第7話 校外学習4
二人は弁当を食べ終えて後片付けをしていた。
食事の間は互いの弁当や、今後の業務、そして僕自身の中学時代のことを話していた。僕の中学時代なんて話せることがほとんどなく、効いてて楽しいのかなと思っていたが、それでも笑顔を見せている時もあったので、それなりに楽しんでくれたのだろう。何処が楽しかったのかは分からないけど。
「そういえば虚凛さんの弁当って自分で作っているんだっけ?それって何でなの?」
ふと弁当を食べていた時に話していたこと――虚凛さんが自分で弁当を作っていることが気になり、その理由を尋ねてみる。普段の虚凛さんは学食を使っておらず、教室で弁当を食べていることが多いため、毎日弁当を作っているのだろう。何故そんなに大変なことをしているのだろうか?学食を使ったり、親に作ってもらったら楽になるのに。
「自分で弁当を作っている理由かー。うーん、今まで気にしたことなかったよ。あえて言うなら、親との関係が良くないからかな?学食を使ってない理由は……わざわざ並びたくないからかな」
虚凛さんは何とか答えを絞り出して、そう答えた。その姿は自分でも何故弁当を作っているのかわかっていないようにも見えて、どこか不安定な印象を受けた。まるで……虚凛さんの行動には自分の意思が無いように。
とは言え、何かの理由で自分が弁当を作るようになって、その理由を忘れてしまっても習慣として続けている可能性もある。ただ、もしそうだとしても、それは忘れてしまうほど前から習慣になってしまっていると言うことであり、その時には親との関係が悪かったと言うことを示しているため、そっちの方がいいとも言い切れない。
「たまには学食を使ってみたら?」
そんな疑問を頭の隅に追いやり、出来るだけ明るい話になるように誘導する。そうでもしないと、虚凛さんが今までの自分の行動についてずっと考えていそうになってしまったからだ。
「うーん、確かにたまには良いのかな?まぁ、今のままでも別に困っていないから、そのままでいいや」
虚凛さんはそう言って、これからも弁当を作り続けるようだった。斎理にはその様子が普段の行動を変えたくないような理由があるように見えた。しかし、それは無意識であるようにも見えたため、いくら聞いても答えは返ってこないだろう。
「まぁ、そんなことは置いといて。もうそろそろ見回りに行こうか」
そうして、虚凛さんは歩き出した。斎理は虚凛さんの歩く姿を少し後ろから見つめていて、その様子はさっきまで悩んでいたようには一切見えず、完全に気を切り替えているように思える。虚凛さんにとっては、先ほどの会話はあまり興味がわかないものだったのかもしれない。だけど、斎理には先ほどの会話が虚凛さんの本質に近づくようなものだと思えていた。
ただ、先ほどの会話によって虚凛さんの本質に近づいたと言っても、まだまだ知らないことが多いため、これは永遠に続く道をたった一歩だけ進んだようなものだったのかもしれない。しかし、斎理にとっては、その一歩だけでも十分価値のあるものだった。
「そうだね、まずはどこから回ってみる?」
「うーん、まずは池の方から回っていかない?」
そうして、二人は池の方へ向かって行った。副委員長としての仕事は他クラスの先生たちもいるため、あまり重要ではなく、多少は自然観察をする時間がある。もしかしたら、今ごろ紡たちはボールでも使って遊んでいるかもしれないが、今の斎理にはそれに参加しようとは一切思えなかった。
その池のほとりには、小さな流れが穏やかに蛇行しており、草木を揺らす風が微かな紋様を築いている。池の中には小さな魚たちや大きな鯉のような魚が穏やかに泳いでおり、遠くから鳥が声を響かせている。
ひとけがしないその場所では、その美しい風景を穢す色は無く、斎理にとって心地よい場所に思え、気が付くと静かに歩く速度を落としていた。風が頬を撫でる。そのたびに自然がずっと昔から傷ついている心を癒してくれているように思え、自然の温かさが心の奥深くまで染み込んでいく。
虚凛さんもまた、何一つ言葉を話さずに辺りの自然に目を向けながら歩いていた。それは、虚凛さんが放つ透明な色が自然とうまく調和しているように見え、虚凛さんがこの自然の一部だと錯覚させてくる。
「あれ?これって観察シートを書かないといけないんだっけ?」
「出来れば書いた方がいいだけで、個人の自由だったはずだよ。流石にクラスでの環境調査の時は書かないといけないけどね」
「それなら一応書いておくか」
二人はリュックサックの中からプリントとボールペンを取り出し、気付いたことを書き込んでいく。綺麗にホバリングをしているカワセミ、優雅に泳いでいる魚、池の水面に咲いている水蓮の花、数々の生物について綺麗にプリントに纏め、後で見返す時に思い出しやすくする。
そうして、二人はしばらくのまま無言で描き続けていたが、急に虚凛さんが口を開いてあることを聞いてきた。その質問の内容自体は普通てはあったが、一つ明らかに異常なことがあった。
「斎理くんって人間のことがあまり好きでは無いよね?それって何でなの?」
その質問をした時の虚凛さんの目は、ここ一か月の間に見た優しく感情がある目でも、感情が無い機械的な目でも無い、ソレを言葉に表すならカメラのレンズとでも言うべきなモノだった。ソレからは機械的な目では無いのかと思うのかもしれない。しかし、今の虚凛さんの目は人間が持ってはいけないような異物のように感じ、僕についてあらゆるモノを観察しているような印象を与える。
「――ッ」
ソレの異常性に息が詰まる。虚凛さんの雰囲気が完全に変わり、別人のように感じてしまう。色も、口調も、見た目も、何一つ変わっていないはずなのに。
今の斎理には、この質問の答え次第でこれからの虚凛さんとの関係が大きく変わるような気がして,緊張で汗が垂れてきている。その間も、ずっと虚凛さんの視線が僕のことを捉えていて、その緊張が途切れることは無かった。でも、このままずっと黙っていることは出来ない。だから斎理は声を絞り出した。
「僕は……人が怖いんだ……表面では笑っていても……内心は別の感情を抱いている……そんな人たちが怖い」
斎理の声がようやく空気の中に溶けると、それまで風に揺れていた水面さえも静かになったような気がした。告げた言葉が、虚凛さんにどんなことを思わせてのか、その無色からは全く読むことが出来ない。だから、これからどうなるのか少しも予想できなくて、見えないものが本当に――怖い。
一瞬とも永遠とも感じられる時間が二人を包んでいく。その間に虚凛さんは表情を動かすことなど無く、ただじっと何かを考えているように見えた。斎理は、虚凛の反応をずっと待ち、その場に立ち尽くしている。
風が吹いているはずなのに、空気はどこか止まっているように感じ、水面も静まり返り、鳥の声すら遠くに消えていた。まるで、世界が停止しているように。
そうして、虚凛さんがこの沈黙を打ち破る、その時には、もうカメラのレンズのような目を元の感情が込められている目に戻しており、いつもの虚凛さんが帰ってきたように感じた。
「そっか、君はそんな人なんだね」
その言葉には、失望も、憐れみも、共感すらも無い。ただ、虚凛さんが持っていた疑問が消えたことを示していた。その疑問が解けたことが、これからの二人の関係にどのような変化をもたらすのかは分からない。しかし、直観ではあるけれど、これからの関係に暗雲が差し掛かるような、そんな予感がした。
「ごめんね、急に変なこと聞いて」
「いいよ、気になったのならしょうがないし。それより、何で僕が人間のことがあまり好きではないことに気が付いたの?」
何とか胸の奥深くに嫌な予感を押し込んで、いつもと同じような顔をしながら尋ねた。その質問に虚凛さんは少しだけ視線を逸らしながら、この景色に目を向けた。
「だって、斎理くんが三枝くん以外に向ける目と、さっきまでこの綺麗な光景に向けていた目は全く違うものだったから。人には険しくて、どこか恐れているような目をしていたのに、この自然には優しい目を向けていたからさ」
斎理は言葉を返さず、ただ池の水面を見つめていた。それは自分でも自覚していたことでもあり、それを指摘されると言い訳することすら出来ない。だけど、虚凛さんの口調はそのことを、肯定も、否定もしていないため、どんな意図で今話しているのか分からない――いや、言葉通り気になっただけなのか?でも、何か違和感がある。きっと他にも理由が……。
「疑問も解決したことだし、今度こそは業務に戻ろっか」
「……うん、そうだね」
もしかしたら、もしかしたらものすごい過ちを犯してしまったのかもしれない。それが何なのかは分からないけれど、もう少したったら分かるような気がしていた。斎理は、どんどん離れていく虚凛さんの背を暗闇の中を歩くように追いかけていく。今の斎理には。橘さんが言っていた“破滅”というものが、近づいてきているような気がしていた。
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