幕間2 「さくらの純情」
【桐人視点、さくらの初めての吸血鬼討伐から1週間】
俺は久しぶりに一人で帰宅することになり、校門を出ようとしたところで、後ろから誰かが走ってくる音が聞こえた。
「なあ、ちょっといいか?」
振り返ると、見覚えのない男子生徒が立っていた。
身長は俺と同じくらい。
特徴のない、いかにもモブという感じの顔立ち。
「え? 俺?」
「いきなり、ごめん。話したことなかったかも。僕はF組の————」
男子生徒は少し緊張した様子で続けた。
「唐突だけど、君って、大宮さんと付き合ってるの?」
(は? なんだこいつ、いきなり)
「本当に唐突だな。俺とさくらはそういう仲じゃないぞ」
「でも、よく一緒に行動してるよね?」
声に期待と不安が混じっている。
(ああ、そういうことか。こいつもさくらに興味があるのか)
「さくらのお爺さんの弟子みたいなものだから、道場に稽古に行ってるだけだ」
俺は説明した。
「まあ兄弟弟子ってことだ」
男子生徒は明らかにほっとしたような顔をした。
「そうなんだ。今はそういう仲じゃないってことはわかったけど」
身を乗り出してくる。
「そういう仲になれたら嬉しいとか、遠からず告白しようと思ってるとかない?」
(なんでこいつ、こんなに必死なんだ?)
* * *
「そんな気は全然ないな」
俺は即答した。
男子生徒の顔が明るくなった。
「ほんとに? だって、君はおっぱい大好きなんだよね? 大宮さんはすごいじゃん」
(ちょっと待て)
「俺はおっぱいが好きなわけじゃないんだ。ただ見てしまうんだよ」
「うーん、なんか複雑なんだね」
男子生徒は首を傾げた。
「でも大宮さんとはなんともないって聞いて安心したよ」
「なんで君が安心するのかよくわからんが、まあそういうことだ」
俺は少し苛立ちながら続けた。
「それよりも俺がおっぱい大好きってなんだよ」
男子生徒が苦笑いを浮かべた。
「クラスの女子たちが言ってたんだけど、すごい変態で、いつも胸を見てくるって」
(やっぱり俺の評判は最悪か……)
「なあ、君も男だ。女子の胸に目がいってしまうことってないか?」
男子生徒が少し考えてから答えた。
「そりゃあるよ、特に大宮さんみたいに大きかったら、特にね」
「そうだよな。なのに、どうして俺だけ変態扱いされてるんだろう?」
「うーん、なんでだろ、わかんないよ」
「そうか……」
(結局、俺の視線の圧が異常だってことは永遠の謎なのか)
男子生徒は満足そうに去っていった。
おそらく、さくらに告白するつもりなのだろう。
* * *
その日から一週間後の放課後、水前寺館での稽古が始まった。
「さくら、お前の努力もあるし、コツコツ吸血鬼を倒してるから、めきめき強くなってきたな」
「ふむ、桐人にそう言われると悪い気がしません」
さくらが微笑んだ。
ちょうど例の双子が母屋からお茶を持ってきてくれた。
「こんなにお強いのに向上心があるさくら様は尊いですわね、小菊さん」
「強さと共にさくら様の美しさも増しておりますわね、小梅さん」
(また始まった)
「そうですわね、ずっとお姿を拝見していたいのに、変態男が視界に入るのが邪魔ですわね、小菊さん」
「くずをとってくれたのは嬉しいんだけど、変態でもないからそこも取ってもらいたいものだ」
「桐人先輩が変態なのは全女子の共通認識ですから変えられませんわよね、小梅さん」
「全女子ではなく全雌と言ってもいいかもしれませんね、小菊さん」
(全雌って、動物も含めるのかよ)
「私は桐人のことを変態と思っていませんよ」
さくらが助け舟を出してくれた。
* * *
小梅が話題を変えた。
「勘違いと言えば、小菊さん、ここ数日さくら様に告白してくる輩が増えておりませんこと?」
(え?)
「確かにここ数日は少し煩わしいほどです」
さくらが困ったような顔をした。
「高校二年になってからは絢音がいたからか、全くそういうことはなかったんですが……」
(絢音が番犬みたいに男を追い払ってたのか)
「さくら様、お許しが出れば、見せしめに何人か根切りいたしましょうか?」
(根切りって、おい)
「そこまでのことはしなくてもいいです」
さくらが慌てて止めた。
(あれ? ここ数日ってことは……)
一週間前の出来事を思い出す。
(F組の男子に聞かれてからってことか? もしかして俺のせい?)
「どうしました、桐人、考え事ですか?」
「いや、その告白が増えた件だけど、特に俺は悪くないって確認してたところだ」
「何か言い方がおかしくないですか、小梅さん」
「そうですわね、小菊さん。こら、変態クズ男、何をやった!」
(おい、クズが復活してるぞ)
双子が殺気を放ち始めた。
* * *
「二人とも落ち着きなさい」
さくらが制止した。
「それとも、桐人。何か思い当たる節でもあるのでしょうか?」
さくらが俺を見つめてくる。
瞳の奥に、何か期待するような光が————
いや、気のせいか。
「実は、一週間くらい前に、校門でF組の男子に話しかけられたんだ」
「F組の……ああ、一年の時に同じクラスだった子かもしれません」
「そうなのか。俺は顔も知らなかったんだけど、いきなり『君は大宮さんと付き合っているの?』って————」
「なんですって!」
双子が同時に立ち上がった。
「そんな風に思われているなんて、さくら様が汚れますわ」
「おい、変態クズ男、なんと答えた」
(物騒すぎるだろ)
「もちろん、そんな関係ではない、と答えたよ」
双子は腕組みをして大きく頷いている。
安心したような、当然だというような顔。
「それでも向こうは、『今はそうでなくても、付き合えたら嬉しいとか、遠からず告白しようとかはあるのか?』って聞いてきたから」
俺は続けた。
「そんな気は全然ないって答えた」
* * *
俺はさくらを見た。
「さくらだってもちろんそんな気ないだろ?」
さくらは一瞬何かを言いかけたように口を開いた。
唇が微かに震え、瞳が揺れる。
しかし、すぐに口を閉じた。
「え、あ、うん、そ、そうですね」
(なんか歯切れが悪いな。稽古の疲れか)
「俺も中学いや小学生の時からずっと女子には変態扱いされてたんだ」
俺は自嘲気味に笑った。
「女子からの評価が低いことくらい、もう身にしみてわかってる」
「でも桐人、私はあなたのことを変態とは思っていませんよ」
さくらが優しく言ってくれた。
その声には、何か言い足りないような響きがあったが————
「小梅は変態と思っております」
「小菊も変態と思っております」
(はいはい、わかったよ)
* * *
「だから、もうわかってる、って言ってるだろ」
俺は気を取り直して双子に向き直った。
「話を変えよう。スニク様や小梅、小菊の動きは見させてもらってるから、忍者スタイルの戦い方もだいたいわかってきたんだけど」
双子が身構える。
「くノ一独特の技とかあるのか?」
瞬間、道場の空気が凍りついた。
小梅と小菊が顔を見合わせる。
さくらの顔が見る見るうちに赤くなっていく。
「試しに俺に対して仕掛けてみてくれよ」
パァン!
さくらの平手が俺の頬に炸裂した。
「桐人の変態!」
「いて! なんで叩くんだよ!」
だが、さくらはもう聞いていなかった。
真っ赤な顔をして母屋に行ってしまい、小梅が慌てて追いかけていった。
(え? なんで怒ってるの?)
* * *
「なあ、小菊。俺、何か変なこと言ったか?」
小菊が呆れたような顔で俺を見た。
大きくため息をつく。
「変態クズ男、くノ一特有の技って言ったら」
言葉を区切って、軽蔑の眼差しを向けてくる。
「いわゆる色仕掛けのこと!」
「……あ」
(そういうことか……)
俺は頬を押さえながら、自分の間の悪さを呪った。
純粋に戦闘技術のことを聞いたつもりだったのに。
でも、なんでさくらはあんなに怒ったんだろう?
双子なら「変態」と罵倒するのは分かる。
でも、さくらがあそこまで感情的になるなんて————
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