4 初めてのメイクに挑戦

 さて。

 昼寝から起きたらチイママさんに顔を洗ってくるよう言われた。顔を洗い、ハトムギ化粧水をザバザバとつけて、乳液を塗る。


「まずは肌を整えるところから」


 BBクリームなるものを塗ってみる。そういえば子供のころ、もうテレビに出してはいけない人になったジャニタレが司会で、チイママさんのお仲間が美容やファッションを女芸人などに指南する番組があって、それで取り上げられた韓国の最先端コスメというのがBBクリームだったなとふと思い出す。

 BBクリームを塗ったらむいたゆで卵のごとくつるっとなった。次は眉毛を描く。もともと眉が薄くて輪郭がはっきりしないので、少し書き足してやるといい感じになった。

 アイシャドウを塗る。チイママさんに、「明るいのをアイホールに広げて、ちょっとずつ濃い色を目尻側に足して、いちばん濃い色でアイライン描くといいわよ」とのことだったので試してみると、気持ち程度目が大きくなった。

 続いてマスカラを塗る。おお、これはすごい。まつ毛がぐんぐん伸びてゆく!!

 最後にリップを塗って、はい完成と相なった。


「すごいですね……顔に気力がみなぎってる……」


「ね? 元気がいい感じになったでしょ?」


「これもうちょっとクマ隠せたりしませんかね?」


「コンシーラーっていうの使えば隠れるわよ!」


 そうなのか。次にドラッグストアに行ったら買ってこよう。


 顔面の製造が終わって時計を見たらもう5時半を過ぎていた。丁寧に教えてもらったから仕方がない。チイママさんがなにやら麦茶を綺麗なコップに注ぎ始めた。氷まで浮かべている。そこでピンポーンと玄関チャイムが鳴った。伝助がワウワウ吠える。

 はいはーいと出ていくと壮平くんだった。伝助はすっ飛んできて「ウー」と唸っている。


「……いいじゃん、真美ねっちゃん」


 ねっちゃん、というのは方言で「姉ちゃん」という意味で、親戚のお姉さんを呼ぶのによく使われる。

 なにがいいのだろうと思ったらメイクをきちんとしていたことのようだった。恥ずかしくてうつむくと、「俺は褒めてんのよ」と言って、壮平くんは家に上がってきた。

 伝助が完全に「ウー……」の体勢で牙を剥き出しているわけだが、壮平くんはもう慣れているので「おうおうでんちゃん、今日もイキってんな」と笑顔だ。


「ちわーす」


「あらどうも。とりあえず麦茶どうぞ。いまお茶うけに漬物出すわね!」


「……やっぱり2丁目のチイママなんだな……」


「しょうがないよ、いちばんレンタル料金安かったんだもん。3ヶ月で5万円なら万々歳じゃん」


「いやーそれにしても真美ねっちゃんすげー美人じゃん。着てるものがジャージじゃなかったら最高なのにな」


「ジャージじゃない服も買ったんだけど、汚したくないからとりあえず見せるだけね」


 壮平くんにワンピースを見せる。


「なんか一気にオシャレになったな。すげー」


「ぜんぶチイママさんのおかげ」


「あざますチイママさん! 伯父さんも伯母さんもねっちゃんのこと心配してたんで」


「え、病院行ったの?」


「きのうな。来てほしいって言ってたぞ」


「……あのね。チイママさんと、『病院ランウェイ化計画』っていうの始めたの。来週の月曜日に心療内科に行くついでに、両親にも会ってこようかなって思って」


「いんじゃね? 俺は大賛成。4イエスだ」


 壮平くんはアメリカズ・ゴッド・タレントやブリティッシュ・ゴッド・タレントをユーチューブで観るのが好きなのであった。

 壮平くんは麦茶を飲んだあと、チイママさんに「ねっちゃんのこと、よろしくお願いします」と頭を下げて、ネクタイをちょっと緩めて帰っていった。


「いいオトコじゃない」


「彼はノンケですよ」


「冗談よ」


 ◇◇◇◇


 チイママさんとメイクを鍛えているうちに、月曜日がやってきた。

 チイママさんはいつも通り、具沢山の味噌汁やらかやくご飯やら漬物やらを用意して展開していて、ありがたく食べようとしてわたしは異変に気づいた。

 チイママさんの顔に感情がない。


「……チイママさん?」


「ただいま会話ログを保存中です……」


「ちょ、チイママさん!?」


「あら、アンタが新しい雇用主? アタシバリバリ働いちゃうわよ!」


 チイママさんがリセットされてしまった。

 型落ちした、汎用AIが発明されたころのロボットだから仕方がないのだろうか。

 でもメイクを教えてくれたチイママさんがこんなことになったらわたしはどうすればいいのか。とりあえず工業高校の電気科を出てゲームクリエイター目指して東京にいたことのある壮平くんに電話をかけた。壮平くんはたまたまきょう、友達と午後から遊びに行こうと有給を取っていたようで、すぐ駆けつけてくれた。


「なに、チイママさんがリセットされたって?」


「うん、初対面みたいなこと言われて」


「あらいいオトコ」


「チイママさんは少し黙って。ちょっと失礼しますよ」


 壮平くんがチイママさんに、自前のパソコンを繋ぐ。


 しばらく調べて、壮平くんは「うーんと。仕様だな。5日にいっぺん記憶がリセットされて……待て。クラウドに会話ログが保存されてるな。パスコードを設定すればいいのか」などと難しいことを言い始めた。

 30分ほど操作して、壮平くんは「ちょっと『聞いてよチイママさん』って話しかけてみ」と言ってきた。


 試しに「聞いてよチイママさん」と話しかけると、チイママさんは目をぱちぱちさせて、「……アンタ、きょうお医者さん行くんでしょ? まだメイクしてないの? 支度しなさいよ」と言ってきた。


「チャットGPTと同じで、新しい会話が始まっても会話の内容は保存されてるんだ。きっかけになるキーワードを設定して、それを言えば引き継げるようになってる。とりあえず『聞いてよチイママさん』で登録しといた」


「あ、ありがとう……よかった、チイママさんが戻ってきた」


「あんまり感情移入すると返却するとき悲しくなるからほどほどにな」


「わかった。お休みの日に呼び出してごめんね」


「構わないよ。それより病院をランウェイにするんだろ?」


 そうだった。

 急いでワンピースを着て、急いでメイクをする。チイママさんが手伝ってくれたのでわりとすぐできた。

 ちゃんとしたところに履いていく用の靴を履き、チイママさんの運転で心療内科に向かう。


「グッドラック!」


 つまりは「がんば」ということだ。チイママさんは熱に弱いのでいったん帰ることになった。わたしは心療内科の隣の市立病院で両親を見舞ったらチイママさんに連絡するね、と言って、心療内科に向かった。(つづく)

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