第2話
丸く見開かれた大きな猫目に、瞬間見惚れる。
「明菜ちゃん……」
店内のざわめきの中、不思議なくらい耳に届く、癖のある甘い声。
その声で、名前を呼ばれるのが好きだった。
あんなにも会いたいと願っていたはずなのに、いざ七海を目の前にすると何も言葉が出てこない。
見つめ合っていたのは、ほんの数秒だっただろう。夏希は七海を支えるように腰に手を回すと、私たちのテーブルへと近づいて来た。
「千歌先輩。……明菜先輩もお久しぶりです。10年ぶりくらいですか」
夏希はそう言って、私に向かってペコリと頭を下げた。子犬のような童顔に涼しげな目元が懐かしい。常に冷静で、頭の良かった夏希。シニカルな表情をいつも口元に浮かべていた。
あの頃、夏希は七海のことが苦手なのだと思っていた。
それなのに。
「ほんと、久しぶり。2人とも、元気そうで……」
顔に笑顔を貼り付けて、言葉を吐く。うまくやれている自信は、まるでなかった。
「すごい偶然!さっきね、2人のこと話してたんだよ!」
千歌が身を乗り出し、はしゃいだ声を上げる。それを見て、夏希の表情が和らぐのを感じた。
「話してたって、悪口ですか?」
「もー、そんなわけないじゃん。懐かしいねって言ってたの!ていうか明菜、本当に2人と全然会ってなかったんだね!さっき時間止まってたよ」
そう笑いながら、千歌は2人の背後に回ると、強引に2人を座席へと押し込めた。
「ちょっと、なんなんですか」
夏希が迷惑そうな声を出すのも気にせず、千歌は私の隣へと席を移して七海と夏希、そして千歌と私が向かい合う形が出来上がった。
「せっかくなんだから、飲もう!まさか、このまま帰るなんてあり得ないでしょ!」
「いや、私たちは」
「いいじゃん、いいじゃん。何か予定でもあるの?ていうか今日は同窓会か何か?すごい賑やかだったけど」
千歌の傍若無人ぶりに、夏希は呆れたようにため息をついた。そんな夏希の顔を困ったような笑みで覗き込んで、七海が言葉を引き継ぐ。
「今日は、ナツの職場の集まりに、私も混ぜてもらってたんです。予定は特に無いんだけど、私が最近寝不足だったから今日は早めに帰ろうかってナツが言ってくれて。それで、先に出て来たんです」
ナツ。今はそんな風に、柔らかく恋人の名前を呼ぶんだね。
私は、頭の奥が急速に冷えて行くのを感じた。
「そっか、そっか。じゃあ、少しだけ!ね!一杯だけならいいでしょ?明菜だって、2人と話したいこと、あるんじゃない?」
千歌に水を向けられ、七海と夏希、2人の視線が私に向かう。
目の前の夏希の目が、まるで私を観察するかのように細くなる。
別に、と思った。
別に私がこんなに縮こまる必要はないんじゃないか。だって2人にとって、私はただの高校時代の先輩なんだから。
「そうだね。私も2人と話したい。こうやって4人で座ってると、なんだかあの頃に戻ったみたい」
にこりと笑って、汗をかいたグラスに手を伸ばす。
あの頃。そう、あの頃の私を再演すればいいだけだ。明るくリーダー気質で、面倒見が良いと良く言われた。頼りになる明菜先輩。
「今日は私が奢るから、飲もうよ」
明るく声を出した私を見て、夏希の口角が嘲るように持ち上がったのは気のせいだろうか。
「そうだよ!今日は明菜の奢りだよー!飲みまくっちゃえ!」
「……千歌先輩、さっき一杯だけだって言ったの、もう忘れたんですか?」
「千歌ちゃん、酔ってるね」
「酔ってる、酔ってる。人生に酔ってるよ〜」
「何言ってるんですか、この人」
夏希と七海が顔を見合わせてくすくすと笑う。
そんな様子を見て、変わったのは私だけなのかもしれないと思った。
千歌を軽くあしらう夏希と、なんだかんだで大人な千歌。そんな2人を見ながらケラケラと笑う七海。
この10年、この輪の中にいなかったのは私だけだ。
「ななちゃん、どうする?」
「ナツがいいなら、私はいいよ」
2人が囁き合うのを、私は空虚な気持ちで見つめていた。
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