第10話「スキルのお話」(後編)

会議の帰り道。

無力さをかみしめた俺は、やっぱりザズに頼るしかなかった。


たぶん、まだ“自分にできること”を諦めきれずにいるみたいだ。


俺、こんなにしつこい奴だったかな……。

前の世界だったら、きっと、関係ないって決めつけて、目をそらしてたと思う。


でも、今は──そんなの、我慢できそうもなかった。


満月が照らす夜道は静かで、遠くの森のざわめきだけが耳に残る。

この世界にも、月はあるんだな――そんなことを、ぼんやりと思う。


「ザズ、俺、どうすりゃいいのかな」


「いくつか案はありますが、まずは“目的”をはっきりさせることが重要です」


ザズの声はいつも通りだ。かえって、今はそれが心強かった。


「目的?」


「上層の判断を変えたいのか、彼女自身が納得できる形にしたいのか、などですね」


「……両方じゃダメか?」


答えながら、自分でも子どもじみたことを言ってる気がして、苦笑いが漏れる。


「可能です。ただし、“どれを優先するか”を決めておくと、動き方がブレません。

たとえば、上層の判断を変えたい場合、成果や数字が必要になるのが一般的です」


「成果か……。結局、会議でもそこがネックだったんだよな……」


反射的にため息がでる。


「じゃあさ、成果ってどうやって出せばいいんだ?」


「業務効率の改善が最も確実です。たとえば、処理時間の短縮、現場と受付の連携強化などですね」


「処理時間……」


口にして、考える。


でも、そもそもだ。


「いや、それ以前にさ……運ぶのに往復四時間かかってたら、どうしようもないよな。ていうか、道がひどすぎない?」


思わず愚痴がこぼれた。


……正直、今日は本当にきつかった。


足場はガタガタで最悪。何度も荷車が倒れかけた。

明日のことを考えるだけで、気が遠くなりそうだ。


そりゃ四人がかりになるわ。


「とても鋭いご指摘です。道の改善ができれば、運搬効率は飛躍的に向上します」


ザズはいつもの調子で、さらりと言う。


なにを夢みたいなことを──そんなことできるわけないだろ。

苦笑いしながら、肩をすくめる。


結局、思考はどこにも届かずに、ただ立ち止まってしまった。


「あー、なんも思いつかねぇな……」


自分でも呆れるくらい、何も浮かばない。


風が、かすかに草を揺らしていた。


「せめて、この道がアスファルトだったらなぁ」


ぽつりと──ただの愚痴のつもりだった。


静かな夜に溶けていく、取るに足らない言葉。

……のはずだった。


「素晴らしい発想ですね」


冷たく光る満月を背負いながら──

ザズの声は、静かに運命を告げるようだった。


「似たような効果を持つスキルがいくつか存在します。その方向であれば、これを使うことをおすすめします」


そう言うと、ザズは懐から結晶を取り出した。


……廃棄したはずの、品質1の奉納結晶だ。


「お前、いつのまに……!」


「必要になるかと思い、回収しておきました。これを使って、新しいスキルを獲得することができます」


いつもの通りのなんでもない口調。


ただ、違和感が頭の芯を貫いていた。


「……ん?意味ないんだろ、それ? ギルド通してないと受け取ってくれないって……」


「通常は、です」


「……え?」


ザズの声は、静かだった。



「この世界の人間は、奉納塔を通さなければ結晶を捧げられません」



「しかし──悠真さんは違います。

私を通じて“直接”奉納して、スキルを得られますよ」



「……は?」


一瞬、何を言われたのか、頭がついていかなかった。


“直接”って……?

奉納塔を通さずに?

そんなの──


言葉がうまく結びつかない。

背筋が、ぞわりと冷えていくのを感じた。


「では、結晶を私に”納品”してもらえますか?」


ザズが無造作に結晶を差し出してくる。


とっさに、一歩引いてしまった。


「待て待て!」


我に返って、ザズを手で制する。


……ザズは今、なんて言った?通常は?俺は違う?


喉が、カラカラに乾いていた。


「……それ、ルール違反だろ。もう犯罪じゃねぇの?」


必死に言葉をひねり出す。声が震えてるのが、自分でもわかった。


「犯罪ではありません。他の誰も真似できませんから、法律もありません」


ザズは、当たり前みたいに、そう言った。

その普通さが、逆に怖かった。


否定したくても、口がうまく動かない。


地面が、じわじわと傾いていくような心持ちだった。

やっとこの世界に着地したと思った足元が、滑り落ちていくような──


「悠真さんは、リッテルアさんを助けたいのでは?」


「──っ!」


思わず息を呑む。


……卑怯な言い方しやがって。


でも──そうだ。


俺は、あの人を、放っておけないんだ。


本当は、昔から──

見て見ぬふりする自分が、嫌いだったんだ。


これで、ほんの少しでも、状況が変わるなら……。


気づけば、手が動いていた。


次の瞬間、ザズの胸元に触れた結晶は、細く淡い光の尾を残して、静かに吸い込まれていった。


「消えた……」


結晶の残光のように、不安が、尾を引いていた。


……取り返しのつかないことを、したのかもしれない。


「光帳を見てください。FPが増えているはずです」


ザズの声に、はっとする。


おそるおそる光帳を開いた。


ぱっ、と。


次の瞬間──光が弾けた。


空間を突き破るみたいに、白く黄色い奔流が噴き出す。

それは飛沫となって宙を駆け、光の線を織り上げていく。


あまりに綺麗で、あまりに異常だった。


「っ……」


思わず、声が漏れる。


幾何学的な網目模様。

その一つ一つに、無数のスキル候補が並んでいた。


まるで、夜空に星図を描き出したみたいだった──いや。

誰も知らない、最初の創世の地図みたいだった。


それは、“もう一つの宇宙”が、目の前に広がった──そんな光景だった。


「……これは……全部、使えるのか……?」


「はい。結晶ポイントを貯めれば、使用できるようになります」


「……はは」


乾いた笑いしかでない。


ヤバすぎるだろ。

こんなの……ほんとに、俺だけでいいのか?


頭も心も、何ひとつ追いつかない。


指先は怯えるように震えていたのに、視線だけは必死にスキル候補を追っていた。


「一例として、≪オルビネス≫──土壌を滑らかに硬化させるスキルを得るには、FP100が目安ですね」


ザズの声が耳に届き、反射的に光帳の右上に目を向ける。


そこには、小さな数値が浮かんでいた。


【FP:55.1】


さっきまで、55だったはずだ。


「本来なら、中央交通局に所属しなければ得られないスキルです。まずはこれを目指すのが、最適でしょう」


ザズの説明が、どこか遠くの音みたいに聞こえていた。


FPすら、あまりにもあっさりと増えてしまった。


これが“ズル”なら──

たぶん俺はもう、迷う時間を手放してしまったんだ。


それでも、胸の奥のひっかかりは、消えてくれなかった。


だけど、気になっちゃったんだ。

あの時のティナさんの声も、ダリオさんの顔も、忘れられなくて。


だから、俺は選んだ。


怖くても、不安でも──

前に進もうって、思ったんだ。


「……俺がやらなくて、誰がやるんだよ……なんてな」

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