第2話 独学と、もうひとりの落第生

リアムは、埃まみれの古書を抱きしめ、図書館を出た。冷たい石畳の廊下を歩きながら、胸中で燻っていた絶望が、小さな、しかし確かな希望へと変わっていくのを感じていた。魔力が少ないという圧倒的な才能の壁は、依然として彼の前にそびえ立っている。だが、彼はその壁を力で打ち破るのではなく、迂回し、あるいはその壁に新たな道筋を切り開く術を見つけ出したのだ。

「詠唱は、魔法を発動するためのプログラムだ」

その言葉を胸に、リアムは学院の敷地内にある、人目のつかない裏庭へと向かった。誰も使わないような、草木が生い茂る寂れた場所。ここなら、失敗を嘲笑されることもない。彼は古書の記号を脳裏に焼き付け、それを現代の魔法にどう応用するか、ひたすら思考を巡らせた。

訓練は過酷なものだった。わずかな魔力ですら、効率化を図るには集中力と精密な制御が求められる。リアムはひたすらに初級火魔法フレイム・バレットの詠唱を繰り返した。

「炎よ、この手に…《フレイム・バレット》!」

か細い火の玉は、相変わらず標的の木製人形に届かない。だが、リアムは焦らなかった。彼は、炎の大きさや速度ではなく、魔力の流れ、つまり「回路」の構築に意識を集中させた。脳内で、魔力の粒子が指先へと向かう道をイメージする。どの経路が無駄か。どこを短縮できるか。

その日の夜、彼は自室に戻ると、古書の記号をノートに書き写し、前世のゲーム知識と照らし合わせながら、独自の「魔力効率化の理論」を構築していった。それは、この世界の誰もが考えつかない、異質な発想だった。

日々の授業では相変わらずの「落ちこぼれ」だった。セドリックからの嘲笑も、教官の侮蔑も変わらない。しかしリアムは、もうその言葉に心が折れることはなかった。彼は、誰も知らない、自分だけの秘密の訓練に没頭していたからだ。

数週間が過ぎた。

裏庭での孤独な訓練は、小さな成果を産み始めた。いつものように《フレイム・バレット》を放ったとき、火の玉が標的に届いたのだ。木製の人形には、わずかに焦げた跡がついた。それは、他の生徒たちが放つ魔法に比べれば、あまりにも取るに足らないものだった。しかし、リアムにとっては、世界の理を覆すほどの、とてつもない成功だった。

「やった…!」

その時、背後から無骨な声が聞こえた。

「今の、お前が使った魔法か?」

リアムが驚いて振り返ると、そこに立っていたのは一人の少女だった。

彼女の名はティナ・ヴェルディア。リアムと同じクラスで、彼と同じく「落ちこぼれ」という不名誉なレッテルを貼られている少女だ。彼女は学院の制服を乱雑に着こなし、腰には大剣を提げていた。魔術学院にいるにもかかわらず、彼女は剣術ばかりに秀で、魔法はリアムと同じく、あるいはそれ以上に苦手だった。

「…ヴェルディア。何か用?」

リアムは警戒しながら答えた。この学院では、落ちこぼれに話しかける者などいない。嘲笑か、あるいは嫌がらせか。いずれにせよ、良い話であるはずがないと身構えた。

ティナは警戒するリアムの様子を気にも留めず、淡々と続けた。

「お前の詠唱、何か違う。いつもより短かった」

リアムは驚いた。誰も気づかなかったはずの、わずかな変化を、この少女は見抜いたのだ。

「詠唱は、いつもと同じだ」

リアムはそう言ってごまかそうとした。自分の秘密を、誰にも知られたくなかった。

「違う。いつもの『炎を、この手に…《フレイム・バレット》!』じゃない。なんか、もっと…詰まってた」

ティナはそう言って、自分の唇を指で触り、詠唱の動きを真似してみせる。

リアムは、息をのんだ。

彼女の言う通りだった。彼は「魔力効率化」の訓練を続ける中で、無意識のうちに詠唱の無駄を省き、言葉を短縮させていたのだ。それはまだ完全な無詠唱とは呼べない、不完全なものだったが、彼女はそれを見抜いた。

「…どうして、そんなこと」

リアムの問いに、ティナは少し気まずそうに目を逸らした。

「別に…。ただ、お前がいつも一人で、こんなところで何かやってたから、気になっただけだ。私は…魔法が全くできないから、いつも馬鹿にされてる。お前も、似たようなもんだろ」

その言葉は、リアムの心に深く刺さった。孤独に戦っていたのは、自分だけではなかったのだ。この学院のどこかに、もうひとりの「落ちこぼれ」がいた。

ティナは、魔術学院に入学したものの、彼女の魔力は剣の才能と引き換えに、ほとんどなかった。彼女の両親は、彼女を魔術師として名を上げさせようと必死だったが、ティナは魔法の才能が全く開花せず、日々冷遇されていた。彼女にとって、唯一の逃げ場は、己の肉体と剣だけだった。

「…お前、剣は得意なんだろう?」

リアムは、ティナの腰に提げられた大剣に目をやりながら尋ねた。

「ああ、まあな。でもここは魔術学院だ。剣の才能なんて、何の役にも立たない」

ティナはそう言って、少し寂しそうに笑った。リアムは、その言葉に、自分と同じ境遇の影を見た。才能に恵まれず、居場所をなくし、それでも諦めきれない。

「…詠唱を、短くする方法を考えてるんだ」

リアムは意を決して、自分の秘密を打ち明けた。

ティナは、驚きと同時に、興味深そうな表情を浮かべた。

「詠唱を短く?そんなことができるのか?」

「まだ、理論だけだけど。魔力を流す回路を、効率化させるんだ。そうすれば、少ない魔力でも、もっと強力な魔法が使えるはず」

リアムは、前世のゲーム知識と古書から得た理論を、ティナに懸命に説明した。それは、彼女にとって、全く新しい概念だった。彼女は目を輝かせながら、リアムの言葉に耳を傾けた。

「すごいな…それって、まるで…」

「ゲームの、プログラミングみたいだろ」

リアムがそう言うと、ティナは心底驚いたような顔をした。そして、彼女は一つの提案をした。

「なら…私と、一緒に訓練しないか?」

リアムは、彼女の言葉に、一瞬戸惑った。これまで、ずっと一人だった。誰にも頼らず、孤独に戦うことが、当たり前だと思っていた。

「お前は、剣の訓練を。俺は、魔法の訓練を。お互いの訓練を手伝うんだ。もし、お前がその…『効率化』ってやつを完成させたら、私にも教えてくれ。私は、お前の護衛をしてやる。ここには、ひどい奴らがたくさんいるからな」

ティナの瞳は、真剣そのものだった。彼女はリアムの孤独を知り、自分の孤独を重ね、そして、互いに助け合うという道を選んだのだ。

「…わかった」

リアムは、静かに頷いた。その瞬間、彼の胸に、これまで感じたことのない温かい感情が芽生えた。それは、共感と、連帯感、そして、新しい希望だった。

一人では成し得なかったかもしれない。しかし、二人なら。この広大で、孤独な世界でも、きっと道を切り拓いていける。

「ありがとう、ティナ」

リアムの言葉に、ティナは照れくさそうに笑った。

「礼を言うのはまだ早い。これから、もっと強くなって、あいつらを見返してやろうぜ」

二人の落ちこぼれは、誰もいない裏庭で、互いの手を取り合った。ここから、彼らの物語が、そして成長への第一歩が、静かに始まったのだ。






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