33話 カオリ・タチバナの場合
小型機が空港へ到着した後は、カオリの運転するレンタカーで海沿いを移動した。季節は冬であるものの、日差しは穏やかで、ナツメはその景色に見惚れていた。
カオリは軽快に運転しながら、今日の旅程を説明する。
「小田原を観光した後に、箱根に泊まるってわけだ。あまり若者向けとは言えねぇかも知れないが、日本の情緒は堪能できると思うぜ」
そう言って笑うカオリ。その口調からはカオリもこの旅を楽しみにしていることが伝わってきた。そこからはカオリが地域の説明をしているうちに、小田原城に到着した。
「やっぱり、日本の城くらいは見ておかねぇとな」
カオリに案内してもらいながら、広大な敷地に足を踏み入れる。その悠然とした佇まいと戦略的に計算された縄張りに、ナツメは感心した。ついに天守に到達すると、そのどっしりとした風格に思わず足を止めて見入る。
「気に入ってくれたようで何よりだ」
カオリは、どこか無邪気に笑いかけた。
「ああ。中にも入れるのか?」
少年のようにウキウキしているナツメを見て、カオリは苦笑する。展示をじっくり見た後は、展望デッキから相模湾を一望した。
「……美しいな」
思わずこぼれた声に、カオリは嬉しそうに相槌をうつ。
「そうだろう?」
昼食は、城の近くの蕎麦屋に入った。ナツメにとって蕎麦はあまり馴染みのない食べ物であり、興味津々な様子だ。天ぷらと一緒に、その素朴な味を堪能した。
「時間が許せば、もう一人前食べたかったが」
口惜しそうなナツメを見て、カオリは笑った。
「お前さんも、案外食いしん坊なんだねぇ」
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駅周辺を散策した後、いよいよ箱根を目指す。
「日本の道はみんなこうなのか?これではまるでサーキットだ」
起伏とカーブが延々と繰り返される峠道を体験し、ナツメはカルチャーショックを受けた。
そして、芦ノ湖に到着すると、夕日に照らされる富士山が見えた。その雄大な姿に言葉を失っているナツメに、カオリは「おっ、運がいいねぇ」と上機嫌だ。
宿に着くと、部屋に通されるナツメたち。すぐに夕食が運ばれてきて、ナツメは驚いた。
「日本の旅館では、こういうスタイルが選べるところがあるんだ」
とカオリが説明すると、ナツメは感心した。周囲の目がないというのは、それだけで気が休まる。
「苦手なものはないと聞いてたが、生魚とかも大丈夫かい?」
酒のメニューを見ながら、カオリが話しかける。
「ああ、スシはそれなりに食べる機会があった。どちらかと言えば好物だ」
「それはなにより。オレは楽しませてもらうがお前さんはどうする?」
「郷に行っては郷に従えと言うし、遠慮しておこう」
「まあ、無理にとは言わないさ」
カオリは鷹揚に頷いて、自分の酒を注文した。二人は次々と運ばれてくる豪華な日本料理に舌鼓を打つ。
すっかり満足し、食後のゆったりとした時間を楽しんでいる時に、カオリが問いかける。
「さて問題だ。箱根といえば、なにで有名でしょう?」
「えっと、温泉?」
朧げな記憶を頼りに答えるナツメに、カオリは「大正解」と上機嫌だ。
温泉に興味はあるが、いかに逆変装しているとはいえ、人前で裸になることには、これまでの潜入生活の経験から抵抗感が強い。ナツメは困ってしまい、考え込んだ。
「おいおい。ここまでお膳立てしておいて、その部分で抜かるわけないだろ。内風呂があるんだよ、それも露天でな」
得意そうに告げるカオリ。
「そんなものがあるのか!?」
あまりの驚きに、ナツメは少し声が大きくなる。
ナツメはカオリに先を譲ろうとするが、「こういうのは一緒に入るのがマナーなんだよ」と言われる。胡散臭いとは思うものの、今日一日世話になったことを思うと、断り難い。それに、温泉のマナーにも自信がない。
恐る恐る入浴の準備をすると、カオリは女性とは思えぬほどにぱぱっと準備をして、先に体を洗っていた。ナツメもそれに続く。
冬に屋外で入浴するということに違和感があったナツメだが、体の芯から温めてくれる温泉と、火照った顔を冷やしてくれる夜気の心地よさに、思わず声が漏れる。旅の疲れもほぐれ、自然とリラックスすることができた。湯に色があるおかげでカオリの体が見えないので、想像していたよりはいかがわしい構図になっていないのもありがたい。
「これから大変になるんだってな。こうしてゆっくりする時間があったって、罰は当たらないだろうさ」
気遣いを見せるカオリに、ナツメは一歩踏み込んだ。
「あなたはこれからどうするつもりなんだ?私に関わると目的に対して回り道になることもあり得る」
「つれないねぇ。オレは個人でやりたいことはあらかたやり尽くしたから構わねぇよ」
「少し、意外だ」
「武の研鑽は大いに興味深いが、年齢を考えると早めに継承の準備をしておきたいところだな。まあ、ほんとに、割と満足してんだよ」
「継承……弟子ですか?」
「まー、それも嫌じゃないんだけど、ここでは子どものことだな」
さらっと言うカオリの目を、ナツメはまじまじと見つめた。
「意外かもしれないが、家庭への憧れは強いんだぜ?」
「そう、だったんですね」
「すまねぇ、家庭の話はあんま聞きたくないか」
ナツメの事情を察し、カオリは話題を変えようとする。
「いや、むしろもっと知りたいな」
「そうか。それなら、一つ聞いてもらおうかねぇ」
カオリは母親の話をした。厳しい人だった、と。家事や稽古ごとを厳しくカオリに仕込んだ。一度教えたことができなければ、武道でも同じことがあるのかと糾弾される。そこを突かれては弱いカオリは、いつも武道と同じくらい真剣に取り組んだ。その甲斐あって、一通り習得した頃にはあまり叱責を受けることもなくなった。反抗期だったカオリが、なぜ何も言われなくなったのか尋ねると、「あなたはもう一人前のタチバナの人間です。これ以上私から教えられることはありません。胸を張って生きていきなさい」と言われた。急に一人前として扱われた驚きと喜びを隠すのに、顔を背けて頭をかくのが精一杯だったと、カオリは笑った。
ナツメは、なんて言えばいいかわからなかったが、カオリの人となりを知ることができたような気がして、口元が緩む。カオリは「なんとか言えよ」と照れくさそうにした。
「話は変わるんだが、私に興味を持ったきっかけってなに?」
ナツメの言葉に、カオリは少し困ったような顔をした。
「えぇ、そんなにストレートきくかね……」
「少し、浮かれているのかもしれない」
少し困ったような顔のカオリを見て、ナツメは笑った。
カオリは、腹を括ったように話し始めた。
「きっかけは、活きのいい新入生がいるなってマークしてたんだ。これは早々にやり合うことになるなって。でも、わずかな引っ掛かりがあって、それがなにか探しているうちに、ナツメが男であることに気づいちまったんだ。ばらしたり脅したりするつもりなんてなかったが、自分が一方的に秘密を知っていることになんだかドキドキしちまって、気づいたら目で追うようになっちまった。自分でもわけがわかんなかったけど、ある日、腑に落ちたんだ。冷静に考えたら、オレにとってナツメが理想の男性だってな。それであの日、会いに行ったんだよ」
「所作というよりは、関節の挙動で見抜いたんだったか。さすがにそのレベルは誤魔化しがきかないし諦めていたが、よもや本当に見抜く人がいるとは……。ちなみに、カオリの理想の男性像とは?」
「そりゃあ、強くて、顔が良くて、愛いやつだよ」
「何度聞いても身もふたもない理想だ。愛いというのがよくわからないが」
じっと見つめて小首を傾げるナツメを見て、カオリは急にこのシチュエーションが恥ずかしくなった。
「ああ、のぼせちまった。先に上がるからな」
「ちょっと、隠してくださいよ」
「お前さんが目ぇ瞑ってりゃいいだろ」
慌ただしく出ていくカオリから目を背けた。綺麗な月夜を眺めながらたっぷり100数えて、風呂からあがるナツメだった。
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風呂からでると、布団が用意されていた。ここはニンジャの国、いまさら驚くナツメではない。
髪を乾かしてから寝る支度をする。ぴったりとくっつけてある布団に少し緊張してしまったが、いざ二人で寝ころんでみると、意外と心地いい。今日までカオリと二人きりになる機会なんてなかったが、こうして過ごしてみると、長年の友人のような居心地の良さに気がつく。
「こんなこと、お前さんに話すなんて筋違いだってのはわかってんだけどよ」
カオリは、絞りだすような声で語り始める。ナツメは、薄明かりの中、カオリに視線を向けた。
「人間ってのは、自分を負かした相手のことを特別扱いしたがるんだ。自分が負けた理由を正当化するためにな。アマネほどのやつだってそうだ。相手は人間の枠じゃないって平気な顔して抜かしやがる」
「……ほんとは、アマネと友達になりたかった?」
「ああ、きっと、そうなんだろうな」
言われて初めて気がついたように、カオリは納得した。
「自分を偽って生きなきゃいけないお前さんに言うのもって思っちまったんだがな。どうやらオレにも、誰かに話を聞いてもらいたい時があるらしい」
「気を抜けば容易く自分を見失ってしまうという点においては、一緒かもしれない。そうだ、カオリ。伝えたいことが二つあるんだ」
ナツメの言葉に、カオリは目を見開いた。
「なんだい?」
「エクリプスに入ってくれませんか?」
「ええ?そりゃあ、ありがたいが、エリのやつがうるさくないか?」
「そうでしょうけど、チームにとって不利益はないはずです」
涼しい顔をしてナツメは言う。
「わかった。その誘いを受けよう。それで、もう一つは?」
ナツメは、真剣な眼差しでカオリを見つめた。
「複数の女性にこんなことを言うのは不義理ではありますが……私は貴方のことが好きです。そばにいてくれませんか?」
「はい、よろこんで」
ナツメはカオリを抱き寄せ、カオリはそれを受け入れた。
「そうだ、私は頑丈なので大丈夫ですよ」
急に話し方を変えたカオリが何を言いたいのか分からず、ナツメは視線を向ける。
「だから、多少乱暴にされても大丈夫ですよ」
カオリは誘うように、妖艶に囁いた。
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