5 自分を好きになること
心療内科では看護師さんもドクターも、メイクや服装に反応したりはしなかった。まあメンタルを病んでいる人が通うところだから、うかつに反応して暴れられたら、とでも思っているのだろうし、そもそもここのドクターはいくつか毎回お決まりの質問をして「いい感じですね、お薬いつも通りお出ししますね」で終わりである。
近くの薬局で処方箋を出して薬をもらい、その足でちょっと緊張しながら市立病院に向かう。
親にどんなリアクションをされるのか、不安しかない。
うちの親は脳みそが平成で止まっており、「痩せたね」「美人になったね」が褒め言葉だと思っている。何年か前にお盆にうちにきた親戚の、東京から帰ってきた若い女の子に向かって「垢抜けて美人になったね」と言ってドン引きされているのを見たことがある。
確かにその女の子はこちらの高校に通っているころ見事な田舎脚でまるまると太っていた。でもあれは人生に1回か2回ある驚きの痩せ期に当たってしまっただけではないのか。
わたしだって20歳くらいのころはいまより10キロくらい体重が軽かった。しかし痩せると同時に耳管開放症をやらかし、耳鼻科に通いおいしくない漢方薬を飲む羽目になった。なお耳管開放症は太ったら治った。でも今も疲れると耳がベコベコ鳴る。
とか思いつつ市立病院に入る。受付で両親の病室の番号を聞き、スマホにぱっとメモしておく。
まず好意的な反応をしそうな母からいこう。外科病棟の病室で「本多葉子」の名前を確認し、その部屋に入ると、母はベッドでレース編みをしていた。
「お母さん?」
「あら。誰かと思った。いいじゃないそのお化粧。それにTシャツジーパンじゃないのね。似合うよ」
褒められた。
シンプルに褒められた。うれしい。
「来てくれないから寂しかったんだからね。壮平くんはよく来てくれたけど……これから3ヶ月くらいここにいるんだから、時々顔を出しなさい」
「わかった。……変じゃないかな?」
「ぜんぜん変じゃない。すごく素敵よ」
それから、と聞かれたので、伝助の近況を話す。
「へえー。ロボットに懐いちゃったの」
「うん。ロボットもさ、外の気温とかアスファルトの温度とか教えてくれるし……」
とりあえずロボットが2丁目のチイママさんであることは黙りつつ、ロボットにちょっとオシャレを楽しむコツを教わっているのだ、と説明した。
「いいじゃない。あんたとっても楽しそうよ」
よし。
母に「また来るね」と言って、次は同じ階にある別の病室の「本多雅文」の名前を確かめて、病室に入る。父はなにやらションボリしていた。
「お父さん」
「……うん? 真美か?」
「うん。ちょっとオシャレしてみようと思って」
「なんだか気合い入ってるな」
「……気合い」
べつにそんなものを込めたつもりはなかったが、父にはそう見えていたようだった。
地味にショックに思いながら、父に近況を話す。ロボットが家事も車の運転もなんでもやってくれるのだ、と。
「あんまり感情移入するとお別れがつらくなるから気をつけろよ」
「それ壮平くんにも言われた。分かってる。大丈夫」
父は入院していると酒が飲めないとしばらく愚痴ったあと、昼ごはんが運ばれてきたのでそろそろ帰るといいぞ、と言ってきた。病院を出てチイママさんの電脳にメッセージを送信すると、わりとすぐ車でブインと来てくれた。
「どうだった、病院ランウェイ化計画」
「うん……心療内科はそんなに親しく付き合ってるわけじゃないからいいとして、母は褒めてくれたよ。でも父に気合い入ってるなって言われちゃって」
「……それはちょっとショックね」
「そうなんですよ。別に気合いなんか入れたかったわけじゃないのに」
チイママさんは寂れた街の角でハンドルを切る。
「あのね、メイクってね、自分を好きになる、自分の気持ちを上げていくものなのよ」
チイママさんは静かにそう話した。家の車庫に、見事に車庫入れして、チイママさんは車のエンジンを切った。
「アンタがちょっとずつ自分を好きになれるように、アタシがお手伝いするから。ポジティブになるって無理に明るくなることじゃないのよ、自分を好きになること」
チイママさんは先に自分で降りて、ドアを開けてくれた。
「お父様に気合い入ってるって言われてショックだったのは想像できるし、そう言われるよりただ褒めてもらいたかった気持ちも分かるわ。だけど他人に褒められるより、自分を好きになって、楽しくならなきゃ」
車から降りる。
「さ、メイク落としていらっしゃい。お昼ご飯食べなきゃ。パンケーキ焼いてあげるわ」
「ありがとう、チイママさん」
顔を洗いながら、少し考える。
チイママさんの言っていた、ポジティブになる、ということがどういうことか考える。自分を好きになって楽しくなる……ということがポジティブになることなら、わたしにとってポジティブになることは本当に人生を変えうるかもしれないな、とも思う。
いままで自分を好きになれない人生を送ってきた。
でもかわいいワンピースを着て、ちゃんとメイクしたわたしは、ちょっと好きかもしれない。
そういえば中学の美術部で「着てみたい服」と言って、みんなでロリータファッションの雑誌を回し読みしたっけ。いまはそういうのを着ようとは思わないけど、着ていたら案外自分を好きになれたのかもしれない。
中学のとき修学旅行で行った東京で、ものすごく太ったロリータファッションの人を見た。クラスのみんなは「どすロリだ」と言って笑っていたけれど、あの人はロリータファッションを着ている自分が好きだったから、周りに悪口を言われても好きなファッションを貫いたのだ。
自分を好きになるって、素敵なことだな。
この一人暮らしはそのためにお金を使うタイミングなんじゃないかな。
そんなことを考えつつ化粧が落ちたので、ハトムギ化粧水とちふれの乳液(もちろん乳液は母が使っていたやつ)を顔に塗る。
「はい、パンケーキ!」
茶の間のちゃぶ台には何年も使っていなかったホットプレートが\でん/と待機しており、チイママさんは手際よくホットケーキミックスを規定量の牛乳と卵で溶かしたものを焼いていく。
バターをひとかけらとり、いままでもっぱらヨーグルトにかけて食べていたジャムもホイと焼けたホットケーキに乗せる。
「午後からお買い物に行く?」
「そうですね」
「これ、冷蔵庫の切れちゃった食材のリスト。アタシもついていけばいい?」
「ひとりよりならチイママさんがいたほうが心強いです」
「オッケー。一緒に行きましょ」
チイママさんはウインクした。ちょっと怖い。(つづく)
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