32話 逆変装?

ある土曜日の朝、ノックの音がナツメの部屋の扉を叩いた。ドアを開けると、そこに立っていたのはカオリだった。


しかし、その服装は普段の鮮やかな着物とは大きく異なっていた。モスグリーンのモッズコートに、ガーリーなロングスカート、足元は無骨なブーツ。


先日、カオリから「土日に出かけるから予定を空けておけ」と言われていたナツメは、出かける支度はしなくていいと言われていたので、薄手の部屋着のままカオリを迎えた。




「おはようさん」と、カオリはニッと笑い、手にした大きなボストンバッグを床にドンと置いた。テキパキとした手つきでバッグから荷物を解き始めると、中から出てきたのは見慣れない男物のジャケットや、丈の短いコートの類だった。それらをナツメに押し付けるように差し出しながら、カオリはあっけらかんと言った。




「ほい、これに着替えてくれ」



「は?」




突然のことに、ナツメは間抜けな声を出した。理由が全く分からない。男物の服を着るなど、普段の生活では考えられないことだ。万が一、誰かに見られた時のリスクを考えると、おいそれと受け入れられるものではない。



「なぜだ?こんなもの着るリスクなんて負えない」



カオリは予想通りの反応に苦笑いを浮かべ、軽く頭を搔いた。




「あー、お前さん、ニュースとかあんま見ねぇタイプか?」




話の脈絡が見えず、ナツメはさらに困惑した。確かに、日々の情報収集は怠っている自覚がある。忙しさにかまけて、世間の喧騒から意識的に距離を置いていたのかもしれない。少し恥じ入りながら、こくりと頷いた。




それを見たカオリは、間髪入れずに自身の端末を操作し、ネット記事をいくつか検索してナツメに見せた。画面に表示されたのは、信じられない光景だった。そこには、まるで芸能人のように扱われたナツメの記事がずらりと並んでいた。




「『白雷』ナツメのオフショット独占入手!?あの完璧な彼女にもこんな一面が!」


「今週のナツメ様!?No.1イケメンアクトレスのご尊顔!」


「データで徹底比較!『白雷』ナツメVS『百華猟乱』カオリ、どちらが最強?」



「はぁ?」



ナツメは完全に思考が停止した。キツネにつままれたような、間の抜けた顔をしている自覚はある。隣でカオリは、これ見よがしに大きなため息をついた。




「オレの時も似たようなことはあったが、お前さんの方が女受けする顔をしてるからな。当然こうなる」




ナツメは、状況が全く理解できず、「そう、なの?」と蚊の鳴くような声しか出なかった。




「お前さん、自分が新入生として平凡な成績をしてるとでも思ってんのか?」




カオリは呆れたように言った。流石のナツメも、自分が突出した成績を収めていることくらいは理解している。模擬戦の戦績は常に上位であり、「白雷」という字名アーバンネームも、その実力を示す証だ。それでも、これらのネット記事が示す世間の異常なまでの賑わい具合が、全くピンとこなかった。




「こと日本と米国においちゃ、ドレスのコンペなんて今や国技みてぇなもんだ。そのスター選手ともなりゃあ大勢ファンもつく。それが若くて見目麗しければなおさらな」




感覚的には依然として理解できなかったが、カオリの理屈は筋が通っていた。カオリ自身、新入生の時から個人タイトルを獲得するなど、目覚ましい活躍を見せていたのだから、同じような経験があるのだろう。




「カオリの時よりも騒がれているのか?なぜ?」




純粋な疑問が口をついて出た。カオリはノータイムで、ドレッサーの上に置いてあった手鏡を掴み、ナツメに突き付けた。


突然の行動に、ナツメは言葉を失った。鏡に映る自分の顔を見つめる。




「少女に見えるような少年の顔だよな?」




カオリは確認するように尋ねた。ナツメは、まあ、そうなるように普段から努力しているから、と心の中で答えながら、曖昧に頷いた。




「伝統的な美醜の感覚として、そうした性別を超越した美貌がどのような扱いを受けたかは知っているか?」




カオリは畳み掛けるように言った。ナツメは「美貌」という言葉にわずかな抵抗を感じながらも、続きを促した。




「つまるところはお前さんは、お前さんが思うよりも魔性の美貌をしているんだよ。それこそ、世間が見た目だけで騒いじまうくらいにはな」




ナツメとしては、人の外見にそこまで頓着することが理解できなかったので、わずかに眉を寄せた。




「それを言ったらカオリだって美人だろう?」




カオリは一瞬、「んっ!」と声を詰まらせた。




「どうした?」




ナツメが問い返すと、カオリは慌てて首を振った。




「無自覚かよ。なんでもねぇよ!」




そして、話を強引に戻した。




「オレはこういう立ち振る舞いで、面倒くせぇやつが付きまとわないように対策してんだよ」




「やろうと思えば、他の話し方もできると?」




ナツメは探るように尋ねた。


カオリは自信たっぷりに頷いた。




「あったりめぇだ。自分で言うのもなんだが、これでも良家の子女だぞ」




「わ、わかった。そこは信用しよう」




ナツメは苦笑しながら答えた。




「ここで問題だ」カオリは腕組みをして、ニヤリと笑った。「広く顔を知られてるオレとお前さんが、対策もせずに二人で出かけたらどうなる?」




「注目を浴びて騒ぎになる」




ナツメはすぐに理解した。




「そうだ」




「だが、学園内で男装はさすがに目立ちすぎるのでは?」




「いや、学園内の知名度の方が高ぇから問題ねぇよ」




カオリは意外なことを言った。




「どういう意味だ?」




「お前さんが学園内で男装してても、みんな出かけの身バレ対策しているんだなとしか思わねぇんだよ、皮肉なことにな」




カオリの言葉を信じるなら、学園の誰が男装のナツメを見ても「今日は出かけるから変装してるんだな」としか思わないらしい。女装して潜入しているナツメとしては、頭がおかしくなりそうな事態だった。本末転倒というか、本当に皮肉がきき過ぎている。




「つまり、四の五の言わず早く着替えろと?」




「そういうこった」




カオリは満足そうに頷いた。


普段、服の中に詰め物をしたり、コルセットを巻いたり、化粧をしたりと、手間暇かけて女性の姿を装っているナツメとしては、男物の服を着るという状況は新鮮過ぎて、どこか落ち着かない違和感があった。それでも、本当の意味で変装しないでいい状態の気楽さというものは、筆舌に尽くしがたいものだった。


着替えを終えたナツメを見て、カオリは目を丸くした。




「おう、見違えたねぇ。それにしても、こんな姿を見られた日にゃ、変装の名手としても名をはせちまうな!」




カオリは冗談めかしてそう言ったが、本来の性別の服装をしているのが高度な変装だと思われるなら、日ごろの努力は確かに実を結んでいるのだろう……。複雑な気分になりながら、ナツメは尋ねた。




「色々手間をかけさせた。それで、今日は何をするんだ?」




カオリは気にすることないと手を振った。




「いいってことよ。時間をもらったのはオレのわがままだしな。いや、お前さん、パシフィックに来てから日本観光してないって言ってたじゃねぇか。それはあまりにもったいねぇなと思ってよ。案内役を買ってでようってわけよ」




その真心のこもった気遣いに、ナツメは一瞬言葉に詰まったが、かろうじて「心遣い痛み入る」と、どこか古風な言い回しで口に出した。「なんでそんな固い言い回しなんだよ」と、カオリは吹き出しながら笑った。




「さぁ、時間ももったいねぇし出かけようか。詳細は道中で説明するさ」




「ああ、楽しみだ」




ナツメは屈託なく笑った。学園から無人タクシーに乗り込み、二人はエアポートへと移動し始めた。遠ざかる学舎を眺めながら、ナツメは今日一日の予期せぬ展開に、胸を高鳴らせていた。

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