三話 純粋なる花

◇◇◇ 劉永 ◇◇◇


 膨大な図書を収めた荘厳そうごんな堂。先ほどまで父に叱られて肩を落としていたはずの玉蓮が、今は隣で熱心に書物を読み耽っている。


 午後の柔らかな光が、彼女の長い睫毛まつげをきらきらと照らしている。この静かな時間も、彼女のこの表情も、全てが光をまとっているようだった。静かな横顔を眺めているうち、劉永はふと、この澄んだ空気を少しだけかき混ぜてみたくなった。口の端が、自然とつり上がる。


「玉蓮、これがどういうことか分かる?」


 劉永は、わざと男女が寄り添うつやっぽい絵が描かれた書物を広げてみせた。流れる筆致ひっちの先には、白き肌、重なる影、交わる呼吸が柔らかく描かれている。


 ——白き肌にかぶさるは、その深淵しんえんを覗くが如し


 きっと、意味も分からず首を傾げるに違いない。その困った顔が見たくて、口元が緩むのを抑えきれない。案の定、玉蓮は数度、瞬きを繰り返すと、こてんと首を傾げた。一点の曇りもない、澄み切った瞳が、真っ直ぐに自分を見上げてくる。


「永兄様、玉蓮には難しいです……これも軍略に必要なのですか?」


 その真剣な問いに、劉永はとうとう堪えきれずに吹き出した。玉蓮はさらに不思議そうな顔で小首を傾げる。


劉永は、胸の奥から込み上げてくる温かい何かを持て余すように、思わずその濡れ羽色の黒髪に手を伸ばした。


 手が髪に届く寸前——


「劉永様! 姫君にまたそのような不埒なものを! このじいの首が百あっても足りませぬぞ!」


 けたたましい叫び声とともに、扉が弾け飛ぶ勢いで開き、劉永の世話役である温泰おんたいが飛び込んできた。その顔は蒼白で、よほど慌てたのだろう、額には脂汗が滲んでいる。


「姫様はまだとおなのですぞ!」


 温泰は一目散に劉永と玉蓮の間に割って入り、玉蓮を背中に庇うように立つ。


「あ、じい。そこにいたの」


 悪びれもせず、けろりとした顔で笑い、頭を抱えて深いため息をつく温泰を横目に流す。視線の先では、玉蓮が彼の背中からひょっこりと顔を覗かせ、心配そうにこちらを見上げていた。


 劉永の口の端が、勝手に緩む。困ったものだと、自分でも思いながら。

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