪な情報が舞い込んで来たのだ。


 普段都内でOLをしてる私は好きでもない、給料に見合わない仕事を振られて常に疲弊していた。転職するのも面倒で、まだ仲が良い方の同僚と仕事の愚痴を溢してランチの皿を汚し合い、休みの日には平日の疲れを癒すだけで終わる、そんな面白味のない毎日を送っていたのだ。


 そんなうだつの上がらない私に癒しができた。半年ほど前にニュースで流れた青年だった。彼は××財閥の御曹司で病に倒れた父親から変わって大きな会社を背負うことになった。その就任会見の一幕が流れていたのだ。コメンテンターによるとまだ30歳前で、濡れ羽色の波打った髪と筋の通った整った顔立ち、スラッと伸びる手足はスーツがよく似合った。受け答えも若さが目立つが、それは悪目立ちではなく、若さ故のエネルギーが感じられるもので、概ねの世間の印象はいきなり大役を背負った好青年、というものだった。


 特に女性からの印象は異質を極めた。顔立ちの良さと雰囲気からSNSのトレンドは「就任会見」「××財閥会見」「ジルバ社長」と8割がたがその会見を、ニュースを見た女性の射貫かれた心が可視化された。


「今からでもいいから芸能界に入ってくれ」

「絶対若い頃スカウトされてるでしょこれは」

「仕事できそう。××財閥の会社に転職したい」


 なんてポストが並び、それは半年経った今も下火ながら続いていた。まぁそんな熱を上げる女のひとりが私なんだけど……。

 彼は芸能人ではないから個人のSNSアカウントなんて持ってないし、表舞台に立っても写真が残されるのみで、その供給だけを頼りにしていた(1度もともと株主だったファンが総会に参加してレポを上げてくれたときは祭りだった)。


 そうして半年経ち、下世話な週刊誌からいらない供給が出されたのだ。

 そのタイトルも


『××財閥の若きイケメン社長、金髪美女とホテルで朝まで濃厚密会』


 ハートマークが散りばめられた文句に、これだけで何が書いてあるのか大体分かる。いくら好青年と言えど彼も男だ。そういうことも起きる。だがそれを帰りの電車のトレンドで見つけ、夜が深くなるにつれてそのトレンドは「イケメン社長」「金髪美女と濃厚密会」「××財閥」から「ショック」「美人局」と増えていく。


 彼に射貫かれた同士も「彼は芸能人じゃないし……、でも金髪美女は似合わないから清楚な子にして欲しい」や「裏切られた気分、美人局にやられるような軽薄な人とは思わなかった」や「彼女じゃないの? いてもおかしくない年じゃん。彼の幸せを祈ろうよ。その金髪美女に対して誹謗中傷する人はどうなの? 開示請求されたら1発でアウトよ。金は持ってるだろうしやるとこまでやられるよ」なんてものが溢れ返った。


 有料記事も全て目に通し、女性をエスコートする笑った彼がスクープ写真として記事の半分を埋め尽くしている。


 記事もそうして2人でホテルの1室に入り、朝まで出てこなかった、と書いてある。もうこれはそうだろう。来週にはこの金髪美女の素性がほんのりと開示されてまた私たちは踊らされるんだ。


 そして現在いまに戻る。昨日はそんな憶測が飛び交ったSNSにかじりつき、就寝時間は大幅に後ろ倒しになったし、更にブルーライトの洗礼で寝付きも寝起きも悪い。そんな最悪な金曜日の朝を迎えたのだ。


 一晩経ってもまだトレンドにはその話題が残っていて今度は「パパ活」なんて言葉まで出てくるようになっていた。

 フォローしている財閥の企業アカウントはまだ黙りで、一番最新の投稿(と言っても木曜日の朝の投稿だ)である自社のPRには説明を求める引用が付けられている。


 もう、見るの止めよう。ポケットにスマホを捩じ込んで出社する。お昼休みにスマホを見ると企業アカウントには1枚の画像が投稿された。よくある謝罪文だった。社会を混乱させたことのお詫びと、報道された女性のことは社長である彼直々に釈明させてもらうと記されていた。そしてニュースサイトからも「××財閥夜8時より臨時の会見を実施 週刊誌による女性問題の件について」と通知が来た。


 またもやSNSは荒れ狂う。行動の早さを讃えながらも煙に巻かれるだけじゃないかという声が多かった。実際そうだと思う。例え本当に彼とその金髪美女が真っ当な関係だったとしてもそれを調べ上げて隅をつついていくのがマスコミのやり口だ。それに一晩経ったSNSはもう金髪美女の特定に大忙しだ。さまざまな憶測が飛び交ってどれが事実なのか、それとも全部嘘なのかもう分からない。


 でも、みんなひとつだけ分かっていることがある。普段こうしたテレビに出ない彼が顔を出して自分の言葉で話すという最高の供給が来るということだ。だから私もみんなも、時間には家に帰ってテレビを付けていた。と言っても週末の金曜日、地上波での中継はないので、動画サイトのLIVEをつけた。まだ始まっていないので彼が立つであろう壇上の机の上はマイクで埋め尽くされていて、今か今かと記者たちも私達も彼を待った。


 教えて欲しい。彼女は何者なのか、恋人なのか行きずりの女なのか、騙されたのか、利害が一致した不純な関係なのか、それを教えて欲しかった。


 一瞬のざわめきに顔を上げると、画面の端から彼があの就任会見の時のように背筋を伸ばして壇上に登った。たくさんのフラッシュが焚かれて彼の頬も髪も光の砲弾を浴びたように光っている。

 まず無言で一礼した彼は、ようやくマイクの前に立った。何か話すが、マイクの位置が悪いらしく係の者の修正をかけてようやく会見が始まった。


「本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。そして、昨日出ました報道に関しまして皆様をお騒がせしたことをお詫びします」


 彼は軽く一礼した。その瞬間フラッシュが焚かれるが、礼は3秒もなく、すぐに顔を上げた彼は変わらぬ顔つきで立っていた。LIVEのコメント欄を横に流していて、視聴者のコメントが流れ続けている。彼が席に着いて本格的に会見がスタートした。


「さて、報道にあった彼女ですが、学生時代からお付き合いさせていただいている女性でして、あの日は半年ぶりに顔を合わせる機会でした。もともと彼女とは家族ぐるみの付き合いで、幼い頃から知ってる間柄です。あの日も父の見舞いに来てくれたのです。そのあと、彼女とあのホテルで待ち合わせをしました。一部SNSでは美人局やパパ活ではないかと憶測が流れていますが、そのような事実は一切ありません」


 そう言い切ると、以上です、と終わってしまった。確かに彼の恋人ならそれ以外言うこともできないだろう。コメント欄もSNSも「彼女か」「むしろ彼女で良かった」と安堵の声と「医療従事者って特定されてたのほんと?」や「結婚考えてるのかな」と流れていく。


「質疑応答の時間になります」


 司会がそう切り出した。さて、問題はここからだ。彼は今、アイドル並みの眼差しを浴びている。下世話な質問が飛び交うぞ、と身構えた。画面の先に映る彼はいつもと変わらぬ顔で座っている。


「SNSではその恋人が医療従事者だと言われていますが事実でしょうか」


 スクープを飛ばした週刊誌とは別の大手ゴシップ週刊誌が名乗りを上げた。そして早速次のネタを拾おうと質問をぶつけた。


「事実です。先に断っておきますが、記者の皆様も今こうして会見を見ていただいている皆様も彼女の仕事を踏み荒らさないでいただきたい。彼女は信念を持って働いています。その場は命を脅かされた人が来る場所だ。問い合わせなどで電話が混線した場合、もしものことが起きることも十分考えられるでしょう。これは、彼女が医者であるということは関係なく、社会一般の常識として話しています。お願いします」


 コメントに「医者!?」「医者って言ったよね!?」「彼女医者なの!?」と流れていく。皆、医療従事者だと特定をうっすら信じて、でもそれは看護師だと私も思っていたのだ。思わず、強い、と声が漏れた。彼女が幾つなのか判断つかないが、パワーカップルなのは間違いない。


 そこからは今回の騒動に対しての会社としての対応や株価の話なんかの質問が飛んだ。記者の方も薄暗いやっかみができる関係ではないと思ったのだろう、比較的まともな質問が飛び交う。しかし私を含めた視聴者のニーズはそこではなく、その彼女の話だった。


「◯◯誌の△△です」


 コメント欄がまた荒れ狂う。今回のスクープを放った週刊誌の記者が質疑の名乗りを上げた。いつも下世話な記事を書いている雑誌の記者だ。下世話な視聴者の欲求を満たしてくれる質問をしてくれると期待を膨らます。


「恋人とのこと、誠実にお答えいただきありがとうございます。お相手は医師だと言うことですが、将来のことはどれほどお考えでしょうか」


「もちろん、将来を見据えています」


 静かに言った言葉に思わず息を飲んだ。それは今までとは違うと、そう感じさせるものだったから。


「お相手のお仕事を考えると難しい部分も多いのでは?」


「――承知しています」


 一瞬、見たこともない色に彼の顔が曇った。彼の仕事上、その彼女は仕事を諦めなければならないだろう。この半年で集めきった情報で考えると、彼の伴侶は間違いなく仕事なんてすることはできない。


「ですが、私は彼女に夢を諦めて欲しくないので、その部分も合わせて話をしています。私には――彼女のように夢を持つことが叶わなかったので」


 しん、と静まり返った。


「――彼女とお付き合いを始めたとき、まだ彼女は高校生だったんですけど……医者になりたいと私に打ち明けてくれました」


 コメント欄も「10年も前じゃん……!」と驚嘆の声が上がる。そんな反応を知ってか知らずか彼は続ける。


「――羨ましかった。私にはこの道しかなかったから。彼女の無限の可能性があることが本当に羨ましかった。だからは、彼女に夢を託したんです」


 株主総会のレポでもあった。まだ若い彼は素が出ることがあって、一人称が俺になると。だからか、今の言葉は本当の彼自身のものだとアリアリと分かった。


「昨日、何度も悩みました。俺のせいで彼女の夢が途切れてしまうのなら身を引こうかと思いました」


 彼女に叱り飛ばされましたけど、と笑う。見たこともないそんな顔に釘付けになる。彼は生まれたときから恵まれていた。なんでもやりたいことはできた、最高の環境だろう。だから、その顔は立つ姿は完全無欠の石膏のように美しかった。でも、今画面の先にいるのは弾力がある生身の人間だ。私と2つしか年の違わない、己の人生に悩み、悶えるただ一人のちっぽけな人間だった。


「俺は優れた人間でもないし、むしろ情けない人間だから、こんなお願いしかできません。どうか彼女のことを詮索することはやめてください。彼女の夢を途絶えさせないでください」


 思わず涙が流れた。立ち上がった彼が頭を下げた。彼はこの立場から逃げることはできない。彼女を守りきる自信もない。だからこうして矢面に立って懇願するしかないのだ。彼女を、全てを託した彼女の夢をどうか、と。


 誰も話さなかった。コメントだけが流れていく。


「本当に好きなんだな」

「確かに将来の夢なんて描けないよな、その家に生まれたら」

「なんだか泣けてきた。急にこんな重荷を背負ったんだもんな。押し潰されずによくやってるよ」


 同情とも取れるコメントが流れていく。


「……ありがとうございます」


 記者がもう何も言えなくなってしまったのか話を閉じてしまった。頭を上げた彼が席に着く。そして思い出したように声を上げた。


「あと訂正するとしたら濃厚密会なんてしていないので」


 あの日は手を出してません、と言い放った。


「ふ――っあの日って――っ」


 思わず笑ってしまった。コメントも「あの日は?」「あの日はって言った?」「いつもは出してるみたいな言い方じゃんwww」「この社長実は天然だな?」「尻に敷かれてるっぽいけど今のは彼女に怒られないんか?wwww」とぞろぞろと流れては消えていった。舞台袖の、多分彼の近しい人だろう、ちょっと困った顔をしている。彼は彼で変わらぬ顔をしているので、もしかしたら自分がとんでもないことを言い放ったことに気付いてないのかもしれない。


 SNSも彼の爆弾発言に黄色い悲鳴が上がっている。なんだか昨日からの陰鬱な気分が吹き飛んでしまう泣き笑いが出続けた。まだまだ会見は続くが、もうどうでも良くなってテレビを消した。


 SNSのトレンドは彼のこと一色になり、中には「社長とか金髪美女とか全然分かんないけどつらの良い男が会見で惚気たことだけは分かった。どこに情報落ちてますか」と沼にはまり込んだ新たな被害者まで見受けられた。


 以前から追ってたファンからは「泣いた。こんな純情が溢れる会見になるとは思わなかった。好きになってよかった」「幸せになってしか言えない。きっと彼の中じゃ2人の夢なんだろうね。そして天然なんだね。あの日はってw」と肯定的な意見が溢れた。


 息を吐き出してやけ酒しようと思っていた缶ビールを開ける。明日は土曜日だ。なんだかいい休日になりそうな気がする。






おまけ


「いや、ちょっと、確かにそうだけどさぁ……」


 昨日あれだけ電話して、謝ってばかりな彼がなんでか別れようと言い出すので、それを宥めて大丈夫だからと言った、のだが……。


「お、ミスティア。お前の彼氏面白いな」


「ユリウス先生、笑い事じゃないです」


 夜勤に入ってる産科医のユリウス先生がスマホで見たのかわざわざこのNICUの待機場まで来て早速からかってきた。


「今ちょっとLINE打ってるんで。絶対訳わかんなくなってあんなことしてる。もう、そこまで言わなくていいよぅ」


 あとで電話繋がったら詰ってやる。全世界になんてこと言い放ってるんだ。




おわり

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星の子現パロ置き場 ゆうき弥生 @yuki_yayoi10

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