歪んだ愛
悠
最初の物語
私と彼、果たしてどちらから紹介すれば、この物語に興味を持ってもらえるのだろう?
私も彼も、2人とも不完全で、性根の腐ってしまった人間だ。時々、その腐臭から周囲の人間は私達の見ていないところで鼻をつまんでいるのではないか?と疑ってしまうほどに。
そんな私達の決定的な違いは「容姿」。
彼は誰が見ても美青年だった。精巧に作られた日本人形に恐怖を抱くように、私は彼の顔を薄気味悪いとすら感じていた。それほどに彼の顔は整っていたのだ。
一方、私といえば、自分を形容する言葉がなかなか見当たらない。「ブス」と言ってしまえばそれまでかもしれないが、実は私はその言葉にあまりネガティヴなイメージを持っていない。どこか控えめで、謙譲語のようにすら聞こえるその言葉で私を言い表すにはやや役不足のように思えた。昔の言葉を使うと「醜女(しこめ)」、これが1番自分の中でしっくりときている。
クラスの中で私達は浮いていた。私は地味に、彼は派手に浮いていた。私はあまり人と話さなかったが、彼の交友関係は広かった。その代わり彼の交友関係は破綻するのも早かった。ただ、破綻しても彼と付き合いたいと思っている人間はいくらでもいたので、彼はその事でとりわけ悩んでいる様子もなかった。
しかし、そんな好き放題がいつまでも続くわけはなく、徐々に彼はクラスの中で孤立していっているように私には思えた。
表面的にはどこも今までと変わった所はないが、彼の周りだけ薄い膜のようなものがあって、その膜の中にいる彼だけが、他のクラスメイトと全く別の空間に取り残されているように見えた。そして、現実世界とその別空間とのズレは日々大きくなっていくようだった。
彼はそんな周囲の変化にに気付く様子もなく、クラスの真ん中でバカみたいに笑っていた。その姿は、まるで薄氷の上で無邪気に遊んでいる子供のようだった。そこにある危険に思いを馳せる事ができず、踏んだり、跳ねたりして、氷にヒビがはいっていくのをただ面白がっているような。
私は彼の足元の氷が砕け散る様をもっと近くで見たくなった。初めての挫折を経験しようとしている人間を間近で見たかった。あれほど楽しかった世界が絶望に変わり、もうどうしようもないくらいに打ちのめされてしまった彼に私は言ってやりたいのだ。
「世界は残酷なんだよ。知らなかったの?」
私と彼の接近は思っていたより、ずっと簡単だった。彼は私を見下していたが、それでも無視するような事はしなかった。私のような毛色の違う人間を側に置くのも面白いと思ったのかもしれない。気に入らなければすぐに捨てればいいという彼の性格が私にとっては好都合だった。
私が彼に近づいた時に周囲からの反発がなかった事も、私の予見が的外れではないと確信できた。私が彼と話していると、周囲は遠巻きに憐れむような視線を向けていた。それは私だけではなく、彼にも向けられたものだったが、彼はそれに気付いていない。彼は可哀想な私をより惨めにして、ただ遊んでいるようだった。私にはそれが滑稽で、可笑しくてたまらなかった。
だが、しばらく彼をそばで観察していると、私は気づいてしまう。
彼は自分が周囲に馴染めていないと自覚してる。彼は私が想像していたより、ずっと自分の状況を理解していたのだ。
私はガッカリした。
もしかしたら、彼はこの危険を乗り切る自信があるのかもしれない。本当に危なくなったらすぐに安全な岸に飛び移るつもりなのかもしれない。
当ての外れた私は彼から離れようかと考えた。けれど、それは誤解だとすぐに思い直した。彼には安全な岸に飛び移る事など到底できなかったからだ。
彼の性格を言葉で表現するのはとても困難だし、受け取る側にとっても大変難解だろう。
他人を傷付ける事を平気で言う一方で、翌日にはあっさりとその事を詫びる、極端に言えばそれをただ繰り返していた。
他人を傷付けるのは、彼の攻撃性が強いというよりも単純にフラストレーションの解消法をそれ以外に知らないから。
簡単に人に謝れるのは、自分が本当に悪いとは思っていないから。ゲームを進めていくうちにうまくいかなくなると、すぐにリセットして、セーブポイントからやり直す。彼の謝罪はまさにそれだった。反省とか改善とか、そういうものがごっそりと抜け落ちている。恐らく彼はその美貌から、これまでそれで許されてきてしまったのだろう。
彼にとって謝罪とは自分の罪を認める事ではなく、一方的な清算に他ならない。だから、それが認められない場合は相手の方が狭量なのだ。
周囲は違和感を感じつつも、その自分勝手を受け入れている。彼の矛盾を指摘すれば、彼からあっさりと人間関係を切られてしまい、それで終わりだからだ。
私には彼が詫びれば詫びるほど周囲からの信頼が失われ、彼と周囲とのズレがどんどん広がっていくように見えた。
「俺が謝ってるのに、なんで許さないんだ?」
この傲慢さこそが、彼の彼たる所以であり、彼の状況を固定化させていた。彼はこの困難な状況に気付けていても、どうすれば打破できるのか見当もついていない。彼は謝罪以外の解決過程を全くと言っていいほど、今まで経験してこなかったのだ。
そんな彼が、とうとう苦しい立場に追い込まれた。クラスメイトの許容をついに超えてしまうと、乱暴に私をクラスから連れ出すようになっていった。
「ついて来い。」
大声を出して私の事など見向きもしないで、彼は1人で教室から出ていってしまう。私は黙って、席を立ち、彼を追いかけていく。クラスメイトからの冷ややかな視線が私にも突き刺さる。だが、そんなものは私にはどうでもいい事だった。彼が順調にクラスから孤立していっているのが嬉しくて仕方がなかった。
私を彼の後ろを甲斐甲斐しく付いていく。そして、誰もいない所で彼は泣いた。
彼の口からこぼれ落ちる不満や言いがかりのような怒りは、まるで呪詛のように私をその場所に、そして彼に、縛り付けていった。
私はそんな、絡め取られていくような感覚に言い知れない多幸感を覚えるのだった。
だって、彼は…こんなに惨めに泣きじゃくっている瞬間でさえ、私を蔑む事だけは決して忘れなかったのだから。
「お前のような顔ならすぐに人生に絶望できて羨ましい。」
ささやかな優越感を得るために人間性を切り売りしている彼は、どこか健気で、心に暖かなものが流れ込んでくるのを感じた。
私が醜女だから、彼がこんな惨めな状況になっても、彼の自尊心を傷付ける事なく側にいる事ができる。私が醜女だからこそ、彼は私にすべてをさらけ出してくれるんだ。
私は生まれて初めて、自分の醜さに感謝した。
彼への恋愛感情など微塵も湧いてこなかったが、自分の意志で自身を貶めている彼を私は狂おしいほど愛おしかった。この残酷な世界に打ちのめされて、無様に崩れていくその表情は、彼の美しさをかえって際立たせていた。
それからの私は、彼の破滅をずっと側から眺めている事を許された。彼の破綻に手を貸すような事は決してしなかった。そんな事をしたら破滅は純粋なものではなくなり、興ざめになるからだ。むしろ、私は彼に適切なアドバイスをする事すらあった。しかし、彼は私の言う事など聞き入れなかったし、たとえ聞き入れたとしてもうまくできるはずもなく、結局は台無しにしていった。
溺れていく彼に私は救いの手を差し伸べる。それにすがろうとしない彼を見ていると、彼の破滅の純度がどんどん高くなっていくようで、震えてくるほど尊かった。
私と彼の利害関係は一致していた。私は彼の側で彼の破滅を目の当たりにする事でエクスタシーにも似た快楽を得ていた。その代わり彼は私をなじり、見下し、馬鹿にして、ちっぽけな優越感に浸っていた。この素敵な需給関係が永遠に続けばいいのに、私はそう願っていた。
しかし、そうはならなかった。
驚くほどあっさりと私達の関係は終わった。
つまらない言い争いで、彼は私との関係を閉ざしてしまった。
でも私は、その時はまだ自惚れていた。
「どうせそんな事を言っても、結局私のところに貴方は帰ってくるのでしょう?」
私はそう思い上がっていたのに…彼は私のところに2度と戻ってこなかった。
「どうして?みんなにはすぐに謝ってくるのに…私にだけは謝ってこないの?」
私は情けないくらいに狼狽えた。理由はすぐにわかった。私が醜女だからだ。
私が醜女だから、彼は私になんでも打ち明けてくれたのだった。私が取るに足らない存在だから彼は劣等感から完全に解放されていたのだ。
でも、私に謝ってしまったら…彼は私に劣等感を抱いてしまう。
私は悔いた。本当にどうしようもないくらいに後悔した。
彼への恋愛感情は相変わらず皆無なのに、彼への想いは募っていくばかりだった。
私から謝っていく事はできた。彼から許しを得る言葉なんて一瞬で、ダース単位で頭に浮かぶのだから。
でも、それを言ってしまうと、私達の関係はきっと壊れてしまう。今までの私達ではない何かに変質してしまう。私達のこの希少で繊細な関係性は、1度崩れてしまえば、もう絶対に、元には戻らないという恐怖に縛られ、私は身動きが取れなかった。
彼が私を馬鹿にしながら側に置いているのではなく、私が側に置いてもらえるよう彼にすがる事になってしまう。
周りから見れば同じ事でも、私にはまったく違うことだ。
私にとっては彼と付き合う事すらそれほど難しい事ではなかった。彼の望む言葉を与えてあげれば、彼はあっさりと籠絡するだろう。
例え、そうなれたとしても…私は嫌だ。
私は元の関係に戻りたい。
あの、残酷な好奇心とささやかな優越感で惹かれ合っていたあの頃に。
乱暴に私を教室から連れ出し、私のお腹に綺麗な顔を押し付けて泣いていたあの頃に。
私の制服を涙でベトベトにしながら、それでも私を蔑む彼に、私は笑いを堪えるので必死だったあの頃に。
彼は今頃…私の知らないところでまた、1人で勝手に傷付いて、もがき苦しいんでいるのだろうか…
それを思うと心が張り裂けそうになる。
私には耐えらない。
彼が破滅していくのを…私が知ることができないなんて…
「私は彼を愛しているの?」
「私は彼を憎んでいるの?」
「わからない、わからない…」
こんな私にも確かな事がある。
私は彼の事を考えるだけで、心が熱いもので一杯になる。
きっと、私は彼の事が、好きで、気になって仕方ないのに、嫌いで、ムカついて、殺してやりたいほど憎くて、でもたまに殺してあげたくなるほど愛している。
様々な気持ちが入り混ざったこの感情を人は何と呼んでいるのだろう?
「誰か教えて。」
「誰か助けて。」
歪んだ愛 悠 @wargen
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