第3話

 結局、乾杯した後は思い出話に花が咲き、それぞれの近況の報告へと話は移り、場は大いに盛り上がった。

 といっても、私はほとんど聞き役に回っていた。過ごしてきた時間の密度は埋められない。じゃれ合うように笑い合う3人は、やっぱりあの頃のままに見えた。

 夏希はアルコールにあまり強くないのか、飲んでいる量は少ないはずなのに、顔が赤くなっている。七海の頬は薄らとピンク色に染まっていた。酔った姿は初めて見るな。大人になったね、とぼんやり思った。

 私はなんだか飲み過ぎてるかも、と思い、手のひらで顔を覆った。熱い。

 医者という男社会でアルコールとの濃い付き合いは避けられず、それでもお酒での失敗は一度もなかったのに。今日はなんだか酔いが回り過ぎている気がする。


「ありゃー、明菜が珍しく酔っ払いモードだ」


 大丈夫?と、千歌が覗き込んでくる。


「大丈夫、大丈夫。続けて」

「続けてって。明菜、全然喋ってないね。なんか、ごめんね。私たち3人だけで話しちゃってたね」

「いいんだよ。聞いてるの、楽しいから。2人の近況もわかって、嬉しい」


 それは嘘ではなかった。

 自ら縁を切ってしまった幸福な思い出の延長で、その後の2人が今どうやって過ごしてきたのか、なんとなく知ることができた。

 私と千歌が一足早く卒業したあとも、夏希と七海は書道部員であり続け、けれど結局新入部員を迎えることなく、1年後に2人も高校を卒業した。

 頭の良かった夏希は、さほど苦労することなく志望していた大学に進み、七海もまた、目指していた美術系の大学に無事合格し、2人は揃って大学生になった。

 現在、夏希は有名な企業でゲーム開発の仕事を、七海はフリーでイラストを描く仕事をしているらしい。

 七海は確かに、絵が好きだった。


「2人とも、立派になったね」

「明菜、お母さんみたい。でもほんと、そうだよね。私と明菜だってだってそうだよ。立派な大人になっちゃったよ」


 千歌の言葉に、少しだけ、しんみりとした空気が流れた。


「千歌先輩だけは、まだ全然高校生って感じですけどね」

「それどういう意味?」

「褒め言葉ですよ、もちろん」

「この〜!夏希だって、いつまでもワンコみたいな顔してるじゃん!」


 千歌が身を乗り出し、テーブルの向こうの夏希の頭をくしゃくしゃにしようとする。それを阻止しようとして、夏希も千歌に手を伸ばした。


「も〜、やめなって、2人とも」


 2人の様子に困ったように笑いながら、七海は夏希の手を自分の両手で包み込み、胸元へと寄せた。


「お店ではしゃいじゃダメ。ね?」


 七海に覗き込むように優しく言われ、夏希がしゅんとする。犬みたいだ。


「わかってますよ。はしゃいでるのはこの人だけです」

「ナツもはしゃいでる。すごく楽しそうだもん」

「そんなこと……」


 ふふ、と七海が笑い、その顔を見て夏希も笑う。


「ちょっとそこ、いちゃいちゃしないでよね」


 千歌が厳しい顔で2人を指差すと、その一瞬後にはまた弾けたような笑い声が上がっていた。


「もう、ほんと、仲良しで何よりですよ。でもさ、私たちの中で一番変わったのはやっぱり七海だね。昔はさー、ザ・お子ちゃまって感じだったのに。いい女になっちゃって」

「ほんとに、綺麗になった」


 思わず私がつぶやくと、目の前に座る七海が、驚いたように目を見開いた。


「やっぱり明菜もそう思うよね。ていうか、高校時代は明菜と七海、2人が一番仲良しじゃなかった?七海っていっつも、明菜の後ろをついて回ってたイメージあるよ」


 千歌は枝豆に手を伸ばし、うんうんと自分の話に自分で相槌を打ちながら話続ける。

 この子も相当酔ってきたな、と私は思う。


「私と明菜が3年の夏頃だったよね、4人で集まらなくなっちゃったの。春頃はさ、部を引退しても私たちの関係はずっと変わらないんだろうなって思ってたんだけど、やっぱりそういうわけにはいかなかったね。なんたって明菜は医学部受験だし。勉強第一になっちゃって。部室に行っても、夏希も七海もいないし。寂しかったな。そしたらなんか、2人が付き合い始めたとか聞かされて、もうびっくりだったよ。今だから笑えるけどさ、実は私ね、七海は明菜のことが好きなのかなって思ってたんだよね」


 あはは、と千歌が笑う。

 私は、ただ俯いた。七海の顔を見ることが、できなかった。


「それは!、」


 その時、七海の甘い声が大きく響いた。

 はっとして顔を上げると、夏希と千歌も驚いたような顔で七海を見つめていた。


「あっ、ごめんさない。なんか大きい声出しちゃった。千歌ちゃんが変なこと言うから」

「あはは、いや、こっちこそごめんね」

「いいの、たしかに私、高校生の頃、明菜ちゃんのことを尊敬してた。憧れてたのかも。ナツにもよく、金魚のフンみたいって言われてたし」


 懐かしいね、と七海がナツの頬に触れる。


「……そんなひどいこと、言った覚えはありません」

「ふふ、都合の悪いことは忘れちゃうんだもんね、ナツは」


 そう言って、七海は笑い、それから真っ直ぐに私の目を見つめた。


「今日は本当に、久しぶりに会えて嬉しかったです。明菜ちゃんのこと、千歌ちゃんからは聞いてたけど、本当に立派な医者さんになったんだね。自慢の先輩です」

「……ありがとう」

「うん。また今度、4人で集まろうよ、昔みたいに。……私とナツ、今日はそろそろ帰るね」


 行こ、と七海が夏希の手を取る。


「あっ!じゃあ、私たちも一緒に帰るよ。明菜も私も酔っ払いだし。一緒に出よう」


 千歌が言って、伝票に手を伸ばす。


「千歌、伝票もらう。奢りだって言ったでしょ」

「さすがに申し訳ないって。私が立て替えるからさ、あとで半分ちょうだい」

「でも、」

「いいから、いいから。先に出てて」

「ごめん。ありがとね、千歌」

「はいよ」


 千歌がひらりと会計に向かうのを見送って、「じゃあ、先に出ようか」と私は言った。


「……ななちゃん、先に行ってて。明菜先輩、私も払いますから。奢ってもらうのとか好きじゃないんです」

「え、でも」

「ななちゃんのこと、お願いします。ななちゃん酔ってるから、転んじゃダメだよ?」


 子供に言い聞かせるような口調で七海にそう言うと、夏希は明菜を追いかけて行ってしまった。

 七海と2人取り残され、途端に私はどうしてたらいいかわからなくなってしまう。


「ナツって、いつもああなんです。高校の頃から変わらないでしょ?」


 夏希の後ろ姿を見つめながら、七海が小さな声で言う。柔らかな声。


「……そうかな。夏希って確かに顔は変わらないけど、中身はすごく変わった気がする。だって昔は、七海にきつくあたってたでしょ?……今は大丈夫なの?」

「ナツは優しいよ。すごく優しい」

「そう……」

「行きましょう」


 店の外に出ると、酔った頬に冷たい風が心地よかった。

 道路から少し高いところにある入り口で、階段は降りずに2人を待つことにした。

 下を見渡しながら、涼しいですね、と七海が言う。


「そうだね、気持ちがいい」

「ナツと千歌ちゃん、ちゃんとお会計できるかな。心配」


 振り返り、眉を下げてふわりと笑う。その顔が、とてもかわいかった。

 どうして。どうしてこんなにも長い間、この子と離れて平気だったんだろう。

 今、こんなにも触れたくて仕方がないのに。


「七海、あのね」


 ん?と七海が首を傾ける。


「私……、私ね、七海にずっと、会いたかった」

「え……」

「後悔してるの、あの時のこと」


 七海の瞳が揺れる。大きな瞳に、水の膜が張る。街灯の光が瞬いた。


「どうして、そんなこと、」

「七海、」


 手を伸ばす。

 戸惑うように、七海は一歩足を引いた。

 その時。きゃっ!っと言う声がして、私の目の前から七海が消えた。

 それは、一瞬の出来事だった。

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さんかく 織伊よい @iyoyo129

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