第45話 光は必ず、どこかで待っている
わたしは、一頭の鹿毛の馬
北海道の牧場で生まれたとき、世界はまだ柔らかく、草の匂いに包まれていた
小さな体に初めて鞍を載せられた日、背中が少しだけ高くなり、見える景色が変わる
けれど、わたしの歩みは決して華やかではなかった
平地を走れば、群れの後ろに沈むばかり
歓声が響くころ、わたしはすでに置き去りにされていた。
やがて進路は変えられた
「障害へ」
起伏や柵を目にしたとき、不思議と胸が高鳴った。最初の飛越は恐怖で脚が
すくみ、最後尾に沈んだ。観客のため息は風に消え、空はただ遠かった
だが、諦めなかった
ある日、耳を覆っていたものが外された瞬間、音と光が洪水のように押し寄せた
蹄が草をとらえる震え、他馬の息遣い、観客のざわめき
すべてが鮮明に感じられた
そして飛んだ…柵を越え、宙を舞うと、世界は一瞬静まり返る
――その弧こそが、わたしの生きる形になった。
春の大一番
圧倒的な人気の影に隠れながらも、わたしは最終障害で風を切り裂き、
直線で抜け出した。観客のどよめきが歓声に変わる
初めての栄冠。わたしはようやく、自分の道を見つけたのだ。
それから幾度も走った。
夏も、秋も、冬も。ひとつの大きなタイトルを守り続けた。
五度も、同じ頂に立ち続けたとき、スタンドの声は驚きよりも祈りに似ていた
「もう、彼が負けることはない」
そう囁かれるほどに、わたしは障害の王と呼ばれるようになった。
ポスターになり、旗になり、小さな人の手の中に収まる姿に変わっても、
わたしにとってはただ蹄の足跡がすべてだった。
やがて、違う舞台にも挑んだ
平地の大舞台
勝利はなかったが、わたしは確かにそこに立ち、走り、歓声を浴びた。
その一日だけで十分だった。
わたしが歩んできた道は、間違いではなかったと証明されたのだから
歳月は速い
身体の奥で火が小さくなっていくのを感じながらも、わたしは最後の冬を迎えた馴染みのコース、馴染みの匂い
結果は勝利ではなかったが、ゴールを過ぎたとき、スタンドから降り注いだ拍手は、どの栄冠よりも温かかった
引退のとき、わたしは首を垂れ、人の手に鼻面を寄せた。
ありがとう…その言葉を知らなくても、心は確かに伝わった。
いまは牧場の空の下、仔馬たちの声を聞きながら暮らしている。
飛越の感覚、風を切る歓声、それらはもう夢の中でしか訪れない。
けれどわたしは信じている。
――どんな存在にも、輝ける場所がある。
たとえ負け続けても、居場所を変えれば、世界が自分の形に合うことがある
人も馬も同じだ
あなたの前に柵があるなら、怖がらず踏み切ってみてほしい
飛越の先には、思うよりも広い光景が広がっているのだから。
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