第14話 土曜日の事件前(7) 土曜日の朝
――アオイは、セラフィナ学園 第一寮の玄関口にいた。
アオイは、ローファーを爪先で引っかけて、玄関から飛び出した。立ち止まって、踵に指を入れる。靴を馴染ませて頭を上げると、制服からトーストとバターの香りがした。
「三枚も食べるんじゃなかったわ」
アオイは煉瓦の小道を歩いた。木々の香りが立ち昇り、夏の暑さを予感させた。――マンゴスチン、ヤマモモ、レインボーユーカリ。
涼しげな広葉樹の葉が、陰を作っていた。彼女は、手を顔にかざして陽を遮った。足早に小道を抜けると、白い階段が見えた。――息を整えた。
「さて、行くわよ」
左の手摺を掴んで、体を引き上げる。一段飛ばしで駆け上った。
――階段を昇るとバス停に出た。
車道のアスファルトが揺らいで見えた。バス停には『第一寮前』と記されていた。アオイはベンチの前を通り過ぎ、バス停を後にした。顔を上げると、校舎が遠くに見えた。――アスファルトの坂道が続いていた。
「いつもより、出るのが遅れたわ。ちょっと……まずい事になりそう」
彼女が呟くと、エラリスが聞いた。
◆「始業時間には、まだ余裕があるように見えるがね」
◇「そうなんだけどね。生徒が増える前に、教室に辿り着きたかったのよ。レポートの仕上げと……授業の予習が残っているのよ」
アオイが答えたが、エラリスは何も言わなかった。坂道に学生服が見えた。白と黒の制服が歩いていた。アオイは、早歩きを続けた。風が、彼女の髪を揺らした。すぐ脇をバスが通り過ぎた。――排ガスの匂いを残した。
◇「今朝の幻視は、かなり強かったわ。あれは予知夢ね」
とアオイは、エラリスに言った。
◆「予知夢……か? 遭遇時刻は、近そうかね?」
とエラリスは聞くと、アオイは答えた。
◇「夜景が見えたから夜ね。今夜だと思う」
◆「分かった。何か対策を考えよう」
アオイは、エラリスの念話に頷いた。
――校舎が見えてきて、生徒の数が増えた。
「アオイ様……おはようございます」
アオイが振り返ると、白い学生服の少女がいた。アオイが歩を緩めると、他の女学生たちも駆け寄って来た。アオイは立ち止まって、首をかしげた。微笑みながら、走っては危ないわよ……と優しく言った。
◆「なるほど……これは間に合わないな」
とエラリスが言うと、アオイも答えた。
◇「こんな時にも……見栄を張る。自分が憎いわ」
アオイは、数人の女生徒に囲まれた。彼女は、一人一人の名前を呼びながら、丁寧に挨拶を返した。
「今日は、暑くなりますからね。水分を多めに取りましょう。出来るだけ日陰を見つけて、休んでくださいね」
女生徒たちは、目を輝かせていた。
◇「ああ、もう間に合わない」
アオイは念話で呟いたが、エラリスは、二枚が限界だったとコメントした。
――後ろから、クラクションの音が聞こえた。
生徒達が、車道から離れた。アオイが後ろを向くと、リムジンが近づいてきた。右手の車道に止まり、ドアが開いた。中から、マチコが顔を出した。アオイは目を大きくして、口を開けた。
「乗らないの?」
とマチコが言った。アオイは口を閉じると、急いで頷いた。
「ありがとう、乗るわ!」
と言って、アオイはリムジンに滑り込んだ。シートに背を預けてから、女生徒たちに手を振った。リムジンが走り出すと、女生徒たちの歓喜の声が聞こえた。――悲鳴みたいだった。
「相変わらずの……凄い人気ね」
とマチコは笑いながら言った。アオイは、そうねと小さく呟きながら……左手をタップした。ホログラフは、AM7:10と表示した。――50分も余裕があった。
「うん……間に合いそう。本当に助かったわ、マチコ」
マチコはフンと頷いて、足を投げ出した。背伸びをして、シートに沈んだ。
――パッヘルベルのカノンが静かに流れていた。
アオイは、しばらく外を見ていた。車内には、ブラックベリーの香りが満ちていた。アオイが前に向き直ると、マチコが話しかけてきた。
「今日の予定は?」
「ミルテア地区の屋台で、昼食を取って……カートに乗って、湾岸を一周するの。そこからは……とにかく、門限まで遊びまくるのよ!」
とアオイが答えると、マチコが笑い声を上げた。――二人は、午後の予定について話し続けた。リムジンは、何時しか校舎の門をくぐり、下駄箱の前に止まっていた。
「もう着いちゃった」
マチコが言うと、ほんとねとアオイは答えた。アオイは、リムジンから降りると、マチコが出てくるのを待った。アオイは、ほらほらと言いながら、マチコの手を取って……校舎に入った。ブラックベリーの香りに、バターの匂いが混ざった。
――本日のミルテア地区の天気は快晴。大気は揺れ動いて、積乱雲を作ろうとしていた。そして、土曜日の事件は、これから始まるのだった。
―― 土曜日の朝(了)――
【ハルモニア・クロニクル】惑星アメイジア 音羽 光夫 @cold_editor
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