第7話「夕暮れの不審な影」

【前回までのあらすじ】

さくらの囮作戦中、男子生徒も吸血鬼に襲われたことで性別を問わない脅威が判明。スニク様は桐人に吸血鬼との直接戦闘を厳しく禁じ、さくらが強くならねばならないと告げる。桐人は囮役を申し出るが、さくらの反対により、二人で見回りを続けることになった。

————————————————


翌日以降、俺は囮役を自ら申し出た。



「さくらは待機していてくれ。男も女も関係ないなら、俺が囮になる」



しかし、さくらは頑なに拒否した。



「私も戦えます。桐人こそ一人で背負わないでください」



真剣な眼差しで続ける。



「スニク様からも、吸血鬼を倒してはならぬと釘を刺されましたよね」



その言葉に、俺は結局折れることになった。



(くそっ、俺が直接戦えないなんて……)



スニク様の言葉が頭の中でリフレインする。


『妾にもう血脈の継承者を殺すようなむごい事をさせないでくれ』



(俺が吸血鬼になったら、スニク様が俺を……)



その想像に背筋が凍った。


数日間、特に何もないまま過ぎていった。



     *  *  *



そんなある日の夕方。


最近のルーチンとなった見回りをしていると、はるか前方にうちの女子の制服が見えた。



オレンジ色の夕日が建物の影を長く伸ばしている。



(危ねえから駅まで送ろう)



少し足を早めると、女子生徒の姿がはっきり見えてきた。



赤いメッシュの髪。



決して大きくは揺れないが、いいリズムで揺れるあのサイズ感————



(絢音か)



俺は絢音の周囲を警戒しながら、さらに足を早めた。


しかし、どうも様子がおかしい。



絢音は角を曲がる前に一度立ち止まり、何かを確認するように首を伸ばした。


それから素早く電柱の影に身を隠す。



(何やってんだ?)



数秒後、再び顔を出してキョロキョロと周囲を見回す。


そして小走りで次の角へ向かった。



時々立ち止まっては物陰に隠れ、また急に早歩きになる。


まるで————



(誰かを尾行してるみてえだ)



俺は絢音の視線の先を追った。


夕暮れの通りには、帰宅途中の人影がちらほら見える。



サラリーマン、買い物袋を持った主婦、そして————



(制服の女子生徒?)



絢音から50メートルほど先に、うちの制服を着た女子生徒が歩いていた。



後ろ姿だけでは誰かわからない。


絢音はその女子生徒から一定の距離を保ちながら、慎重についていく。



(この前も一人で空き地に入ってたし、明らかに不審だろ)



俺は足音を殺して絢音に近づき、その腕を掴んだ。



「ひやああぁ!」


絢音は甲高い悲鳴をあげ、慌てて自分の口を押さえた。



振り返った瞬間、驚愕の表情から一転————


にっこりと笑顔になった。



「桐人先輩かあ、びっくりした~」


声を潜めながらも、妙に甘い声だ。



「私を追いかけて来てくれたんですか? 嬉しいサプライズです♪」



「サプライズとか言ってんじゃねえよ」



俺は絢音が尾行していた方向を見た。


女子生徒の姿はもう見えない。



「一人で帰らないように言われてるだろ。何してたんだ」



絢音は俺から目を逸らし————



「桐人先輩が怖い、怒られた。しくしく」


わざとらしく泣き真似をする。



「しくしくとか言って泣く奴、初めて見たぜ」



(つーか、演技下手すぎだろ)



絢音は泣き真似をやめてニコッと笑った。



「特に何もしてないですよ~。あえて言えば、パトロール中の桐人先輩に会えないかなあって」



(嘘つけ。明らかに誰かを尾行してただろ)



突っ込もうとしたが————


「一人で帰るのは怖いかも」



絢音がすり寄ってきて、俺は追及する気をそがれてしまった。



     *  *  *



結局、駅まで送ることになった。


夕暮れの住宅街を並んで歩く。



絢音は懲りずに俺の腕に自分の腕を絡めようとしてくるが、俺の広い視野はそれを見逃さず全て躱した。



「桐人先輩は、さくらさm————先輩とユリ先輩のどちらと付き合ってるんですか?」



(今、さくら様って言いかけたよな?)



以前の絢音なら、さくらを「様」付けで呼んでいたはずだ。



精神操作される前は、さくら様親衛隊の隊長として、俺のような「不純な存在」からさくらを守ろうとしていた。


それが今では————



「え? そんな風に見える? 俺はいつも胸を見てるって変態扱いされてるだけだぜ」



「さくら先輩のはすごいですもんね」


絢音が胸を張る。



「女の私でもつい見ちゃうから、男の子の桐人先輩が見ちゃうのは無理もないですよ」



「そ、そういうもんか?」



(以前の絢音なら『さくら様の神聖な肉体を汚らわしい目で見るな』とか言ってただろうに)



精神操作を受ける前の絢音は、剣道部から男子を追い出そうとしたり、さくらに近づく男子生徒を威嚇したりしていた。



俺なんか「この人」呼ばわりで、まともに名前すら呼んでもらえなかった。


それが今では————



「うちのクラスの男子達だって、大半見てきますよ」



そう言って胸を張ったので、俺はつい視線がそちらに————


絢音がクスクスと笑う。



「私は桐人先輩なら見られても大丈夫です。でも恥ずかしいので、あんまりじっとは見ないでくださいね」



(完全に別人だろ、これ)



(以前の絢音なら俺の視線に気づいた瞬間、竹刀で殴りかかってきてたはずだ)



     *  *  *



駅が見えてきた。



「あ、電車来てる!」


絢音が振り返る。



「送ってくれてありがとうございました♪」



改札に向かって走り出す絢音を見送りながら————



(やはり走ると運動エネルギーが大きいから揺れも大きくなることを再確認した)



しかし、物理の法則よりも気になることがある。



絢音は誰を尾行していたのか。


あの女子生徒は誰だったのか。



(もし吸血鬼と戦うことになっても、俺は直接手を出せない)



俺は自分の右手を見つめた。


マヤを倒した時の感覚がまだ手に残っている。



青い光の剣を振るった時の、圧倒的な力の感覚。



(でも、その力を使えば使うほど、俺は人間じゃなくなっていく)



スニク様の悲しげな瞳を思い出す。


過去に血脈の継承者を討った経験があるのだろう。



その重荷を、これ以上スニク様に背負わせるわけにはいかない。



(だから、さくらが強くならないと……でも、絢音が次の標的を見つけていたとしたら)



俺は駅前に立ち尽くしたまま考え込んだ。



絢音の不審な行動。


精神操作を受けた人間が、吸血鬼の意のままに動くとスニク様は言っていた。



(まさか、次の獲物を探してたのか?)



もしそうなら、絢音が尾行していた女子生徒が危ない。



(くそっ、俺が直接戦えないなら、どうやってみんなを守れってんだ)



明日の朝一番で、さくらとスニク様に報告しなければ。


夕闇が深まる中、俺は重い足取りで帰路についた。



この街に潜む吸血鬼の魔の手は、確実に俺たちの身近に迫っている。


そして精神操作された絢音は————



(誰を狙ってたんだ?)



不吉な予感が、俺の背中に冷たいものを走らせた。



【次回予告】

絢音の不審な行動を目撃した桐人は、翌日さくらと共に剣道部の道場へ向かう。しかし、そこでユリから意外な言葉を投げかけられ動揺する。一方、夕暮れの見回り中、ついに吸血鬼が本格的に動き出す。絢音が誘導していた標的とは誰なのか。そして、吸血鬼を直接倒せない桐人は、仲間をどう守るのか。

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