男は「水、水」と大騒ぎした。飲まず食わずでここに閉じ込められていたのなら無理もない。ふらつく男に肩を貸し、男をラウンジに連れて行くとたっぷり水を飲ませてやった。

「腹減った。なんか食わせてくれ」

 唯一のシェフは外で探索中だ。厨房にあったパンとハムを目の前に置くと、むさぼり食い始める。

 長身でどちらかといえば痩せ型、よれよれのジャケットとシャツ。短めの髪は整髪料を付けるでもなし、きっちり分け目もない。一見大学生風だが、おそらく三十は超しているだろう。顔つきはどこかすっとぼけてるが、今は腹一杯食えて嬉しいっていう感じだ。

「おまえが犯人か?」

 幽目宮が問い詰める。

「犯人? おいおい、僕はついさっきまで閉じ込められてたんだぞ。なにができるって言うんだい?」

 男は食いながら言い返す。

「いや、おまえおかしいだろ? ここに来るまでにあの首つり死体が目に入らなかったとは言わせないぞ。普通なら腰を抜かすはずなのに平然としてる。それどころか食うのに夢中だ。それに『犯人』と言われ、なんの犯人かも聞き返さず、アリバイを主張しだした。ここで殺人が起ったことを知ってるってことだ」

 たしかに幽目宮の言うとおりだ。それとも半死半生だったので、あれに気づかなかったというのだろうか?

「つまり僕が犯人だと言いたいのかい?」

「だから今そういっただろうが。おまえ以外俺たちにはアリバイがある。おまえはずっと閉じ込められていたのに、なにが起っているか知っている風だ。犯人以外にあり得ない」

 男はようやく食うのをやめ、にやりと笑った。

 え、やっぱりこいつが犯人なの? たしかに幽目宮の言うとおり、こいつが犯人だといろいろ納得がいくけど、ろくに歩くこともできずにふらふらしていたのも演技か?

「もちろんあの首つり死体は見えたさ。だがそれについてあれこれ聞くより、まず水と食料が必要だったんだよ。なにせ丸二日は飲まず食わずだったんだから当然だろう?」

「いくらそうでも驚くだろう、普通?」

「ここで連続殺人が起っていることはわかっていた。あの中に閉じ込められていても、多少の音は聞こえるからね。叫び声とかはよく聞こえた」

 そう言いながら、男はまたパンをかじった。

「それにしちゃ、ずいぶんと呑気だな。まるでこんなことに慣れてるようだぜ」

「ああ、慣れてるよ、僕は探偵だ」

「探偵?」

 あたしと幽目宮の言葉がハモった。

「僕は天野青空。本職はジャーナリストで、正義のため、日々巨悪の悪事を暴くことを生業としている。ただそれとはべつに警察に協力して難事件に挑むことだってる。僕の大学の同期に巣狩七菜っていう警視庁勤めの警部補がいる。まあ、ボーイッシュで生意気な女なんだけど、僕はよく彼女と実際の事件で推理合戦をやってね。まあ彼女にしてみれば、僕と推理で勝負すると思わせて、じっさいは僕に解決してもらってるわけだけど」

「え、つまりあなたの彼女が警視庁の……」

「彼女じゃないさ。七菜ちゃんは、まあ美人だけど、僕の趣味じゃない。やっぱり最高なのは十代の美少女、つまり女子高生最高!」

 天野は笑顔で親指を立てた。

「おまえ、ロリコン野郎か」

「だまれ小僧。おまえも今にわかる。わからなければ、たぶんおまえはマザコンだ。ねえ、霧華ちゃん、君もそう思うだろう?」

 天野がロリコンだろうが、幽目宮がマザコンだろうが、知ったことではない。とにかく、この男は……。

「つまりあなたは正義のジャーナリストで、警察に協力する名探偵でもあるってこと?」

「そう。さすが君はわかっている。さすがに女子高生だけあるね。それにくらべてこっちの男ときたら」

「黙れ。なにが正義のジャーナリストだ。それで食ってけるのか? ひょっとして有名人なのか? あるいは探偵で儲けてると言いたいのか?」

 たしかにこの天野という男の言うとおりなら、有名人であってもおかしくない。でもあたしは知らないし、幽目宮も同じだから突っかかっているのだろう。

「探偵で儲けてる? 馬鹿言うなよ。そんなのボランティアだよ。半分趣味だし。ジャーナリストの仕事もなかなかね。なにせ相手は巨悪だし」

 ひょっとして口だけで、じつはニートなんじゃないのか、この男。

「じゃあ、どうやって生活してんだ?」

「え、まあ、親がお金持ちだし……」

 ニートだ。ニートだ。口だけだ。

「ま、細かいことは気にするなよ。ほんと男はこれだからな。それにくらべて女子高生はいい! 女子高生最高」

 やっぱりロリコンか、この男!

 正直ちょっと引いた。

「その女子高生が何人も殺されてるんだぞ」

「それはとても悲しいね。耐えがたいね。どうせなら君が殺されりゃよかったのに」

「なに!」

 ふたりはにらみ合う。

「だって君、なんか探偵のふりをしていたようだけど、無能探偵じゃないか。糞生意気なだけでさ。僕がここに閉じ込められていなかったら、今頃事件は解決してるよ」

 幽目宮が糞生意気な無能探偵ということは同意したい。

「まあ、とにかくここで起ったことを詳しく話してくれ。僕に入ってきた情報は極めて断片的な上、不明瞭だ。事件を解くにはデータが足りなすぎる。ついでに現場を見る必要もあるな。ええっと君は……」

 天野はあたしを見る。

「霧華です」

「そうか。よろしくね、霧華ちゃん」

 天野は無邪気に笑った。

「で、霧華ちゃん。さっそくだが、いったいここでなにが起ったのか詳しく教えてくれ」

 あたしはここで起ったことをなるべく客観的に話した。幽目宮から反論や補足がなかったから、概ねその目的は果たせたのだろう。

「よくわかったよ。君は大変説明がうまい。ぜひとも僕の助手になってほしいくらいだ」

「はあ」

「よし次は現場検証だ。まず、ガラスの壺に入った死体を見ようか」

「おい、ちょっと待て」

 幽目宮がつっかかった。

「いきなり現れて名探偵風吹かしてるが、俺はおまえを認めない。はっきり言って、おまえが犯人だと思ってる。そんなやつに好き勝手に動かれてたまるか」

「おいおい、僕はさっきまで閉じ込められていたんだぜ、なにもできないよ」

「おまえが檻の合鍵を隠し持っていればどうにでもなるだろう? 棺の底だって、一見、中から開かないように見えるが、なんか仕掛けがあってじつは自由に出入りできた。そうだろう?」

「仕掛けってどんなの?」

「正確にはわからないが、あんなの底板を出っ張りで固定して、中から開かなくしてるだけだ。中から操作できる簡単な仕掛けが隠されてるだけじゃないのか?」

「じゃあ、それを探して証明してくれ。簡単な仕掛けならすぐに見つかるだろう」

「くっ」

 幽目宮は棺桶の底板の下を舐めるように見て、仕掛けを探し始めた。

「さあ、そういう地味な仕事は彼に任せて、僕らは現場検証と行こうか」

 天野にぽんと肩をたたかれた。

「おい、霧華。そいつとふたりきりで動く気か?」

 幽目宮に言われて、すこし不安になった。

 なんだかんだいって、天野は犯人の可能性が高い。そいつとふたりきりになるのは、さすがに危険が大きすぎないか?

「幽目宮、あんたも一緒に来てよ。そんなのあとでいいでしょ?」

「ひゃひゃひゃ。やっぱりおまえもそいつが怪しいと思うか?」

 満足そうに笑うと、幽目宮はこっちに歩いてきた。

「まあいいさ。ほんとは美少女とふたりきりで捜査したかったが仕方がない。ついてこいよ、無能探偵」

「けっ、どっちが無能探偵だ。いや、おまえは探偵じゃない。犯人だからな」

 こうしてふたりは反目しながらも行動を共にした。

 まず玻璃の死体とまわりの状況を確認し、それから下の個室で黒川のバラバラ死体を観察する。最後にもう一度国友の死体を見上げた。

「ふむ、状況はつかめたよ。ところで、榊原君だっけ。外にボートを確認しに行った彼は帰りが遅いんじゃないのかい?」

 正直、天野の登場の衝撃に、彼のことをすっかり忘れていた。幽目宮も同じらしい。

「行ってみよう。案内してくれ」

 あたしたちは外に出た。天野を坂の下の浜に連れて行く。榊原はボートの有無を確認しに行ったのだから、すくなくとも一度はここに来ているはずなのだから。

 榊原は砂浜の波打ち際に倒れていた。天を見上げるように、大の字になって水に浮き、その胸にはナイフが突き刺さっていた。杭ではなく、ナイフだ。

 周囲の水はやや赤く染まり、死体は波に翻弄され、行ったり来たりしている。

 もはや驚きも、悲しみも、恐怖も感じなかった。

「馬鹿な」

 一番衝撃を受けたのは、幽目宮らしい。

「そうだ。これで僕にもアリバイができたわけだ」

 天野が言う。たしかにそうだ。彼はずっとあたしたちと一緒だった。

 しかも浜辺には足跡がひとつしかなかった。榊原のものだろう。

 きのう、あたしたちが付けた足跡は、おそらく潮が満ち、消されてしまったのだろう。 だから、海に向かって歩いた榊原の足跡だけがある。

 となると、犯人は海から来て、榊原を殺したあと、海に逃げたことになる。

 そんなことがあり得るのか?

「じゃあ、いったい誰が犯人だって言うんだ?」

 幽目宮が叫ぶ。

 もはや、あの男しかあるまい。胸を杭で打ち抜かれ、死んだと思い込んでいたあの男。あいつが復活して、殺しまくっているのだ。あの格好通り、あいつは不死の吸血鬼に違いない。そう考えるのが、一番しっくりきた。

「あいつしかいないでしょ? 吸血鬼よ。あいつは胸を打ち抜かれても死なないのよ」

「馬鹿な。馬鹿な。馬鹿な」

 幽目宮はそれを否定した。そんなことは認められないのだろう。

 天野は……、天野は笑った。

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