第16話 最期に望むもの

*流血表現があります。苦手な方はお控えください。





あやめは、丘の上から、『屍食鬼の館』の前で繰り広げられる骸屋との戦いを見ていた。


(雪は無事なのか?)


そんな言葉が頭をよぎり、あやめは自分自身にぎょっとした。


(なぜ・・・? 僕は雪の骸が恋しい。生きていては愛でられないだろう?)


それは、雪と出会ってからずっと抱えてきた矛盾だった。


一度向き合えば、疑問は次々と溢れ出した。


なぜ僕はさっさと雪を殺さなかったんだ。


なぜ野放しのまま、十年も生かしておいた?


今だって、どうして。


「どうして、涙が止まらないんだ・・・」


潰された片目を抑える。


雪が死ぬと思ったら。なぜだかとても怖かった。

なんで。どうして?


(――そうだ。僕が娘の骸を集め始めた理由は、『死んでいないと、そばにいてくれないから』だった)


誰ひとり、自分を見てくれない。


『庄屋の跡取り息子』。『金持ちの子』。『前妻の忘れ形見』・・・。呼ばれ方は様々あったが。


(僕を、名前で呼んでくれたのはただ一人。雪だけだった)


あやめは、突き動かされるように走った。


(僕が雪を殺せなかった理由は。君なら、生きていても僕を見てくれると思ったからだ)


雪が死ぬのは、天命なのかもしれない。

大勢を殺めてきた、罪深い男への、極刑。


だが、まだ間に合う。



気づいたらもう、迷いはなかった。






巨体の人骨は、龍胆を叩き潰そうと剛腕を振るう。逃げようにも、相手は巨人だ。人の距離感など、上空からは誤差である。あっという間に追いつかれ、避けるだけで精いっぱいだ。


雪を抱きかかえた龍胆は、せめて、と菫がいる我が家から離れた場所へと走る。


「龍胆さま、血が・・・っ!」


雪は叫ぶ。龍胆の傷口が開いたらしい。着物に血が滲み出ていた。


「落ち着きたまえ、雪。あっちは休憩など取らせてはくれないよ」


落ち着いた声色で雪をなだめるが、内心は動揺していた。


(地上のどこにも逃げ場はない。――物陰に隠れても、上からまるごと潰されれば終わりだ)


まさに八方塞がりだ。雪を抱えたまま、持久戦になるのは目に見えていた。


――どうする。


龍胆は歯噛みする。今回は相手が悪い。あの骨の妖怪からしてみれば、刀など爪楊枝のようなものだ。痛くも痒くもないだろう。


「龍胆さま。・・・わたしはもういいです、おろしてください」


不意に、雪がポツリと言った。


龍胆は動きを止め、雪の横顔を見つめる。雪は、はにかみ、同時に泣いていた。

ぽろぽろと、涙があふれてとまらない。


「わたしは充分、生きました。――あなたのおかげで、とても、とても幸せな時間だった」


上空から、次々に人骨の五指が二人をとらえようと地面に突き刺さる。だが竜胆は逃げようとせず、雪の言葉へ集中した。

雪は続ける。


「わたしは、両親が殺されたとき、死ぬはずだった身です。・・・あなたに出会えて、つかの間でも生きる喜びを知った。知ることができた」


雪は精いっぱいの笑顔で笑う。


「あなたは何度でも助けに来てくれた。・・・嬉しかった。わたしは、あなたほど優しくて素敵な人に出会えて、心の底から幸せでした」


だから、逃げて。


その一言を聞くと、意外にも、竜胆は雪をおろした。雪はおずおずと龍胆を見上げる。


「君は、ずるい」


龍胆は、眉間にしわを寄せていた。それはどの怪我よりも痛そうで。辛そうで。雪は胸をえぐられたような罪悪感に襲われる。


「雪がいない世界に、生きる価値などない。――・・・わかるだろう」


龍胆はぐっと雪を抱きしめる。


「死ぬときは一緒だ。行く先は違っても。せめて隣で散らせてくれ」


血の匂いに混じり、彼の匂いがふわりと香り、雪はまぶたを伏せた。


互いに、存在理由は同じだったのだ。


雪は腕の中で、力強くうなずく。


(ああ。わたしはひどい)


ともに死ぬと言ってくれた人を、とがめもしない。


(宣言しておいて、死ぬのが怖いだなんて。なんてわがままなんだろう)


雪は子供のように、すりすりと胸板に額をこすりつける。ごめんなさい、とつぶやきながら。





一方、『がしゃどくろ』の肩に乗った骸屋は、顎に手を添え、思案していた。


(死ぬ覚悟でも決めたか? 案外、脆かったな)


もっとねばるかと思ったが、二人は覚悟を決めたようだった。


だが、思い通りに死なせはしない。


「おいらが欲しいのは雪だけだ。何度もおいらを殺してくれたその鬼は、雪を回収したあとでなぶり殺してやる」


骸屋は唇をゆがめ、血の混じった唾を吐く。痛めつけられた礼は、たっぷりしてやるつもりだった。


――ふと、背後に殺気を感じて、骸屋は目を見開いた。


「あやめの兄さん。なんで・・・っ」


次の瞬間、骸屋は、ゴボッ、と口から血があふれた。背後から心臓を一突きにした男の袖を握りしめる。


あやめが、無表情で背後から短刀で背中を刺したのだ。あやめは短刀を引き抜くと、寒風に髪を遊ばせ、優雅に骸屋を見下ろした。


「気が変わった。――すまないね。わびならあとでいくらでもする。・・・雪から手を引いてくれ」


右手で刀を弄びながら言う。骸屋は躰から血を滴らせながらうめいた。


「それが謝っている態度かい。・・・あんた、見損なったぜ。おいらとの契約を破棄して、雪をどうするつもりだい」

「別にどうもしないさ」


あやめはひょうひょうと言った。その顔は、仏のように穏やかで、満足げにほほ笑んでいた。


「雪が年老いていくのを、地獄の底から愛でるだけだよ。こちらへ堕ちてこないか、待ち望みながら」



地上では。雪を抱きしめたまま、龍胆は『がしゃどくろ』を見上げていた。


(攻撃がやんだ。上でなにか起きているのか・・・?)





「兄さん。あいにくだがよ、契約は破棄しても、おいらは、あの女諦める気はさらさらねぇぜ?」


骸屋はゆるゆると立ち上がった。あやめは怪訝な顔をする。


「なに?」

「気に入っちまったんだよ、おいらも。雪のことが」

「・・・・・・!?」


あやめは驚愕し、次いでこの男を関わらせたことを深く後悔した。


(やはり、この男に頼むべきではなかった)


あやめの心配をよそに、骸屋は下卑た笑みを浮かべる。私欲に走った魔物は、商売などかなぐり捨てて、雪への執着心をむき出しにしていた。


「雪は、おいらの収集品に加えさせてもらう。――年取らせるなんて冗談じゃねぇ。花の盛りを摘まずして、なにが面白いってんだ」

「それを僕が許すとでも?」


あやめは凄む。しかし、骸屋からほとばしる殺気は消えなかった。


「契約を破棄した以上、あんたはもう客じゃない」


――邪魔だ。


骸屋は、きっぱりと言い切った。


あやめをすっぽり覆う影が濃くなる。巨大な人骨の手のひらだ。

避けるまもなく、あやめは問答無用で鷲掴みにされた。


「っ!」


ごきごきと、体中の骨が砕ける。『がしゃどくろ』は人を喰う怨霊の集合体だ。なんのためらいもなく、口を開けると、あやめを放り込んだ。


「くそっ!!」


逃げ遅れたあやめは、上半身だけ髑髏(しゃれこうべ)の歯から免れたものの、下半身は無惨にも噛みちぎられた。


躰の大半を喰われた。・・・もはや、再生は不可能だ。


あやめの死にかけの躰は、そのまま白い地面へ――雪の足元へ、落下していった。





雪と龍胆は唖然として、上で繰り広げられた惨劇を見上げていた。


あやめがこちらへ落下してくる。いち早く反応したのは龍胆だった。駆け寄り、地面に落ちる前に受け止める。


「・・・おい、貴様。どういう風の吹き回しだ」


龍胆はあやめを自身の目線と同じ高さまで持ち上げる。青い瞳をギラリと光らせた。


「雪を殺めろと命じたお前が、なぜやつを裏切った?」


もはや手足もない。首だけで、あやめは「ふん」と鼻を鳴らした。


「熟女になった雪も見てみたいと思った。・・・それだけさ」

「は・・・?」


雪は目を点にする。熟女? 意味がわからない。


龍胆は青筋を立てると、ぽいっとあやめを地面へ捨てた。草履でぎりぎりとその頭を踏みつける。


「貴様らは揃いも揃って、雪をなんだと思っている・・・!!」


物のように扱うこいつらが気に入らない。なにより、雪の何十年後まで見せる気はなかった。


あやめは気にする素振りもなく「はは」と笑う。


「小僧。僕にかまっている暇はないぞ。上を見ろ」


『がしゃどくろ』は体制を整えていた。今度こそ、三人まとめて潰すつもりのようだ。


「どうするんだ?」とあやめは片目で問うた。


「僕はもう動けない。あのバケモノに敵う相手など、ここにはいないだろう。どうやって雪を守る? 雪を死なせたら、僕はお前を許さない」

「言われずとも考えている」


龍胆は淡々と言った。しかし、こめかみをつたう冷や汗はとまらない。


判断する前に、『がしゃどくろ』は動いた。


ほかの二人には目もくれず、雪だけをつかもうと手を伸ばしてくる。柱のような骨は、鬼の力でもびくともしない。


あれよあれよと、気づけば雪の鼻先まで、穢れた指は迫っていた。


「雪、逃げろっ!!」


あやめが叫ぶ。一方、龍胆は唖然としていた。


雪は、見たことのない顔をしていた。


――菩薩。


この世のすべての罪穢れを受け止め、安らぎを与える、御仏の顔。


雪の可憐な唇から吐息が漏れる。それは、冬の冷気に冷やされ、白い霧へと変わる。


導かれるように、雪は両手を人骨へ添えると、その指先へ、口づけた。


かるい音を立てて離れる、小さな唇。


刹那、『がしゃどくろ』の指先が黄金に輝き始めた。


「なにっ!?」


骸屋は相棒の異変に動揺する。この光は、見覚えがある。


死ぬ間際に見た。

御仏の救済の光だ。


光は人骨の指先から全身へと、凄まじい勢いで駆け抜ける。光に包まれた髑髏(しゃれこうべ)は、歓喜の表情へと変貌する。


「雪っ! 避けろ!!」


龍胆の声で、雪ははっとする。頭上では、『がしゃどくろ』の躰は崩壊し始めていた。巻き込まれればひとたまりもない。


龍胆は雪を担ぎ上げ、不本意だと愚痴をこぼしながら、あやめも連れて行く。雪煙は花散里の村を巻き込み、あたりを真っ白に染めた。


「雪の口づけで、無数の怨霊が成仏したとでも言うのか・・・」


あやめはひとりごちた。雪にそんな力があるとは知らなかった。


疲れ果て、ぐったりした雪を、龍胆はちらりと見やる。力を使い果たしたらしい。




一方、骸屋は崩壊する『がしゃどくろ』から飛び降り、森へと逃げ込んでいた。

木陰に身を潜める。


(どうやら、雪はおいらの想像以上に『上玉』らしい)


喉から手が出そうだ。ますます雪が欲しくなった。

だが、雪の霊力の得体が知れない中、うかつに手を出すのは危険だ。


やむなく、骸屋は踵を返す。


手下の小鬼が差し出した上着を羽織ると、待機させていた牛車へ乗り込む。牽引する牛のいない俥は、ふわりと宙に浮く。あとに続き、魍魎たちは列をなす。牛車の車輪のもうもうとした雲に飛び乗り、夜空の闇へと消えていった。





崩壊した人骨は、やがて雪の結晶へと変貌した。


朝が来れば、太陽で溶かされ、跡形もなく消えるだろう。


誰にも知られることなく。・・・・・・ひっそりと。




意識を取り戻した雪は、無惨な姿となったあやめに歩み寄る。正座すると、ゆっくり、転がる首と、視線を合わせた。


「あなたは、わたしから、たくさんのものを奪った」


雪の長い黒髪が風に遊ばれ、あやめの頬をくすぐる。あやめは目を閉じ、静かに雪の声に耳を傾けていた。


「両親も。龍胆さまの『生』も。――だから、あなたを許すことはできないわ」

「・・・それで、かまわんよ」


あやめはゆるりと目を開けた。


「僕は最初から、許しなど求めてはいない。君に求めたのは・・・」


どこにそんな力が残っていたのか。

あやめは首を宙に浮上させる。


ふわり、雪の唇を奪った。


「あ・・・」


雪は目をまん丸にする。あやめはいたずらが成功した子供のように、無邪気に笑った。


「ふ、最後の最後で油断したね」


龍胆へ向け、ニヤリと笑う。


「じゃあな」


あやめの顔から、黄金の光が放たれた。


やがて、彼の頭があった場所には、こんもりと雪が積もっていた。


あやめは雪へと返った。成仏したのだ。


白く、やわらかな魂は、風に舞う。


散る間際の声は、かすかなものだったが、龍胆の耳には届いた。



『地獄の底から見ているぞ。貴様が雪を幸せにできるかどうか――・・・・・・』

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