第6話「新たな犠牲者」
【前回までのあらすじ】
両親を失った者同士として痛みを共有した桐人とさくら。しかし吸血鬼の手がかりは掴めず、さくらは危険を承知で囮作戦を提案する。一方、桐人は絢音が誰かを尾行していた不審な行動を目撃し、精神操作による可能性を疑っていた。
————————————————
それから数日は平穏な日々が続いた。
だが、俺たちは警戒を緩めなかった。
今日も剣道部の稽古の帰り、さくらと見回りをすることになったのだが————
「ねえ、桐人」
「どうした?」
「今日は私が一人で歩いて、囮になってみようと思うんです」
さくらが真剣な表情で提案してきた。
「おいおい、一人で背負い込むのはやめようって、この前話しただろ」
「いえ、私の顔を見てください。そんな風に気負ってはいません」
確かにさくらの表情に、以前のような悲壮感はない。
静かな決意が宿っていた。
「さくら、お前は強いから大丈夫だとは思うが、万が一ってこともあるぜ。それでもやるのか?」
「今度こそ、遅れをとるような真似はしません。それに何かあったら、桐人が助けてくれるでしょう?」
さくらが微笑んだ。
俺は軽く息を吐いて————
「胸ばかり見て肝心な時に役に立たねえって怒られるからな。遠くから見張るから、何かあったらすぐに駆けつける」
「ありがとうございます。信じています」
* * *
校舎の非常階段、3階と4階の間の踊り場。
双眼鏡で事前に打ち合わせた周辺を眺める。
夕暮れの街並みの中、さくらの姿を発見した。
(ここからなら、さくらもその周りもよく見えるな)
しかし、さくらの胸は揺れるなあ。
じっと見てたら酔いそうだ。
前方クリア、ぽよよん。
後方クリア、ぽよよよん。
前方クリア、ぽよぽよん。
後方クリア、ぽよぽよよん。
(質量が大きすぎて、一度目の波が収束する前に次の波が始まって、波の干渉が起こり複雑な波形に……物理学的に興味深い現象だ)
いかん、いかん。
どうしようもなく視線を奪われる。
(つーか、俺は何を観察してんだ。護衛だろ、護衛)
思考を無理やり吸血鬼に戻す。
日光に弱いから黒ずくめなんだろうか。薄暗くなってきたから、黒い服だと見つけにくいぞ。
「あれ? なんであんなところに絢音が?」
さくらの数百メートル手前に、絢音が一人で歩いているのを見つけた。
赤いメッシュの髪が夕日に照らされている。
「何やってんだ、あいつ。一人じゃ危ないだろうが」
絢音は空き地の中に入っていった。
(まずい、保護しに行くべきか?)
慌ててさくらを探すと、打ち合わせ通りの場所を歩いていた。
(よし、まずさくらのところに————)
突然、さくらが走り始めた。
居ても立ってもいられず、踊り場から飛び降りて全力で走った。
(この身体能力、まじで便利だぜ)
* * *
急いで向かうと、男子生徒が倒れていて、さくらが助け起こそうとしている。
(まさか吸血鬼が化けてるんじゃ?)
「さくら、待て!」
俺の叫び声に、さくらがきょとんとした顔でこちらを見た。
(しまった、気がそれちまった)
更にスピードを上げて近づくと————
「どうしました、桐人。血相を変えて。不審者ならもう去りましたよ」
倒れていた男子生徒がよろよろと立ち上がり————
「大宮さん、ありがとう」
アニメ研究会の奴だった。
「彼が黒ずくめの男に襲われそうになっていたので、私が駆け付けたんです。でも相手はすぐに逃げて行きました」
(どうして男を襲う?)
疑問を口にしそうになったが、さくらが遮るように————
「桐人、まずは彼を駅まで送りましょう」
目配せをしてきた。
* * *
水前寺館の道場。
スニク様がゲーム機を置いて振り返った。
「スニク様、男子生徒が襲われたんだ。いったいどういうことなんだ?」
「なに? 男子が襲われたじゃと! いや、待て……あり得るか」
スニク様は少し考え込んでから口を開いた。
「高校の周りで女子生徒が狙われていたこと。そして桐人のような異常者が現れていたこと。妾も視野狭窄を起こしていたようじゃ」
「異常者って言われるのは気分良くねえな。変質者よりマシだが」
(なんで俺はいつもひどい呼ばれ方するんだ)
「ふむ、吸血鬼を殺すと強くなるという点で異常なのじゃ。気を悪くするな」
スニク様が扇子を広げた。
「それで話を戻すと、つい今回の吸血鬼の行動原理は、自分が強くなりたいことだと思い込んでしまった。場所も高校という純潔な者が多そうな場所じゃったしのう」
「違うのか? 弱いより強い方がいいだろ?」
「実際には、吸血鬼は自分の強さに興味がない者の方が多いのじゃ」
「じゃあ何が目的なんだ?」
「妾に聞いてばかりいないで考えてみよ。桐人、其方の行動原理は何じゃ? 」
「まあ其方の場合は、おなごの乳じゃろうが、其方ほど煩悩にまみれておる者は妾も長い間生きておるが、初めてじゃ」
「なにを言うか! 俺は世界平和とか持続可能な発展とか、そういうことが大事だぜ」
(なんで俺の行動原理が胸なんだよ。呪いのせいなんだよ)
いつの間にか現れた爺さんが大笑いしている。
また山盛りのお稲荷さんを持ってきてやがる。
「まあよい。人間には逃れようのない欲求があるじゃろ」
「食欲、睡眠欲、性欲……三大欲求ってやつだな」
「そうじゃ。では吸血鬼の生理的欲求とは何じゃ?」
「血を啜ることですか?」
さくらが答えた。
「その通りじゃ、さくら」
スニク様は扇子を閉じ、急に真剣な表情になった。
「桐人、少し話がある」
その声音の変化に、俺とさくらは背筋を伸ばした。
道場の空気が一変する。
「お前はもう一体吸血鬼を倒しておる。女吸血鬼じゃったな」
「ああ、修学旅行の時のやつだぜ」
「一体倒しただけで、お前の身体能力は異常なまでに向上した。これ以上吸血鬼を倒すと……」
スニク様の青い瞳が、悲しげに揺れた。
その瞳に宿る深い悲しみに、俺は息を呑んだ。
「桐人自身が吸血鬼に堕ちる可能性が高まる。妾はそれを恐れておる」
(え?)
「だから桐人、これからは直接吸血鬼を倒すな。戦闘はさくらや他の者に任せよ」
「でも、スニク様————」
「これは命令じゃ!」
スニク様が扇子で膝を叩いた。
その音が道場に響き渡る。
「妾にもう血脈の継承者を殺させるようなむごい事をさせないでくれ」
重い沈黙が道場を包んだ。
俺は、スニク様の言葉の重みを理解した。
過去に血脈の継承者を————吸血鬼に堕ちた者を討ったことがあるのだろう。
そんな重い空気の中、爺さんが静かに立ち上がった。
「スニク様、大事な話の途中ではありますが」
爺さんが優しく微笑んだ。
「皆、空腹では良い考えも浮かばぬでしょう。ちょうど夕餉の支度ができております」
「そうじゃな、秀豊」
スニク様も表情を和らげた。
「腹が減っては戦はできぬ、という言葉もある。続きは食事をしながらでもよかろう」
* * *
大宮家の食事は精進料理だった。
大皿に盛られた野菜の煮物、豆腐の味噌汁、そして山盛りの白米。
シンプルだが、一つ一つの素材の味が生きている。
(さくらのあの成長ぶりは大豆に秘密があるのかもしれねえ。大豆イソフラボンか?)
「桐人、大宮家の食事は口に合うか?」
爺さんが優しく聞いてきた。
「はい、すごく美味しいです」
「それはよかった。拙らは肉を食べんからの、どうしてもこういう献立になってしまう」
食事をしながら、スニク様が穏やかな口調で説明を始めた。
吸血鬼に噛まれても必ずしも吸血鬼になるわけじゃないらしい。
複雑な条件があるようだ。
修学旅行の話を改めてすると、吸血鬼は異性を操る能力を持つ個体がいるという。
人間の血が一番美味だが、動物の血でも代用可能とのことだった。
(なるほど、だから絢音があんな風に……)
吸血鬼の話ばかりも気が滅入るだろうと、俺は映画の話をした。
スニク様は眠っていたから知らないのは当然だが、さくらも驚くほど映画やアニメを知らなかった。
「俺の家には親父が残してくれたDVDがたくさんあるから、今度持ってきてやるぜ」
そう約束して、その日は帰宅した。
帰り道、俺は考えていた。
(明日から急に「男子生徒も一人で帰るな」って言って、皆聞くだろうか)
今日の襲撃事件を話せば納得するかな。
(そういえば絢音が一人で行動してたこと、さくらに言い忘れたな)
(しかも、空き地に入っていったきり、その後どうなったか確認してねえ)
不安が胸を締め付ける。
絢音は精神操作されている。
そして今日、一人で怪しい行動をしていた。
(まさか、吸血鬼の元へ……)
夜道を歩きながら、最悪の予感が頭をよぎった。
吸血鬼の目的が単なる血液摂取だとしたら、性別は関係ない。
そして俺は、これから吸血鬼と直接戦えない————
(さくらや他の奴らを守れるのか?)
スニク様の命令の重さが、改めて俺にのしかかってきた。
明日、絢音は無事に登校してくるだろうか。
それとも————
【次回予告】
絢音の不審な行動が続く中、桐人は彼女が誰かを尾行している現場を目撃する。精神操作された絢音の真の目的とは何か。そして、吸血鬼の次なる標的は————。
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