接点の外

島村が言うには、生徒会の仕事を回してくれるそうだ。それで芝目が俺に慣れる場の確保はできる。


それはわかっている。


だけど俺の胸の奥のそわそわした気分は、その事実だけでは収まらない。慣れるための場を作ったにしろ、慣れるためのアプローチをちゃんと練る必要がある。猫をなつかせるには餌が必要なように、女の子を慣れさせるには何かきっかけか行動が必要なはず。


俺はこの前の資料室の日を振り返った。あの日、芝目が俺に「ありがとう」と言ってきたのは、きっと理由があった。俺が何かしたから、慣れてくれた。


しかし、それが何なのかは全くピンとこなかった。


会話?いや、反応も薄かったし、特別に何か言ったつもりもなかった。行動?ただ仕事を一緒にしてただけだった、どこに慣れてくれるきっかけがあったのか。


二人切りだったからか?いや、それは態度や行動と関係ないし、工夫しようがない…


「……坂田…?」


頭を巡らせるて図書館にある机の間を往復して歩いた。


考えてみれば、女の子とこのように接触するのが初めてだし、アプローチするのも全く経験したことがなかった。むろん、学ぶこともなかった。


認識はしていなかったからだ。


「おい、坂田。」


あの日の二の舞は繰り返したくない。あの資料室の気まずさはかなり心をえぐるものがあった。


……いや、むしろあれが向こうからしてはよかったのか…?


何もしゃべらない方がいいのか…いや、でもそれで俺に慣れてくれるのかが怪しいなぁ…


「おい、聞いてんのかよ坂田!」


声を張った三門に俺はハッとした。また自分の世界に入り込んだように思考に没頭していたようだ。三門の方を見ると、険しい表情で俺を睨んでいた。


「……あ、えっと…ごめん、なんか言ってた…?」


俺は素直に謝った。何か話しかけてきただろうが、それらが一切耳に入らなかった。三門はただただ溜息をついて椅子にもたれた。


「ずっと歩き回ってたんだから、なんか考え事でもしてんのかって聞いたんだけど。なに、また芝目さんのことか?」


返事はすぐにできなかった。引きつった顔が出たのか三門は俺を見て、からかいの表情からまた呆れた顔になった。


「……はぁ…お前、時々手に余るんだよな。」


そう言いながら、三門が手にしていた本をそっと閉じて、腕を組んだ。顔を緩めて仕方なそうに吐息をつき、俺に言った。


「とりあえず、相談にのるよ。なんかあったか?」


……マイフレンド三門…感動したあまり危うく目が潤ってしまうところだった。いつも口悪いし、芝目の話になったらちょっかい出してくるこの人だけど、人間の心があったんだね…


「……今、すっげぇ失礼なことを考えてないか?」


三門は目を細めて俺を見る。たまに鋭いのは少し怖いところでもあった。


俺はごまかすように頬を掻いて、カウンターまでゆらりと寄った。まあまあ、となだめるかのようにも、姿勢をやや低くして口を開いた。仕方なそうにまた吐息をついた三門は、話を聞いてくれる合図になった。


「いや、まあ、実はさ…今度また芝目さんと二人切りになることがあるんだけどさ……」


「ほぇー、いいじゃん。」


感心も交じっている表情で口角をあげた三門に、俺は思わず鼻先を掻いた。そして咳払いして、続けた。


「それがさ、この間と同じスタートだけど…あの時は気まずくて何もできなかったし…もうちょっとこう、工夫していい感じになるようにすることってないかな、って思ってさ…」


言葉を探りながらぽつぽつと頭に浮かんだことをとりあえず並べてみた。自分でもまだ整理できていない考えを述べているせいか、どうしても息が詰まる。


それでも三門は顔色を変えず、まっすぐに俺を聞いてくれた。


言い終えたころ、廊下の電気が点く音は耳をついた。


三門は少しだけ考えて、首を傾げた。


「…でも、芝目さんが「ありがとう」って言ってくれたよな?あれが進歩だから、同じようにふるまってたらいいと思うんだけど」


「そりゃそうだけどさ…」


あの日、俺の何がきっかけで芝目が言ってくれたのかがわからなかった。だから”慣れの場”があっても、どうしても進歩の望みが見えなかった。


そう思って、俺は付け足した。


「…いるだけで、本当に充分なのかがわからないんだ…」


困った顔になった三門は、また黙りこんで顎に手を当てた。

この人にはたまに考える仕草の癖があることに気づいた。右側の眉がびくんびくんと動いている。


そんなことを考えている間、三門と視線がまた重なった。


「芝目さんと何も話していなかったのか?」


俺は瞬きして、あの日のことを思い返す。振った話題、芝目の端的な返事、諦めかけた気持ち…思い出すだけで唇を噛んでしまった。


「……あんまり…話題を振っても、いつも”はい”か”いいえ”かで、会話した感じにならなかった…」


「ふーん…どんな話?」


「…え、まあ、趣味とか、授業のこととか…芝目さんが思ったことを聞いてみても結局…」


かすれた声で返事する芝目が脳内再生しながら話した。少しだけ春の空気が冷たく肌に張り付くように感じた。


だけど、そう感じたのは俺だけだったようだ。


「それでいいんだよ、バーカ。」


いきなりの悪口に俺は三門を反射的に睨んだ。


「急になんだよ、お前…」


「バカをバカって呼んで何が悪いんだよ。お前、地頭いいのに、こういうとこマジで抜けてるよな。」


何が言いたいんだ…目を細めてあいつを無言で見る。単なる睨みではなく、あいつに言い分があるだろうと思った。だから何も言わず、あいつの続きを待った。


その意図を汲み取ったようで、三門は鼻で笑った。


「”慣れる場”だからさ、無理に距離を詰めるもんじゃないんだよ。一年の時、俺もあの子に話しかけたことがあったけど、幽霊でも見た顔になって逃げてったんだ。」


三門が言いながら眉を寄せた。やっぱり誰だろうと、その態度取られるとダメージがあるんだろうな。


咳払いして続けた三門。


「要は、相手がビビってんだから、適切な距離を取りながら、お前は脅威じゃないことを示さないといけない。そのために、お前が前回のように、何気ない話をすればいいと思うぞ。何もないところからスタートすれば無理だけど、お前には前回がある」


俺が寄せていた眉から力が抜けるように感じた。胸にある引っかかりはまだ残っているけど、三門の言葉に妙な説得力があった。反論は思いつかないまま、口を開けたり閉じたりしていた。


俺はしばらく三門の言葉を頭の中で転がすようにしていた。


そんな微妙なことだけでいいのか…なぜそれでいいのかがいまいちわからなかった。


「……なんで…?」と、俺はぼやいてしまった。


すると、得意げな顔になった三門は返事した。


「大事なのは”慣れ”だからな。それには”信頼”が必要。お前らが自然に接すれば、そのうち築きあがるはず」


言っていることがどこか胸の奥に触れていた。ふと昔、相川家にいたころのことを思い出す。茂は人見知りだったので、最初はあまり話はできなかった。居間で何も考えずに遊んでいたら、そのうち茂とそれなりに仲良くなっていった。ある日、庭で見つけたカブトムシに二人で大声出した時から、ずっと一緒に遊んでいた。


俺たちはただ、その家で時間を過ごしていた。


「……なるほどねぇ…」


ピンと来たようにも感じたが、同時にこれは芝目にも当てはまるのか、疑問がまだ残っていた。しかし、これ以上に悩んでも何も出ないと感じた。


吐息を吐いて、カウンターにもたれかかるようになった。


「なに、まだ不満か?」


三門は半笑いで聞いてきた。その表情は少しだけ額に皺があった。おそらく、三門にもこれぐらいしかわからなかった。


……いや、でも充分なぐらい一緒に考えてくれた。


要は自然にふるまって、無理のない範囲で話かけて、彼女が心を開いてくれるのを待つだけだ。

一応プランには聞こえるけど、何も考えてない気もした。芝目のような、人を怖がっている子ならこれ以上の正解はないかぁ…


その考えを述べるように口を細めて三門に返事。


「不満っていうか…なんか不安なんだよなぁ…」


三門は肩をすくめて手をあげた。


その時、俺のスマホから通知音が鳴った。


ポケットから取り出すと、画面に通知はただ一つ。


”生徒会の仕事あった。芝目さんにも話したので、そのうち彼女からそちらに行くかも”


ーーはい…?

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