第12話 親友1
「なぁ、今日は屋上で弁当を食べないか?」
昼休みになると、紡が珍しく教室以外で食べようと誘ってきた。いつもなら「めんどくさいから教室でよくね」とか言っているのに、どうしたのだろうか。一体どうしたのだろうか。
「どうしたの?教室以外のところで食べるなんて珍しいね」
「たまにはいいだろ。それじゃあ、先に取られないようにさっさと行くぞ」
「まだ返事はしてないんだけど……まぁ、いいか」
斎理は、紡の後を追いながら廊下を歩く。昼休みのざわめきが背後に遠ざかっていき、視界がどんどん透明になっていく。教室の色どりも人がいないところまでは広がることが出来ず、学校の屋上はそのままの色を見ることが出来ていた。何でこんな場所を今まで使ってこなかったんだろうか?
「じゃあ、さっそく食べ始めるか」
そう言って、紡が弁当を開けていく。その弁当は運動部らしく、たくさんの量が入っていて、小食な僕には食べることが出来ないほどの量であった。だけど、今はそんなことを考える場合じゃない。 僕には嘘が通じないことは紡にも分かっているはずだ。
「そんなことより、何で僕をここに連れて来たの?僕のことを誤魔化せるとは思っていないよね」
屋上に行こうと誘ってきた時の紡には、偽りの色が少し存在していて、紡がそんな色を見せるのは小学生の時にサプライズをしようとした時以来だった。それほどまでに嘘を吐かない紡が何で今日嘘を吐いたのか、幼少期からの付き合いでもわからない。
その言葉を聞いて、紡は少し苦笑していた。その顔には「やっぱしバレるよな」と書いてあり、隠す気がなかったわけではないが、隠しきれるとも思っていなかったのだろう。それなら何で、こんなことをしたのだろうか。
「まぁ、いったん落ち着け。確かに話したいことはあるけど、それよりも昼飯の方が重要だ。今からその話をすると、飯が不味くなってしまうからな」
そう言って、紡は昼ご飯を食べ始めた。昼ご飯を先に食べたいという言葉は本当のことの様であり、紡の色には隠し事をしている気配は一切なかった。はぁ、呼びつけた挙句、先に昼飯を食べようと言って要件を言わないなんて、待たされる人の気持ちにもなってみろ。そっちのほうがご飯がおいしくなくなる。
まぁ、紡にそのことを言ったところで行動は何も変わらないだろうし、僕も弁当を食べ始めた方がいいか。斎理はそう思い自分の弁当にあるだし巻きを口の中に入れる。そのだし巻きはほんのり甘くて、口の中でふわりとほどけた。しかし、味の輪郭はぼんやりしていて、心のどこかがざわついているせいか、いつものようには感じられなかった。
そして、二人は無言のまま弁当を食べ続け、やがて全部食べ終わった。今までで。こんなことは初めてだった。いつもは、弁当を食べている途中に、必ず紡が話しかけてくるのに、今日は何も言わない。だからこそ、今から話すことが少し怖くなってくる。
斎理は、空になった弁当箱を静かに閉じた。風が吹き抜ける屋上の静けさが、妙に耳に残る。紡は、まだ何も言わない。いい加減に話してほしい。
「……紡」
斎理は、意を決して声をかける。
「食べ終わったんだし、そろそろ話してくれてもいいんじゃない?」
斎理は、紡の方を見る。紡の色は、まだ透き通っているが、よく見ないと気付けないほど小さい不安のような色があった。紡は今まで不安の色を見せたことが無く、その事実が斎理の心を不安にさせる。
そして、ようやく紡は口を開いた。
「なぁ、斎理、白峰さんと何かあったのか?」
「え……?」
斎理の声が、風に紛れて消えていく。それほどまでに、弱く儚い声であった。
「何かって……どういうこと……?」
紡は、斎理の目をまっすぐに見ていた。その瞳には、いつもの明るさとは違う、探るような鋭さが宿っていた。その目は、僕の隠し事を全て見透かしているように見え、背筋に冷たいものが走る。何故――怒っているのだろうか。
斎理は、その鋭い目から視線を逸らしてしまう。しかし、紡は斎理の視線が逸れたことに気づいても、何も言わなかった。ただ、静かに、しかし確実に言葉を続けた。
「自分でもわかってんだろ、昨日の池の時からずっと、白峰さんのことを恐れるように見ていた。しかも、数学の授業の時も何があったのかは分からないけど、あの時と同じような顔をしていたぞ。俺は親友なんだから、気付かないわけないだろ」
斎理は、言葉を失ったまま、拳を膝の上でぎゅっと握りしめた。紡の言葉は、まっすぐで、容赦がなかった。しかし、言うわけにはいかない。僕と虚凛さんを関わらせようとしたのは紡なのだ。虚凛さんの模倣のことを聞くと、罪悪感を持ってしまうかもしれない。それは――紡には不要の物だ。
だけど、紡はそれを許してくれない。彼の目は、ずっと斎理の方に向けられていて、どれだけ抵抗したとしても、結局は言う羽目になってしまうのだろう。長年の関わりから、そのことを理解できてしまう。
「ねぇ、紡も色が見えるの?」
そんなことはない。紡が僕の感情を理解しているのは、そんなつまらない力ではない。
「そんなわけないだろ。だけど、親友の思っていることくらい、色が見えなくても理解できる」
「……そっか」
感謝するべきなんだろうね、ここまで僕のことを理解してくれている親友がいることに。だけど、今はその事実が憎たらしい。だって、逃げようがないんだからさ。
斎理は膝を両手で抱えて、その間に顔を埋めた。風が、屋上の柵を超えて、そっと斎理の背中を撫でていく。その冷たさが、今の斎理には暖かいように感じられた。
「……紡」
今から言うことは、紡が責任を感じてしまうことなのかもしれない。だけど、このまま何も言わないということは出来なさそうだ。それは、紡が許してくれないということもあるし、何より僕自身が一人で抱え込むことが出来なかったからなのかもしれない。ははっ、たったの一日も保たないなんて、僕の心は弱すぎるな。
まぁ、そもそも僕は強くない。他人の感情を恐れ、あの無色に執着してしまう人間なのだ。ずっと独りで抱え込むことが出来るだなんて、思い上がりも甚だしい。
「僕はね……虚凛さんに模倣されているんだ。それだけって思うかもしれないけど、たまに虚凛さんが僕以上に、淡河斎理にふさわしいと思ってしまう」
一度口を開いてしまうと、思っていたことが濁流となって、どんどん溢れてくる。
「でも、僕は彼女と離れたくない……やっと、やっと家族と紡以外で関われた人なんだ。手放したくないに決まっている!だけど、一緒にいると苦しいし、そのくせ怖くて模倣のことは伝えられない。だって、伝えてしまったら、虚凛さんがどうなってしまうのか分からないから。僕は……僕はどうしたらいいの?何をしたらいいの?このままずっと耐えていけばいいの?全部僕の我儘だってことは分かってる!だけど、僕は……あきらめたくないんだ」
涙で視界が歪んでいく。ああ、このままずっと視界が歪んでいればいいのに。そうすれば、他人の色も、虚凛さんの模倣も見なくていいんだから。そうなったら、すべての問題が解決する。
紡はその言葉を黙って聞いていた。視界が涙で歪んでいるせいで、色が見えず、感情が分からない。だけど、今はそれでよかった。こんな時も感情が見えてしまうのなら、気がおかしくなってしまいそうだから。
「馬鹿野郎……」
しばらくたった後、屋上を覆っていた沈黙を、紡の呟きが破った。その言葉は、怒りが含まていて、やっぱり自分勝手な僕の言葉に怒っているのだろう。
しかし、この後に続く言葉は、予想していないものだった。
「何で……何でそれを今まで言わなかった!俺は親友だろ⁉だったら、その悩みぐらい言ってくれよ!お前は我儘なんかじゃないからよ‼」
予想もしていなかった言葉に、頭が真っ白になる。それは怒鳴り声のはずなのに、どこか優しさのようなものが感じられて、心が温まってくる。何で、ここまで言ってくれるのだろうか。
「お前はここまでどれだけ苦労してたか分かってんのか?いつも……いつも、他人の感情を見ることが出来るせいで、表と裏の差異に傷ついてきたし、その力を使って他人を救っても、感情を見ることが出来ることに何となく気が付かれて、みんな離れていく。そのたびに何度も……何度も傷ついてきたんだから、ちょっとくらいわがままを言っていいんだよ!」
紡の言葉は、心の奥深くまで届いてくる。本当に、いいんだろうか。僕はすごい我儘を言っているのに。
「……いいの?」
「ああ、もちろんだ。斎理の我儘のためなら、俺はどんなことであっても協力する」
ははっ、もう泣かせないでよ。こんな親友がいる事実だけで、僕は十分救われた。でも、もう少し我儘を言ってもいいのかな?それなら、少し欲張りになろう。
「それなら……僕を手伝って」
「ああ、それを待ってた」
紡の返事は、迷いのない、まっすぐなものだった。その瞬間、胸の奥にあった重たいものが、ふっと軽くなる。僕は、ずっと一人で抱え込んでいた。でも、これからは一人じゃない、紡も一緒に抱えてくれる。だから、もう大丈夫だ。
「それならね……」
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