他人の心の声が聞こえる女【短編小説】
Unknown
【本編】約15700文字
『この広い宇宙に比べれば自分の持つ悩みなんてちっぽけに思える』
という言葉に、どうも共感できない。
たしかに宇宙は信じられないほどデカい。だが、俺の悩みも宇宙に匹敵するくらいデカい。俺は自分の存在について日頃から悩んでいる。宇宙は宇宙、俺は俺。よそはよそ、うちはうち。
今、俺は、部屋を真っ暗にしている。そしてノートパソコンだけが星のように光っている。耳栓代わりにイヤホンを装着して、無音に身を委ねている。
パソコンの前の椅子に座って、何もせずにぼーっとしている。
ありがたいことに家族は俺に生きていてほしいと言うが、別に俺は生きたくないんだよなあ。でも死ぬのも痛そうだしなあ。それに後遺症のリスクも考慮しないといけない。
あーあ、生きるのめんどくせえなあ……。
俺は1Kのアパートの室内でタバコに火をつけて、そんなことを考えていた。
「──また1人で暗いこと考えてるね。
「こ、この声は!?」
俺は椅子から立ち上がり、ひもを引いて部屋の明かりをつけた。すると、そこには半袖とハーフパンツの【
◆
愛莉と俺の出会いは2か月前に遡る。
愛莉は生まれつき「他人の心の声が勝手に聞こえてしまう」という特殊能力を持っており、俺が1人の部屋で毎日24時間ずっと(彼女欲しいなあ……!)と思っていたら、いきなり愛莉が俺の部屋にクレームをつけに来た。
それがファーストコンタクトだった。
ある日、夜にインターホンが鳴らされたので玄関のドアを開けたら、知らない女性が立っていた。
「毎日毎日24時間、(彼女が欲しい!)ってうるさいんですけど!」
「え? 俺、部屋で一言も喋ってませんけど……」
「あなたの心の騒音がうるさくて、何日も眠れないので困ってます!」
「心の騒音? そんな意味わからないこと言われても……」
「とにかく、そんなに彼女が欲しいんだったら彼女作ってください!」
「いや、無理でしょ。誰が好きになるんですか。俺みたいな人間。暗いし不細工だしデブだし金も無いし」
「心の騒音がうるさすぎて、頭おかしくなりそうなんです!」
「……じゃあ俺、どうしたらいいんですか?」
「じゃあもうこの際、私が形式上だけの彼女になります。体に触れたりするのは禁止。おしゃべりとかデートならしてあげます。たまに」
「うーん……それって、やっぱりお金とか払う必要あるんですか? レンタル料金みたいに」
「申し訳ないので、お金は取りません。あなたは彼女ができて孤独感を感じにくくなる。私は騒音に悩まされることが無くなる。お互いにメリットがあります」
「え、貢がなくても彼女ってできるんですか!?」
「貢がなくても彼女は作れます。あと、これは妥協案です。私はあなたに好意を持っていません。あくまで騒音問題を解決するためですから、勘違いしないでくださいね。あと私は生まれつき、“他人の心の声が勝手に聞こえてしまう”んです。だから、あなたが考えてる事を当てることができます」
「え、ほんとですか。じゃあ今俺が考えてることを当ててみてください」
「いいですよ」
実は今、俺は彼女ができた喜びのあまり、心の中でこの女性との老後の暮らしを妄想していた。
──80歳になり、徐々にアルツハイマー型認知症が進行していく彼女を献身的に支える夫の俺……。それでも次第に失われていく2人の大切な思い出……。いつかきっと、妻は俺の事も忘れてしまうのだろうか……。
「あははは」
目の前の女性は急に笑った。
「なんで私を勝手にアルツハイマー型認知症のババアにするんですか。付き合って結婚して老後のことまで一瞬で考えてるんですね。妄想力が豊かですね。ついおかしくて笑ってしまいました」
「ええええ!? なんで分かったんですか。俺の心が……!」
「言ったじゃないですか。私、人の心の声が勝手に聞こえてしまう体質なんです。生まれつき」
「でも、それって生きる上でめちゃくちゃ苦労しませんか?」
「めちゃくちゃ苦労しますよ。この世の全人類の本心が分かってしまうので、私は人間の嫌な面ばかり見てきました。あと、人間は口先だけの噓つきしか存在しません。もう生きることに疲れたから、今は在宅リモートでプログラムの仕事をしてます」
「プログラマーは人と接する機会が少なくて良さそうですね」
「はい。天職です。ちなみにあなたのお仕事は何ですか?」
嘘をついたらバレる。ここは正直に言うしかない。
「そうですよ。嘘ついても無駄なので正直に言ってください」
それはそうと、この女性は『体に触れるのは駄目』だと言っていたな。恥ずかしい話、俺は28歳にもなって童貞だ。今後、俺に彼女ができる自信は一切無い。なので俺の童貞は永久に継続するものと思われる。
「28歳なのにまだ童貞なんですか。悲しいですね」
「俺の心を勝手に読まないでくださいよ!」
「読みたくなくても勝手に聞こえてくるんですよ!」
「……」
やはり他人の心の声が勝手に聞こえてしまうというのは本当らしい。人間の嫌な部分ばかり見えてしまうのは非常に生きづらいだろう……。
そんなことより、俺の童貞がこの女性にバレたのがめちゃくちゃ恥ずかしい。どうせ(キモイ男だなぁ……)と思ってるに違いない。何故なら世間一般で童貞が許される年齢は9歳までだからだ。俺はその基準を19歳もオーバーしている……。
「あははは」
「なにがおかしいんですか」
「全部ですよ。別にあなたが童貞なのはキモくないし、世間一般で童貞が許される年齢が9歳までっていうのも超おかしい」
「いや、気を遣わなくていいですよ。ほんとは俺の事キモイと思ってるのに、俺を傷付けないためにキモくないって言っただけですよね」
「キモい人だとは思ってませんよ。でも変な人だとは思ってます」
変な人なら別にいいや。思えば、学生時代からずっと変な人だと言われていた。
「そうなんですか。苦労しましたね」
なんか、俺が言葉を発する必要が無くて楽だなー。
「うん。楽でしょ。私と話すの」
うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ。
「小学生レベルですね。考えるイタズラが」
そんなことはない。俺はYouTubeで宇宙に関する動画を最近よく見ている。量子力学や相対性理論だって知っている。かなり知的でスマートな男、それが俺なんだ。
「YouTubeで勉強した気になってるのも小学生レベルですね。あはは」
よく笑う女性だな。まぁ正直言って量子力学とか相対性理論は意味不明だ。相対性理論は、バンドの方しか知らない。やくしまるえつこの声が可愛い。
「お、相対性理論は私も好きです」
「俺も好きです。というか邦ロック全般が好きです」
「私も。1番好きなバンドは何ですか?」
「俺が1番好きなバンドは──」
こうして偶然にも、お互いの共通の趣味が見つかって会話が盛り上がったのであった。
会話の終盤になって、やっと俺は彼女の名前を知った。
「そういえば言ってなかったですね。私の名前は武藤愛莉です。歳は今年で29になります」
「そうなんですか。同学年ですね。俺も今年で29歳です。名前は山田優雅です。職業は、在宅の作業所です。色々事情があってメンヘラなので」
◆
形式上ではあるが、一応彼女ができたので、俺は(彼女が欲しい)と心の中で思う事が無くなった。そして心の騒音問題は解消され、隣人である愛莉は健康的な睡眠を取り戻した。
おしゃべりやデートを重ねるうちに徐々に親密になっていった。
意外と、俺と愛莉は波長が合った。
そして基本的に俺が心の中で言ったことに対して、愛莉は笑うことが多かった。
◆
そして今に至る。
俺が(あーあ、生きるのめんどくせえなあ)と心の中で言っていたら、愛莉が俺の部屋に来た。部屋の鍵を閉め忘れていたか。
「──また1人で暗いこと考えてるね。
「こ、この声は!?」
俺は真っ暗だった部屋の電気をつける。そこには愛莉が笑顔で立っている。
「私が形式上、優雅の彼女になったから、(彼女が欲しい)っていう心の騒音は静かになったけど、優雅がずっと悩んでるのが隣の部屋でずっと聞こえるの。だから様子を見に来た」
「そうか。悪いな」
「いいよ。それにしても、優雅は本当にずっと悩んでるよね。生きたいとか消えたいとか、そんな事ばかり。あと、(もし急に戦争が起きたらどうしよう)とか、飛躍した悩みもよくあるね。あと自分とは無関係のニュースを見て勝手に心を痛めてる。あと、私の事でしょっちゅう悩んでる。(愛莉が急に死んじゃったらどうしよー)って聞こえてきた時は、さすがに笑っちゃった」
「だって、愛莉が死んじゃったらどうしようって勝手に思っちゃったから」
「感受性が豊かすぎるんだよ、優雅は。私が急に死ぬわけないでしょ?」
「いや、日本では1日に3000人も死んでるんだ。その中に愛莉や俺が入ってないとは限らないんだ。外に出たら交通事故で死ぬ可能性がある」
「もっと鈍感に生きなよ。鈍感にならないと疲れちゃうよ」
「愛莉は他人の心が勝手に聞こえてしまうけど、疲れない?」
「疲れる。だけど、鈍感ではある。他人が何を思おうが気にしないようにしてる」
「へえ」
よく見ると、愛莉は右手に白いビニール袋を持っていた。愛莉はそれを俺の部屋の小さい木製テーブルの上に置いた。
「人間は脳を働かせすぎると糖分が足りなくなるってどこかで聞いたことがあるような気がする。だから、悩み事がたくさんある優雅のためにコンビニのスイーツいっぱい買ってきた」
「え、マジで? ありがとう。俺甘いもの大好きなんだ」
「よかった」
そう言って愛莉はテーブルの上にコンビニスイーツを並べ始めた。和・洋は問わず、様々なスイーツが10個ほど置かれた。
「ええ、こんなに?」
「あ、もちろん私もいっぱい食べるよ。私も甘いもの大好きだからね」
「じゃあ一緒に食べよう」
「うん」
愛莉と俺はテーブルを挟むように対面して座った。プラスチック製のスプーンが2個ビニール袋に入っていたので、それぞれ分け合った。
「優雅は何が食べたい?」
どうしよう……。うーん……カマンベール・チーズスフレが1番食べたい。でもこの中で1番値段が高い。きっと愛莉もカマンベール・チーズスフレを食べたいと思っている。だったら俺は、安めの杏仁豆腐にでもしておこう。
「じゃあ杏仁豆腐で」
「カマンベール・チーズスフレね。分かった。はいどうぞ」
「あ、そっか。愛莉には俺の心が全部聞こえてるんだった」
「そうそう。だから私に気を遣わなくていいの。それに、優雅のためにスイーツ買ってきたんだから、1番食べたいのを正直に言いなよ」
「あ、うん」
「優雅は自分が1番食べたいやつじゃなくて、私のために安めの杏仁豆腐を選んだ。優しいね」
「優しいというか、こっちは買ってきてもらった立場だからな」
「まぁいいや。食べようよ」
「うん。いただきマンモス」
愛莉と俺は、喋りながらコンビニスイーツを食べ始めた。
久しぶりに甘いものを食べて食欲を満たしていたら、俺は何故かだんだんエロい気分になり始めてしまった。
その邪な気持ちはもちろん、すぐ愛莉にも伝わってしまった。
「そっか、私とそういう事してみたいんだ?」
「え? いや、全然そんなこと思ってない」
「心の情報は筒抜けだからね、全部」
「ごめん」
「怖いでしょ。私の前では自分の気持ちに絶対嘘つけないよ」
「なんかごめん。色々」
「いいよ。慣れてるし。それに男の人ってそういうもんでしょ」
「体に触れたりするのは禁止って言われたから、愛莉の体には触れない」
「手を繋ぐぐらいだったら良いよ」
「良いの?」
「うん。今、手を繋ぐのも大丈夫」
そう言って愛莉が握手しようと右手を差し伸べてきた。
俺はゆっくり右手を差し出して、愛莉と軽く握手した。
俺は、久しぶりに人の体温に触れた。孤独だった期間があまりに長すぎた。
愛莉は若干俺の手を握る力を強くしながら、こう言った。
「良かったね。久しぶりに女と手を繋げて」
「あ、うん。良かった」
「私も久しぶりに男の人と手を繋いだ」
「そうなのか?」
「うん。色々あって、恋愛からはしばらく遠ざかってる。優雅との関係も恋愛ではない」
「たしかに。形式上の彼女だからな」
「うん。まぁ、友達かな」
「そういえば愛莉の手は小さいな」
「優雅の手がでかいんだよ」
そう言って愛莉が笑った。
「私、優雅がもう私のこと好きになっちゃってるのも知ってるよ。だって部屋にいるとたまに聞こえてくるからね。(愛莉とずっと一緒に居たいなあ)とか。形式上の彼女をガチで好きになっちゃったらだめでしょ」
「ごめん」
「しょうがないよ。寂しがりで童貞だもん」
「俺は単なる童貞じゃない。“令和の大童貞”だ。普通の童貞よりも更に簡単に異性を好きになりやすい」
「ただの童貞じゃなくて令和の大童貞なんだね。勘違いしてた。でも優雅は自然と気が遣える人だから、チャンスはあると思うよ。問題はどこで誰と出会うかだね」
「そうだな。出会いが全く無いんだ」
「──じゃあ私の女友達、紹介してあげようか? その子、優しい彼氏が欲しいんだって。その子に優雅を紹介しようかなって思うんだけど、どう? 多分お互いに気が合うと思うよ」
俺は思わず、繋いでいた愛莉の手を離して、俯いた。
「ん、どうしたの? 優雅」
「……だめだ、一切自信が無い。全く何も知らない女性とどうやって良好な関係性を築けばいいのか、俺には一切わからないんだ」
「大丈夫だよ。私が紹介しようと思ってる女の子も大人しくて優しい子だからさ」
「でも心の中では(うわ、こいつマジきもいんだけど。マジで令和の大童貞すぎるんだけど。マジで無理。生理的に無理なんだけど)って思われるかもしれない……」
「そんな子じゃないから安心して。てか卑屈になりすぎだよ。もっと自分に自信もって」
「うーん……」
「あっ、そうだ。じゃあとりあえず、まずは私も含めた3人で食事にでも行こうよ。良いレストラン知ってるんだ。個室の座敷も沢山ある。タッチパネルで注文するの。最初はそこで3人で話そう。それ良くない?」
「あー、あそこのレストランなら俺も知ってる。あと、愛莉もいてくれるなら安心だな」
「じゃあ決まりね。私の友達にも連絡しておく。日程は、明日にしよう。明日、日曜日だから」
「明日!? 急すぎるだろ。心と体の準備をさせてくれ。俺は最低でも3か月はダイエットしてから、その子に会いたい」
「あははは。3か月もあったら別の人に取られちゃうかもよ?」
「たしかに」
「それに、その子は男の見た目とかあまり気にしないタイプだから、とりあえず常識としての最低限の清潔感があったら大丈夫だよ」
「眉毛を整えることくらいしか、今の俺にはできない」
「それで充分じゃない? あとはヒゲつるつるにしなよ」
「俺、知らない女の人に好かれる自信が無い……」
「あっ、今さっき友達にLINE送ったんだけどね、向こうも『私、その男の人に好かれる自信が無いよ……』って言ってるよ。お似合いじゃん! あはははは」
俺の不安とは裏腹に、愛莉は今の状況を面白そうにケラケラ笑った。
◆
翌日。
俺は適当なハーフパンツと黒いバンドTシャツを着て、自分の部屋の中で緊張していた。食事をする場所は、このアパートから車で5分くらいの場所にある大衆向けレストランらしい。愛莉によれば、「お昼時から超混み始めるから、11時にはお店の中に3人で入っておこう」との事だ。
10時20分頃、愛莉から『行こう』と連絡が来たので俺は玄関で黒いサンダルを履いて外に出た。愛莉と俺は愛莉の所有する軽自動車に乗った。俺は助手席に乗った。
軽自動車のエンジンを掛けながら愛莉が言う。
「じゃあまずは私の友達を拾いに行こう。ちなみに高橋ひかりって名前の子。私はひかりの事を『ひか』って呼んでる。年齢は私たちと同じで、今年で29。穏やかで優しい女の子だから安心して。あと感受性が豊かで、すぐ泣く」
「うん……」
穏やかで優しく感受性が豊か、か。この現代社会で最も生きるのに苦労するタイプだな……。
俺がそう心の中で思うと、愛莉がこう言った。
「ご名答。ひかは、生きるのに苦労するタイプ。前の会社で同僚から理不尽ないじめに遭っちゃって鬱になって、今は実家暮らしで療養してる。精神科にも通ってる。でも、だんだん回復してきて、彼氏が欲しいって思えるようになったんだってさ」
「精神科には俺も通ってるぞ。毎日7種類の薬を飲んでる。そんな俺に務まるのか? その、ひかりさんの彼氏が」
「なんか、優雅とひかって2人とも心の根っこの部分は似てるような気がするんだよね。優雅の方が変人だけど。まぁ私に接するような感じで接すれば大丈夫じゃないかな」
「そこに行き着くまでが難しそうだ。共通の話題とかあればいいんだけど」
「ひかは音楽とかロックバンドが好き。暗いバンドが特に好きみたい」
「お、マジか。暗いバンドだったら会話が10時間は少なくとも続くぜ」
「マジ? どんだけ音楽好きなんだよ。食事の後に3人でカラオケにでも行く?」
「行く行く。機種はジョイサウンドが良いなぁ」
「ジョイサウンドの何が良いの?」
「曲数が豊富だ。マイナーなバンドも沢山あるぞ。音楽が好きならジョイサウンドが良い」
「へえ」
愛莉の運転する車はしばらく走り続けた。
◆
10時40分頃に『高橋ひかり』さんの実家に着いた。
「よし優雅、私と一緒にひかを迎えに行くよ!」
「え、俺は車の中で待機で良くね?」
「だめ。人間関係はファーストコンタクトの第一印象が大事なの。車の中で優雅だけが待ってるより、優雅も一緒に迎えに行った方が絶対に相手に与える印象が良い」
「一理ある。俺もひかりさんを迎えに行く」
愛莉と俺は同時に車から降りて、高橋ひかりさんの実家の庭に入っていき、玄関の扉の前に立った。
「ほら、優雅がインターホン押さなきゃ」
「う、うん。緊張する……」
俺は家のインターホンを鳴らした。
やがて、長方形の曇りガラス越しに人影が見えて、ガチャ、と鍵が開く音がした。直後、ドアがゆっくり開かれて、俺は『高橋ひかり』さんと思しき女性と目が合った。
メガネをかけていて髪が黒くて長い。目が少し垂れ目で可愛い。やばい。可愛い。俺とは絶対に不釣り合いだ!!
その情報が瞬時に脳全域に流れ、データとして保存された。だが、俺は間を空けずに無表情で声を発した。
「あ、こんにちは。はじめまして。武藤愛莉さんの友人の山田優雅っていう者です。愛莉さんとは住んでるアパートが同じで、何気ない事がきっかけで仲良くなりました」
俺がそう言うと、高橋さんは笑顔になり、俺にこう言った。
「あ、はじめまして。私は高橋ひかりって言います。愛莉とは高校時代からの同級生で、私の唯一の友達なんです」
「へぇ、高校時代からのお友達なんですかー。そういえば今日も暑いですね」
「暑いですねー。ほんとに」
「……」
「……」
俺と高橋ひかりさんの間に沈黙が少し流れた。
俺は心の中で(やばい。愛莉、助けてくれ……!)と念じた。
すると愛莉がすぐ後ろから俺の横に来て、
「おはよう、ひか! さっそく3人でご飯食べに行こう!」
「あ、おはよう愛莉。ごめん、ちょっとだけ待ってて」
「うん、待ってる」
ひかりさんは荷物を取りに行くためか、一旦階段を上ってどこかに消えた。
直後、愛莉が俺の耳元で小さな声でこう言った。
「優雅は助手席じゃなくて後部座席に乗った方が良い」
「まぁそうだな。愛莉が運転する車だ。俺がもし助手席に乗ってたら、ひかりさんは愛莉と俺の距離感が近いと思って、疎外感を感じるかもしれない」
「そう。そういうこと。私はあくまで2人の橋渡し役だからね」
「そうだな」
やがて、淡い黄色のバッグを持った高橋ひかりさんが現れた。
「おまたせしました。優雅さん」
俺の目を見て、ひかりさんはそう言った。
「あ、いえ、全然」
と俺は言った。いきなり下の名前で呼ばれると思っておらず、俺は少しびっくりした。
次からは俺も積極的に相手の下の名前を会話の中で出していくべきだな。
「じゃあ行きましょう。ひかりさん」
俺は彼女の目を見て、無表情でそう言った。
「行きましょう」
ひかりさんは笑顔だ。やばい。俺は笑顔を作るのが超下手なので、基本的にいつも無表情だ……!!
◆
車内の後部座席の奥に俺は乗った。
ひかりさんは助手席に乗り、愛莉が車を運転する。
ひかりさんが助手席に乗ってくれてよかった。
いきなり隣同士だと緊張する。愛莉というクッション的な役割が、ひかりさんにも俺にも今は必要なのだろう。
車を発進させると、愛莉は笑いながら、隣のひかりさんにこう言った。
「ね、言った通りの男の人でしょ? ひか」
「うん。言った通り」
一体、愛莉はどういう言葉で俺を紹介したんだろうか……。
とりあえず、俺が無言になるのは良くない。
「あ、そういえばひかりさんってメガネなんですね。俺もメガネだから、ダブルメガネバーガーですね。マクドナルドの新商品にありそう。ダブルメガネバーガー」
やばい。意味不明だ。俺は何を言ってるんだ……!?
俺は自分の言った言葉が恥ずかしくなり、顔がとても熱くなった。
「ふふふ。そうですね。ダブルメガネバーガーですね」
お、マジか。笑ってくれたぞ、ひかりさんが。
「ダブルメガネバーガーってなんだよ。あはは」
と愛莉がツッコんでくれた。すると、ひかりさんも俺も「あはは」と同時に笑った。
いいぞ、ナイスアシストだ……! 愛莉。
「ひかの今の状況について大まかな事は、優雅さんに少し伝えておいたよ」と愛莉。
「あ、そうなの?」
「うん。だから安心して」
俺もなんか言っておこう。ひかりさんの嫌な記憶であろう『会社でのいじめ』というワードは出さずに。
俺はこう言った。
「実は俺も昔、ひかりさんみたいに正社員で働いてた頃に色々あったんですよ。あと、実は俺も精神科に通ってるんです。今は精神的には割と安定してるけど、たまに心が空っぽになっちゃうんですよね」
「あ、そうなんですね。心が空っぽになっちゃうっていう感覚は私も分かりますよ」
「分かりますか。なんか、全部どうでもいいやーってなりがちですよね」
「あー、なりますねー。私、徐々に精神的に安定し始めたんですけど、そしたら今度は孤独感が辛く感じるようになってしまって……。それでなんか、その、あの……」
ひかりさんは言い淀んだ。
言い淀んだ言葉は、「孤独感が辛く感じるようになってしまって、彼氏が欲しくなった」だろう。
ていうか、だいぶ今更だが、俺なんかが彼氏になって良いのだろうか。
容姿や人間性の壁を仮に突破したとしても、俺には金が無いぞ。俺は精神障害者として認定されており、在宅の時給の安い作業所のお金と障害年金と親の月2万の仕送りで生活している。
冷静に考えて、お金のない俺は彼氏になるべきではないだろ……。
俺が心の中でそう呟くと、車を運転しながら愛莉が唐突にこう言った。
「ねぇ、聞いてよ。ひか」
「なに?」
「実は私ね、この1か月で2キロも太っちゃったのー」
「え、そうなの?」
「太いと言えば、ひかのパパは大きな会社の社長さんだから、実家が太いよねー」
なんだよ、その無理矢理すぎる話の変え方。
だがナイスアシストだ……!
愛莉は遠回しに「高橋ひかりさんは実家が金持ちだから、お金が無い男とも付き合える」という事を俺に伝えたかったのだろう。
その後、ひかりさんと俺は互いに自己紹介などをした。俺は正直に自分の職業を打ち明けた。だが、特に何とも思っていないようだった。
3人で喋っているうちに、11時頃に大衆レストランの駐車場に到着した。
駐車場の車は半分くらい埋まっていた。
和風な感じのレストランだ。そういえば俺はここに何度か来たことがある。
店の中に入ると、店員さんが「いらっしゃいませー」と言った。周囲にはお客さんが結構いる。待機所にも結構な人数がいる。ここは人気レストランだな。
愛莉はレジ横にあるタッチパネルを操作し始めた。その様子をひかりさんと俺が並んで眺める。
「えーと、人数は3人で、席は個室の方がゆっくり話せるから個室にしよう。で、座敷の『堀あり』と『堀なし』が選べるけど、2人はどっちがいい?」
「俺は堀あり」
「私も堀あり」
「じゃあ堀ありにしよう。で、決定と」
愛莉が決定ボタンを押すと、タッチパネルの下の部分から紙が出てきた。22番と書かれている。どのくらい待つのかは分からない。
と思った直後、
「22番でお待ちのお客様ー」
と近くの店員が言った。なんと全く待たずに順番が来た。
◆
店員さんに案内されながら複雑な構造の廊下を歩いた。
俺の目から見て左側の部屋に案内された。
座敷の個室に入る前に靴は脱ぐスタイルらしい。一応短い靴下を履いてきて正解だった。俺は愛莉とひかりさんが個室に入った後、サンダルを脱いで、最後に部屋に入った。
部屋の真ん中に左の壁と繋がった長方形の長テーブルがあり、部屋を上から見て愛莉は右奥、ひかりさんは愛莉の隣、そして俺はテーブル越しに2人と対面する形で座った。
メニュー表は何枚もテーブルの上に置かれている。
「ここはタッチパネルで注文するのはみんな知ってるよね。優雅さん、タッチパネルの操作は任せたよ」
「うん。分かった」
愛莉は、ひかりさんの前では俺に『さん』を付ける。俺もひかりさんが居る時は、無意識に『愛莉さん』と呼んでしまう。まぁ、それが正解だろう。
とりあえずみんなでメニュー表を見ながら、みんなの注文を俺がタッチパネルの番号で押していく。自分が食いたいものも注文していく。
「みんなでつまめる物も欲しいよねー。大皿のポテトでも頼もうかなー。2人はなんか食べたいものある?」
と愛莉が言う。
「俺、最近甘いものが大好きでデブになったんだ。デザートいっぱい食いたい」
「私も甘いもの大好きです。デザートいっぱい食べたい」
「あ、ひかりさんも甘いもの好きなんですか」
「はい。毎日アイス食べてます。優雅さんも甘いものが好きなんですね」
と話していたら愛莉が、
「私も甘いもの大好き。あとさ、3人とも同学年だから、今から3人全員タメ語で喋ろうよ。あと、全員が全員を呼び捨てにしよう。はいスタート」
と言った。
正直これはかなりありがたい。全員同年代だから、変に気を遣う必要は無いのだ。全員が全員を呼び捨てなのも、分かりやすくてありがたい。
「そうだな。今から全員タメ語で話そうぜ。あと呼び捨てで」
「そうですね」
「あ、ひかり“さん”が速攻でルール破ってるぞ!」と俺。
「2人ともルール破ってるよ!」と愛莉が笑った。
ひかりと俺も笑った。
◆
談笑しているうちに、頼んだメニューが次々に運ばれてきた。
1番最初に届いたのは、ひかりが頼んだ「天丼とミニうどんのセット」だった。
次に届いたのは、大皿のポテトだった。3人でポテトを食い始める。
ひかりは自分の頼んだものには手を付けず、気を遣ってポテトだけ食べていた。
3人でポテトを食っていると、愛莉が言った。
「ひか、食べていいよ。自分の」
「でも、まだみんなのが届いてないし」
「気にしなくていいよ」
「でも」
俺は、なんとなく気まずくなり、こう言った。
「そういえば3人分の水が無いな。俺が水を取ってくる」
この部屋のすぐそばにウォーターサーバーがあった。みんなそれぞれの飲み物は注文しているが、水もあった方が良いだろう。
「あ、水は私が取りに行く。優雅は、ひかと2人で喋ってて」
「あ、うん」
気を遣った愛莉が立ち上がり、部屋から出ていき、座敷には俺とひかりだけになった。
無難に趣味の話でもするか。もちろんタメ語と呼び捨てというルールで。
「ひかりは、なにか趣味とかある? 俺は自分で小説を書いてそれをネットに上げるのが趣味なんだけど」
「え、すごい。小説なんて書けるんだ。私はイラストを描くのが昔からの趣味だよ。鬱になってから一切描けなくなったんだけど、だんだん回復してきて描けるようになってきたよ。優雅の小説、読んでみたい」
「え、それはちょっと恥ずかしい。知ってる人にはあまり見られたくない。ひかりの描いたイラストが見てみたい」
「えー、恥ずかしいよ。私だって知ってる人に自分のイラスト見られるの恥ずかしい」
「じゃあ、どんな系統のイラスト描いてるかだけ教えて」
「私が描いてるのはね、病んでる可愛い女の子の2次元っぽいイラストが多いかな」
「俺、絵のこと全く詳しくないけど、液タブとか使って描いてるの?」
「そうそう。一応Xに絵を上げる用のアカウントがあるけど、いいねの数は少ない。私、自分から友達とか作るの苦手で、SNSに向いてないの」
「俺もSNSは苦手だなあ。自分から行くのって怖いよね」
「わかる。ちなみに優雅はどういう感じの小説書いてるの?」
「うーん。ファンタジーじゃなくて現実世界の事を書いてる。現実世界の暗いことを主に書いてる」
「そうなんだ。どういう感じの暗さ?」
「うーん。生きづらさとか、孤独とか、そういうテーマが多いね。あと、俺は自分自身を主人公にすることが多いかなあ。1から主人公の設定を考えなくて済むのが楽だから」
「優雅自身が小説の主人公なんだね。なんか余計読みたくなってきた。優雅の小説」
「そっか。じゃあ、LINE交換しよう。ひかりのLINEに俺の小説のURLを後でいくつか送る」
「いいね。LINE交換しようよ」
互いにスマホを取り出して、互いのLINEのIDを交換した。
やがて、ひかりは俺の胸元辺りを見て、こう言った。
「最初に会った時からずっと思ってたんだけど、それって●●●●●ってバンドのTシャツだよね?」
「そうそう。よく知ってるね」
「私、実は●●●●●のファンなの」
「え、マジで!?」
「うん。マジだよ」
「へー、ひかりって音楽好きなんだ」
「大好き。特にロックバンドが好きで、その中でも暗いバンドが好き」
「暗いバンドは俺も大好きだ。暗いバンドの話なら、10時間は余裕で話せるよ」
「あはは。どんだけ好きなの。暗いバンド」
「俺も鬱とか不登校とか引きこもりの経験があるんだけど、そういう時には暗いバンドが俺の心に寄り添ってくれたんだ」
「ああ、まさに今の私がそれだ。私、職場で理不尽ないじめに遭っちゃって鬱を発症しちゃって、何年も実家で療養してるんだけど、暗い音楽は、そんな私をそばで支えてくれた」
「職場でいじめに遭っちゃったのか……。大変だったね。でも回復してきたならよかった。自分は一人じゃないって思わせてくれる音楽と出会うと、鬱は少しずつ回復するよな」
「うんうん。あとは、愛莉の存在も大きい。私、友達が愛莉しかいなくて、愛莉だけが鬱病の私と繋がってくれた。今回、こうして優雅を紹介してくれたのも愛莉だし」
「俺も愛莉には個人的に色々助けられたんだ。ひかりと会えたのも愛莉のおかげだ」
「優雅は、私なんかで良いの……?」
「それはこっちのセリフだよ。ひかりは俺なんかでいいの?」
「私はいいよ」
「俺もいいよ」
そう言うと、ひかりは笑った。釣られて俺も笑った。
やがて、部屋の扉が開かれた。黒いトレーに氷入りの水が入った透明のコップを持った愛莉が現れた。
「大丈夫? 2人とも気まずくなってない?」
「なってないよ。水ありがとう」と、ひかり。
「大丈夫だ。水サンキュー」と俺。
愛莉は俺たちに水を手渡して、さっき座っていた場所に座った。
何故か愛莉は、にやにやしている。愛莉は俺とひかりの心を読むことができる。俺たちの心を聞いているのだろう。
少し経つと、ひかりはこう言った。
「私、ちょっとトイレ行ってくるね」
「うん」と愛莉。
「うん」と俺。
個室からひかりが出て行った。愛莉と俺の2人きりになった。思わず気になって、俺は愛莉にこう訊ねた。
「ねえ愛莉」
「ん?」
「ひかりさんの心の声はどんな感じ? 俺、嫌われてないかなぁ。ひかりさんは内心、俺の事をどう思ってる?」
すると愛莉は笑顔でこう言った。
「優雅の事を凄く気の合う人だと思ってるよ。良かったね。ひかは、もう既に優雅の事が大好きみたい」
「えええ、大好きになるの超早くね!?」
「優雅が言えた事じゃないでしょ。だって、ひかと玄関で目が合った瞬間に(やばい。可愛い。俺とは釣り合わない!!)って一目惚れして、話してるうちに更に大好きになってるじゃん。ついでに言うと優雅は私のことも知り合ってすぐ大好きになっちゃった。優雅は女の人を好きになりやすいんだね」
「そりゃ令和の大童貞だからな」
「童貞なのと、女性を好きになりやすいのは全く関係ないと思う。私が思うに優雅は常に寂しいから、すぐに人を好きになっちゃうんだよ」
「そうかなあ」
「そうだよ。いつも優雅は1人で寂しがってる」
「いずれにせよ、ひかりさんはまだ知らないんだ。俺が“令和の大童貞”であるという残酷な真実を……」
「あ、優雅が令和の大童貞なのは昨日ひかにLINEで伝えておいたよ。『令和の大童貞でも全然気にしないよ~』って言ってた」
「おいマジか。ひかりさんはどんだけ器がでかいんだ。令和の大童貞でさえも受け入れるというのか!?」
「別に優雅が想像してるほど、童貞なんて女側は気にしてないからね。そりゃ気にする人はめっちゃ気にするけど、女全員が同じ思考なわけないじゃん」
「たしかに。俺が気にしすぎてた」
「大体、なにが令和の大童貞だ。あほ」
◆
ひかりがトイレから帰ってきて、やがて注文したすべての商品が届いたので、俺たちは3人で談笑しながらメシを食っていた。
各々の人生に迫る深い話やくだらない話まで何でも話し合った。気が付くと3時間以上もこのお店に滞在していた。
「──じゃあ、そろそろお会計しようか。このタッチパネルは割り勘の金額も表示してくれる。ほら」
立ち上がった愛莉がタッチパネルを操作すると、1人当たり3112円という金額が出た。
3人で9336円分注文したという事だ。
俺の財布の中にはATMから降ろしてきた1万円札が3枚ある。払おうと思えば払えるが、代償がでかいので正直言って払いたくない……! 割り勘がいい……! 俺はそう思っている。だが、この世の中には男女の食事代は必ず男性側が全額出すべきだと強く主張する層も存在している。それに、気前よく全額を俺が負担することにより、ひかりの中での俺の好感度が上がる可能性がある。だが、むしろ下がる可能性もある。(あ、この人、必死に見栄を張って何とか私の好感度を上げようとしてる……)と引かれるかもしれないぞ。
これは究極の2択だ。
そもそも会計云々の前に、ひかりと俺がいつか付き合うことになるとして、それは彼女にとって正しいことなのか? 無から宇宙が誕生し、星が誕生し、生命が誕生し、俺たちは今この瞬間を生きている。いわば“今”とは常に宇宙の歴史の集大成。とても貴重な他人の人生の“今”を俺なんかが奪ってしまっていいのか? 人類、すなわち我々ホモ・サピエンスは今から約30~20万年前に誕生したとされている。これは宇宙全体の歴史から見たら、つい最近の出来事である。だからなんだ?
と心の中で考えていたら、愛莉が俺の耳元で小声で、
「ばか。弱気になるな。ひかは優雅のこと既に大好きなんだよ?」
と俺にしか聞こえない声量で言った。俺は愛莉にしか聞こえない声でこう述べた。
「あ、うん、ありがとう」
やがて、ひかりが、
「3人で割り勘にしよう」
と提案した。……来た。ここは、かっこつける絶好のチャンスだ!!
「──いや、ここは俺が3人分の金額を払おう」
俺が冷静なかっこいい口調でそう言うと、
「それは優雅に悪いよー。3人で割り勘にしよ?」
と、ひかりは言った。
決まった……!!!!! 性格の優しいひかりなら、そう言うと思ったぜ……! 全額払う
「あはははは」
と俺の心の声を聞いた愛莉が笑った。それを見て、ひかりが釣られて笑い始めた。
「あはははは」
ひかりの笑い声に釣られて、俺も笑った。
「あはははは」
座敷の個室に3人の笑い声が響き合う。特に理由もなく連鎖的に。
◆
割り勘で会計を済ませた俺たちは、次にカラオケに向かうことになった。3人とも音楽好きという共通点もあるし、単純に俺はカラオケに行きたい。3人ともロックバンドが好きなら、世間的にマイナーな曲を歌って場の空気が盛り下がるという心配も無い。
俺は既に1曲目に歌う曲は決めている。俺のカラオケの十八番だ。
カラオケに行ったら俺が必ず歌う曲を、2人に聴かせたい。特に、ひかりに聴かせたい。ひかりは暗いバンドが好きだと言っていた。俺も暗い曲は大好きだ。
愛莉が車を5分くらい走らせると、カラオケに到着した。
さっきは愛莉が色々やってくれた。今度は俺がやろう。
3人で入店すると、爽やかな見た目の青年が「いらっしゃいませー」と言った。
俺が近づくと、
「何名様のご利用になられますか?」
と聞かれたので、
「3名です」
と答えた。その後、
「当店舗ではライブダムとジョイサウンドの2つの機種からお選びいただけます。どちらになさいますか?」
と聞かれたので、
「ジョイサウンドでお願いします」
と言った。
その後、ポイントやアプリがどうこうという話になり、このカラオケを頻繁に利用しているという愛莉がカードやアプリを提示した。ちょっと値段が安くなるらしい。
とりあえず時間は長時間。ドリンクは飲み放題にした。
俺たちはカラオケの奥の方の45番という部屋に案内された。
とりあえず、まずは3人で好きなドリンクを汲みに行って、45番の部屋で乾杯した。
愛莉は1人掛けのソファに座り、ひかりと俺は長めのソファに並んで座った。その距離感が近くて、俺は少しだけ緊張した。
「じゃあ誰が最初に歌う?」
と愛莉が言った。俺はゆっくり右手を上げて、
「──俺を本気にさせちまったな……。一発目は俺に行かせてもらおう」
と荘厳な口調で言った。
俺はデンモクを操作し「syrup16g」の「センチメンタル」を選曲した。そう。俺のカラオケの十八番とは「syrup16g」の「センチメンタル」であり、この俺の熱唱を聴けば、ひかりが完全に俺に惚れるのは明白である。
やがて、曲のイントロが流れ始めると同時に、部屋が暗くなってミラーボールが色とりどりに発光し始めた。
俺はゆっくり立ち上がり、右手に持ったマイクを口に近づけて、かっこよすぎる顔でこう言った。
「──それでは皆さんお聴きください。syrup16gで、センチメンタル……!」
◆
俺はセンチメンタルを魂を込めて歌い上げた。
すると、ひかりは「いぇー」と言いながらパチパチと拍手した。
だが愛莉は、
「一発目から暗い失恋のバラードなんて歌うなよ!」
と楽しそうに言った。すると、ひかりも同調して笑いながら「たしかに。一曲目から暗すぎてウケる」と言った。
「おい、ひかり。愛莉。暗い人生を明るく生きよう。俺はそれが言いたいんだ。あはははは」
俺の笑い声はマイクに乗って、45号室の中に響いたのであった。
~終わり~
【あとがき】
syrup16gのセンチメンタル、良い曲だから聴いてみてください。
最近やばいほど暑いので熱中症には注意している。
他人の心の声が聞こえる女【短編小説】 Unknown @ots16g
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