第15話 不死身の男

*暴力表現あります。



『屍食鬼の館』に着いた雪は、忙しくしていた。


龍胆と菫は重症だ。はやく治療しなければ、命に関わる。もっとも、あやかし者だ。どんな治療が効くのか、見当もつかないが、何もしないよりはマシだろう。


とりあえず、動きやすくするため、雪は髪を布で結う。ぱたぱたとせわしなく、部屋の戸を閉めた。


幸い、ふたりの血は止まっていた。さすがあやかし。すでに治癒が始まっている。下手な薬より、自然治癒に任せるほうが早そうだ。・・・ならば。


「えっと。まずはお湯を沸かさなきゃ」


血だらけの体を拭くためにも、湯がいる。


雪は桶を持つと、裏口から、井戸へと繰り出した。


花散里は湧き水が湧いている。井戸の水は透き通り、夜の闇の中でも透明度がある。


病弱ゆえ、何年も寝たきりだった雪は、全身の骨が悲鳴を上げるのを感じながらも、賢明に釣瓶を引き、重い水を汲み上げた。やっとの思いで、桶に水を流し込む。


寒風が吹きすさぶ。


飛び散った水が着物の裾を濡らし、雪の足は真っ赤に腫れた。


だがそんなことは、些末なことだ。


龍胆を助けたい。

菫を守りたい。


(わたしは、役に立てる。今度は、看病される側じゃなくて、する側になれる)


熱心に看病してくれた二人。今こそ、恩返しがしたい。


すると、強風が吹いて、髪を結っていた布がほどけ、飛んでいってしまった。


「あっ」


雪は駆け出す。布は軽々と風に遊ばれ、ついには、裏庭の桜を超えて飛ばされてしまった。


この家には、結界が張られている。ずっと閉じこもっていた雪は知らないが、桜の木が境界線で、それ以上出れば、人に姿を見られ、あやかしにも気取られてしまう。


そんなこととは露知らず、雪は境界線を超えてしまった。


「――お嬢さん。落とし物かい?」


・・・・・・初めて聞く声。


雪はぎょっとして、布を拾う手を止めた。


風が長い黒髪をなぶる。


その男は、片眼鏡の金鎖を揺らし、小憎らしいほどいい笑顔で、ひらひらと手をふった。





囲炉裏の火がぱちぱちと音を立てる。


龍胆は、ふっと目を開けた。


「俺は、どれくらい寝ていたんだ・・・?」


家についた頃には、力尽きて寝てしまったから、記憶が曖昧だ。掛布がかけられていること、隣で眠る菫の存在に気づくと、龍胆はほっと安堵のため息を付いた。


薪の燃え具合から察するに、それほど長くはたっていない。熟睡するほど、体が睡眠を欲していたらしい。


胸の傷口がうずく。腕が貫通したほどの傷だ。簡単には治るまい。


それより――・・・・・・。


「雪はどこに行ったんだ」


近くにいるはずの、雪の姿が見当たらない。


(あの体でチョロチョロされたら、それはそれで心配なのだよ)


コケたらどうする。今度は雪が骨折するはめになるだろう。


やむなく、龍胆は刀を杖代わりに地面を突きながら、たどたどしく裏口へ向かった。


雪の行動は読めている。水を汲みに井戸へ向かったはずだ。


案の定、裏口を開けてすぐに、白い地面に足跡が残っているのをみて、龍胆は苦笑した。




片眼鏡の奥で、黄金にギラリと光る猫目。白い鼻筋。どこか含みのある笑みを浮かべた唇――・・・・・・。


「あなたは、だれ・・・?」


雪は裾をぎゅっと握りしめた。こんな時間に、寒空の下、人の敷地のそばで何をやっているのだろう。


ふと、雪は男の足元に視線をおとす。――ひゅっと、息を呑んだ。


足跡が、なかった。


雪がふりはじめてから、半日たつ。足跡がつかない時間帯なんて、なかったはずだ。

ならば、どうやって、ここまで来たというのだ。


雪は思わず、後ろへ後ずさっていた。男は「おや?」と首を傾げたが、雪の視線の先を見ると、「ああ・・・」と合点がいった、とぽんと手を叩いた。


「あんた、賢いねぇ。初対面の男の足跡に目が行くなんてねぇ」

「あなたは、あやかしですか?」


雪は必死に思考をめぐらした。


この男は間違いなく妖だ。――・・・ならば、目的は龍胆か。


得体のしれない男は、のらりくらりと口を開く。


「いいねぇ。度胸があるのも気に入ったぜ。あんたは外見だけじゃなくて、中身も魅力的だね」

「質問に、こたえてください」


雪はねばった。

会話を引き伸ばし、どうにか龍胆に危機を知らせたい。


「おいらは人じゃあない。だが鬼でもない。――あんたの恋人が真っ二つにした男とおんなじ、得体のしれないバケモノでござんすよ」


雪の試みは、残念ながら男には読めていたようだ。雪が一歩下がるたび、大股で距離を詰めてくる。


こんなに寒いのに、嫌な汗がたらりとこめかみをつたう。


「そ、そんな方が、ここになんの御用ですか」


唇を噛み、キッと精いっぱいの威嚇をする。


「それ以上こちらへ来たら、家主が黙ってませんよ」


暗に、龍胆は復活したと匂わせた。


(この人の狙いは、きっと龍胆さま。だったら、今動けない体だと悟られることはまずいわ)


男は「へえ?」と顎に手を添え、考える素振りを見せた。


「おいらが見ていた限りじゃ、あんたの旦那は虫の息だろ。――ああ、安心しな。野郎に興味はねぇよ」


男は、言うが早いか踏み込んだ。


瞬きほどの間にいつの間にか雪の眼前まで迫ると、その白い手首を掴む。


「ひっ!」

「おいらがほしいのは、あんただぜ。・・・雪さん」


ぐっと引き寄せられ、雪はなすすべなくその胸に倒れ込んだ。抱きしめられる。


意外にも、男はほのかに温かかった。血が通ったあやかしなのか。人間に近い存在なのは本当のようだ。


男の顔はすっかり高揚している。陶酔しきった瞳はとろりと濡れ、たっぷりと雪の髪の香りを嗅ぐ。


「ああ、ゾクゾクする。これほど芳しい香りは嗅いだことがねぇ」


雪は怖気がした。嫌悪とか、そういう次元ではない。

本能が告げる、生命の危機。捕食者に食われる兎のよう。足が震える。思うように動いてくれない。


せめてもの抵抗で、雪は賢明にもがく。離して、と震える声で叫ぶ。


だが男には、全く無意味だ。「たまらんなぁ」と逆に嗜虐心を煽ってしまう。


「あやめの兄さんには釘を差されたけど・・・。いいよな? ――小指くらいなら」

「っ!」


雪はぎょっとする。指を喰う気なのだ。


声にならない悲鳴が、雪からほとばしる。必死で抗う獲物を、男は剛腕で雪をねじ伏せると、その小さな小指をおもむろに口へ運ぶ。


ギラリと鋭い犬歯から涎が滴る。雪はぎゅっと目をつぶった。


刹那。


「雪っ、伏せろ!」

龍胆の声。


雪は目を閉じたまま体を伏せた。


何かが飛んでくる音。ついで、ふわりと誰かに抱き上げられる。恐る恐る目を開け、状況を理解したときには、雪は龍胆の腕の中だった。


「りんどうさま・・・。――きゃあっ!?」


龍胆を見て、次いで片眼鏡の男へと視線を投げ、雪は縮み上がった。


男の額に、ずぶりと龍胆の脇差しが突き刺さっていた。


人間であれば即死だ。・・・だが、案の定、バケモノは死なない。


「痛ってぇなぁ。雪さん、あんたの旦那はずいぶんと血気盛んだねぇ」


男は何でもないかのように衝撃で折れた首をもとに戻す。ゴキッと骨が再生する音が響く。


そのまま、素手で刃物を握ると、おもむろに引き抜いた。


額の肉はざわざわとうごめく。傷口はあっという間に塞がった。


「ちっ。バケモノめ」


龍胆が舌打ちする。


「おいおい。鬼にバケモノなんて言われたかないぜ」


衝撃でずれた片眼鏡をかけ直し、不死身の男は笑う。


「あんたとおいら。違うところなんて何一つねぇだろ」


龍胆は雪を下がらせると、冷たい瞳で嘲笑した。


「愚か者。――この俺を、悪趣味な死体収集家と混同するな」


いつもの口調とは違う。

おそらく、こちらが素なのだ。


「おや。その様子じゃ、おいらが何者かご存知のようでござんすな」


男――骸屋は飄々と腕を組む。視線を雪へ注ぐと、舐めるように眺め回した。


「あいにくと、おいらは野郎の骸は売らねえ主義なんだ。・・・にしても、あんたはツイてるねぇ。そんないい女捕まえてさ」


骸屋はいったん言葉を切る。次に口を開いたときには、獰猛な笑みを浮かべ、あざわらった。


「残念だが、宝の持ち腐れだ。おたくの冷てぇ体じゃ、女も抱けねぇだろ。ああ、可哀想な雪さん。くだらねぇ夫婦ごっこにつきあわされてなぁ」

「――」

「なんだったら、おいらが雪さん似のべっぴんの骸を用意してやろうか?」


龍胆から表情が消し飛んだ。


骸屋は更になにか言いかけたが、言葉を紡げなかった。


龍胆の姿がない。


ふわり。


舞うような軽やかな動きで。龍胆は間合いを詰めていた。


「――!?」


骸屋の思考が追いついたときにはすでに、龍胆の刃が男の鼻先まで迫っていた。


(――かわせない)


骸屋は瞬時に悟る。


ザクッ!!


鈍い音が青い闇に響いた。


刃は躊躇なく、骸屋の顔面を斬り裂いた。鮮血がほとばしり、衝撃でモノクルはふっ飛ぶ。


龍胆は感情の一切を封じ込め、冷静さを失わない。瞳の青は、らんらんと獣の如き光を帯び、彼を次の斬撃へと導く。


返す刃は、無駄な動き一つなく男の胴を斬り裂いた。


「・・・!?」


骸屋はうめき声一つあげる暇さえ与えられない。龍胆は容赦ない回し蹴りをめり込ませ、軽々と吹っ飛ばした。


骸屋は、水切り石のごとく吹っ飛んだ。近場の木に激突する。幹はメキメキと音を立てながらへし折れる。頭上からは枝に積もっていた雪がドサリと落ちてきて、不死身の男を全身真っ白に染める。


一方で、龍胆は呼吸の乱れさえない。敵を斬り刻む鬼と化したのだ。圧倒的な実力差で戦場を蹂躙する。


龍胆は、ゆらりと立つと、おもむろに体制を整え、刀を握る腕をだらりと下げた。


長い前髪の隙間からは、青々とした瞳が凄まじい殺気を帯び、雪煙をひたと睨みつけている。


雪はなにも言えない。なにも言葉が浮かんでこない。

ただただ、あっけにとられていた。


(これが、本気を出した龍胆さまの姿――・・・・・・)


借りにも人の形をしたものを斬ったのだ。普通の人間であれば、悲鳴を上げて腰を抜かしたことだろう。人殺しと、罵倒したかもしれない。



だが、雪はなぜかぼうっと見とれてしまった。


理由はわからない。理由など、ない。



彼の残虐な横顔を『美しい』と、思ってしまった。




鮮血の花びらを次々と散らしていく刃先。赤く染まったその白髪(はくはつ)、その獰猛に光る瞳でさえも。


竜胆の何もかもが、美しい。


はっと我に返った雪は、思わず片手で目を覆った。


(わたしは、なにを考えたの・・・?)


戦いを止めもせず、のうのうと静観して。見とれてしまうなんて。


これでは、まるで――・・・・・・


自分も、鬼(彼ら)と同類ではないか。




雪の葛藤をよそに、不死身の男と屍食鬼の戦いは続いていた。


骸屋は顔から血を滴らせながら、龍胆の負傷した胸元へ突きを放つ。相手の急所を真っ先につくあたり、戦い慣れしているようだ。だが、龍胆はその何倍も死地をくぐっている。


相手がどう出るか、手に取るようにわかるのだ。


骸屋の拳が届くより先に身を翻し、攻撃を交わすと、刀の柄でズンと相手の肺を突き、潰す。呼吸を奪われ、骸屋は動きが鈍る。


その首を龍胆は鷲掴むと、あっという間に地面へ引き倒した。


「――ガッ!」

「・・・・・・その程度か」


雪の上に投げ出された男の首を踏みつけ、龍胆は静かに、視線を男へ注ぐ。


哀れ、声帯を潰された骸屋は、余裕めいた笑みを浮かべるので精いっぱいだった。


(まいったねぇ。ここまでの腕前とは聞いてねぇぜ、あやめの兄さん)


いくら不死身とはいえ、痛いものは痛い。苦しいのも人間と一緒なのだ。


(おいらもこの戦いで何度か殺された。あと何度、再生できるやら。――さあて。どうしたもんかねぇ・・・)


「何がおかしい」


骸屋の思案の顔が癇に障ったらしい。龍胆は踏みつける足に更に力を加える。


メキりと首の骨にヒビが入る嫌な音がした。骸屋は焦る。


(まずい。・・・一刻の猶予もねぇなこりゃ)


冷や汗を流した時だった。


重々しい地鳴りが、あたり一面に響き渡った。


「なんだ」


龍胆は骸屋から視線を空へと移す。


今度はずんと突き上げるような激しい地震が一同を襲った。


龍胆は踏みつけた力を緩めずに、冷静に分析する。


(ただの地震じゃないな。規則的すぎる)


まるで巨人の足音だ。


「龍胆さまっ!! あれはっ!?」


地震の正体にいち早く気づいたのは雪だった。花散里の山を、まっすぐ指さしている。


龍胆は息を呑んだ。


山が動いていた。


(・・・いや、あれは山ではない!)


青い闇の中、山に見えたのは、巨大な髑髏(しゃれこうべ)だった。


むき出しのあばら骨は半透明な膜に覆われている。下半身はなく、地を這う体制だ。手のひらは田畑がまるごと収まるほど大きかった。


龍胆の拘束がゆるむ。そのすきに逃げ出した骸屋は、咳き込みながらニヤリと笑った。


「白骨化した巨人、とでも言うべきかね。おいらの相棒の、『がしゃどくろ』さ」


――おみしりおきを。


うやうやしく頭を垂れる。それを合図に、龍胆と骸屋の間に人骨の指が突き刺さる。


「っ!」


龍胆は身を翻し、それを避けた。骸屋はひらり人骨に飛び乗ると、そのまま『がしゃどくろ』の肩にのる。



ゆうゆうと、地上の龍胆と雪を見下ろした。


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