なぜポケモンの名前が覚えられて車の名前は覚えられないのか

羽虫十兵衛

なぜポケモンの名前が覚えられて車の名前は覚えられないのか

 自分でも恐ろしいほどの世間知らずで、車の種類が全くわからない。

 レクサスやプリウス、ヤリスやカローラといった名前を聞いてもどういう車か想像がつかない。高所作業車だと言われても信じるだろう。街中を走るアルファードやベルファイアは誰にでも買える図体ばかりの車と思っていたし、ハンドスピナーのようなロゴがあれば全てがベンツという車種だと信じていた。


 車に関して終始そんな感じで、とにかく無知蒙昧もうまいである。しかし別にいいだろう。買いもしない自動車の名前をあれこれ覚える必要もなければ、生涯縁のない高級車に詳しい必要もないからだ。

 俺にとってタイヤが四つ以上付いていればそれは「車」であり、そこに大した違いはない。エアコンや冷蔵庫がサイズの違いはあっても似たり寄ったりなのと同じだ。だから車種を一目で見分けられる人達が不思議でならなかった。


 何をどうすれば同じセダンを区別できるのか。ミニバンをいくつにも分類できるのか。高級車と大衆車を判別できるのか。まるで手品でも見るような思いだった。

 磨き上げた黒ダイヤのようないかめしい塗装なら、真っ赤なボディと吊り上がったヘッドライトの刺々とげとげしいスポーツカーなら、まあ高い車なのだろうと察しはつく。しかしその辺を走っているデカいだけのアルファードが高級車だと言われたって、わかるわけがあるまい。


 といって、高級車に憧れる気持ちがまるで無いのかといえばそんなこともない。

 俺だって空調のきいた車内でHIPHOPとエンジン音を轟かせながら、ツヤツヤした車でネオンの輝く銀座中央通りを爆走してみたい。もちろん助手席にはイケてる仲間か金髪のギャルを乗せてだ。

 しかし高級車が具体的にどんな車を指すかよくわからないので、こんな中学生みたいな妄想で終わってしまう。


 こういう話をすると、「物覚えが悪いから車種のひとつもわからないのだろう」と邪推されることがある。しかし俺は要領こそ悪いが暗記は得意だ。ポケモンやジョジョのスタンドはほとんどで言える。ただ車に関しては興味がないからさっぱりなだけだ。人間万事そんなものだろう。


 ポケモンに関心のない人にモルフォンやクロバットの魅力を熱弁してもうるさがられるように、ジョジョを知らない人にメタリカやペット・ショップ戦の手に汗握る攻防を力説しても通じないように、興味の無いものはどうしたって馬鹿らしく思える。俺には街中のスポーツカーが巨大なプラモデルにさえ見えるのだ。

 車の魅力というのは、だからその道の人にしか通じない暗号なのである。「クロバットは素早さの種族値130が強力な武器であり」とか「暗殺部隊のリゾットと章ボスのディアボロの激突はジョジョ五部のベストバウトで」と語り出すのと大差ない。そんなもの一般人の知ったことではないのだ。


 それでも車種の一つもわからないのはさすがに極端かもしれない。そこまで頑なに興味を示さないのは、実は大きな理由があったりする。


 俺は道路交通が嫌いだ。ドライバーや道路を通る人々がいまいち好きになれない。なんというか、全体的に野蛮なのである。

 俺を含めてだが、道路に出ている人間はとにかく性格が悪い。ほとんどみんな短気で粗暴で暴力的で、常に相手の落ち度を探しては欠点を暴くことしか頭にない。

 少しでも気に入らないことがあれば勝手気ままにクラクションを鳴らし、時として相手を運転席から引きずり出して命を奪うこともいとわないだろう。殴る蹴るなんて当たり前で、金具で頭蓋骨を粉々に叩き割られたとしても不思議ではない。


 確かに命に関わることだからいくらか荒っぽくなるのも無理はないが、その割には不要な煽り運転や暴言、とんでもない暴力がまかり通っている現実がある。道路交通とはすなわち猿が石や糞尿を投げあって互いに攻撃し合うがごとき野蛮で低劣で原始的な争いの場に他ならないと思う。


 そうは言っておきながら、俺は別にマナーの悪いドライバーから何かをされたわけではない。それどころか親切に助けてもらったこともある。何度もある。だというのに昔からひどい偏見が根強く残っている。不思議だ。

 その見方がどこから来たのかは自分でもわからない。だが「運転は好きだがドライバーや道路交通そのものは嫌い」という摩訶不思議な価値観が、車自体への無知無関心を形作っていると考えるべきであろう。まあ、八つ当たりだ。


 そして坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというのか、ディーラーや自動車工場、自動車用品店の雰囲気も苦手だ。なんというか暴力団の事務所のような感じがして近寄り難い。うかつに足を踏み入れれば店員が飛んできてぶん殴られそうな気がしてくる。  

 ミスタータイヤマンのキャラクターなどアメリカ映画に出てくる殺人鬼のピエロさながらに見えて、子供の頃からずっと不気味だった。


 とはいえ、車種やメーカーというのは日々のニュースや会話を通じて漠然とであれ知っているべきものであろう。そこへいくと俺はいくら情報に触れても頭に入ってこない。「車なんて反社会的なものを、どうして真剣に覚える必要があるのか」と脳が拒むのだ。

 だからアウディやBMWがどこの国の会社かも知らないし、日本の自動車メーカーを言ってみろと言われても三つくらいしかわからない。しかしそれでいいのだと開き直る気持ちもある。「何も知らない」というのはひとつのアイデンティティたり得るのだ。


 中学生の頃、俺は勉強のできない子供だった。頭の悪い人間が勉強などやっても無駄だという気持ちもあったが、それ以上に「勉強嫌い」というのが確立された自分の個性キャラクターだった。

 大人から真面目に勉強しろと叱られても、「でも勉強嫌いでヘラヘラしてるのが俺だからな」と思って耳を貸さなかった。そういう性格を貫くことが一種の快感でもあった。思えばひとつの中二病であるが、その中二病的精神を当時助長したのが「ゆとり教育」という名の田舎芝居だった。


 「これからは学力よりも一人ひとりの個性が大切だ」と声高に叫ばれた時代である。俺は優れた個性も才能もないのに、その風潮だけを真に受けて「これこそが自分だ!」というものを安直に求めた。そして行き着いた先が勉強嫌いという気楽なアイデンティティであった。それが今では「車嫌い」に置き換わっている。

 常識や周囲に逆らうことこそいきでクールな態度だという反抗期のような価値観を捨てきれず、物を知らないことを誇りに思う。気づけば「俺はみんなと違って車なんか知らないんだ。どうだ、偉いだろう!」などとふんぞり返っている頓珍漢とんちんかん


 そんな俺は、この先四十歳くらいになって精神年齢が成人を迎えた頃、ようやく逆張りから目覚めて車やバイクに興味を持ち始めるのではないか。そんな恐ろしい予感を感じている。

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