少年魔導師と古の書
ソラ
第1話 落第生の詠唱
「リアム・グランヴェール、詠唱開始!」
魔術学院の壮大な演習場に、教官の甲高い声が響き渡った。大理石の床には魔法陣が幾重にも刻まれ、天窓から差し込む光が、空気中に漂う魔力の粒子を煌めかせている。しかし、その神聖なはずの空間は、リアムにとって常に凍てつくような緊張感と、底知れぬ孤独に満ちていた。
周囲の視線が一斉に、演習場の片隅に立つ華奢な少年へと注がれる。その視線は、期待でも好奇心でもない。ただの嘲笑と侮蔑、そして憐憫の入り混じった、冷たい眼差しだった。
リアムは身震いしながらも、震える唇を開いた。彼の魔力は、同年代の平均の半分にも満たない。クラスメイトが
「炎を、この手に…《フレイム・バレット》!」
か細い光がリアムの指先に灯り、かろうじて豆粒ほどの火の玉が揺らめいた。その火の玉は、わずか数メートルの距離にある標的の木製人形に届く前に、力なく空中で消滅した。まるで、彼の存在そのものを象徴するかのように。
「ふん、またか。リアム、お前は本当に才能がないな」
教官はあからさまに呆れた様子でため息をついた。その言葉は、既にリアムが聞き慣れたものだった。彼の姓であるグランヴェールは、この国では由緒ある貴族のものだが、リアムは落ちぶれた分家の子息に過ぎない。本家の後ろ盾もなく、少ない魔力しか持たない彼は、この魔術学院では「落ちこぼれ」というレッテルを貼られ、周囲から嘲笑される日々を送っていた。
「おい、グランヴェール。まともに魔法も使えないくせに、何が貴族だ。そんなひ弱な魔法、虫けらでも笑うぞ」
不躾な嘲笑の主は、セドリック・アルベルク。学院でも屈指の才能を持つ、有力貴族の子息だった。彼は優雅な笑みを浮かべながら、掌に燃え盛る火球を創造してみせる。その完璧なまでに洗練された詠唱と、絶大な魔力の差は、リアムの心臓を鷲掴みにするような劣等感を呼び起こした。
リアムは俯き、掌に残る魔力の虚しさに唇を噛みしめた。転生してこの世界に来てから二年。ゲーム好きだった前世の知識はあっても、この世界の魔法の壁はあまりにも厚かった。ゲームでは努力と周回でなんとかなることも多かった。しかし、この世界では「才能」という絶対的な壁が、リアムの前に立ちはだかっていた。
演習が終わり、クラスメイトたちがざわつきながら去っていく中、リアムは一人、静かな図書館へと向かった。リアムにとって、ここは唯一の安息の場所だった。誰も彼に話しかけてこない。誰も彼を嘲笑しない。広大な書架に囲まれ、ひんやりとした空気に満ちた空間だけが、彼をありのままに受け入れてくれる気がした。
彼は書架の奥、誰も手に取らないような古びた魔術書を読み漁った。どうすれば、この少ない魔力で戦えるのか。強い魔法が使えないなら、どうすればいいのか。答えはどこにもなかった。古い魔術書には、魔術師として必要な心構えや、魔力の増やし方など、基本的な知識しか書かれていない。それらは全て、リアムが既に試して、挫折したことばかりだった。
絶望に支配されそうになりながらも、リアムは諦められなかった。前世で何度もプレイした、育成ゲームの記憶が脳裏をよぎる。レベルの低いキャラクターでも、装備やスキルを工夫することで、格上の敵に勝つことができる。
この世界にも、きっと何か「工夫」の余地があるはずだ。
その時、リアムの指先が、一冊のボロボロになった魔導書に触れた。背表紙には文字がほとんど読み取れないほどに擦り切れているが、その装丁には、古き良き時代の荘厳さが残っている。彼はその本を抜き取り、埃を払いながらページをめくった。
その本は、古の時代に「失われた詠唱術」について記されたものだった。複雑な記号や図形が羅列されており、現代の魔法とは全く異なる体系で書かれている。現代の魔術師は、より簡潔で直感的な詠唱を好むため、このような複雑な書物は顧みられることがなかった。
しかし、その書に記された記号を見て、リアムは前世の記憶と重なる部分があることに気づいた。それは、まるでゲームのプログラミング言語のようなものだった。
「…効率、か」
ある記述に目が留まった。それは、詠唱を簡略化するのではなく、魔法を発動するための**「魔力の回路を最適化する」**という概念について書かれていた。魔力を込めるパスを短くし、無駄なエネルギーロスをなくすことで、少ない魔力でも魔法の威力を上げることができる、という理論だ。
詠唱は、魔法を発動するためのプログラムだ。プログラムの無駄をなくせば、消費する魔力も少なくなるはず…
誰も気づかなかった、あるいは気づいても魔力の乏しい者しか試さないような発想。リアムは、自分が持つ圧倒的な才能のなさを、逆転の発想で覆せるかもしれないと、かすかな希望を抱いた。ボロボロになった魔導書を胸に抱き、彼は決意を胸に立ち上がった。
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