【番外編2】初めての家族旅行

「お父様!お馬さん、もっとですわ!」

「む……。分かった」


 領内に完成した温泉郷の一室。床に四つん這いになり、背中に愛娘を乗せているのは、あの「氷の辺境伯」ゼノ・フォン・シュヴァルツその人である。

 娘の無邪気なリクエストに、彼は普段の威厳などかなぐり捨て、不器用ながらも部屋の中をゆっくりと歩き回る。その横では、息子のカールが「父上、次は僕の番です!」と目を輝かせていた。


 今日は、私たち家族四人にとって、初めての家族旅行。行き先は、もちろんこの温泉郷だ。

 領主が自ら経営する宿に泊まるというのも少し妙な話だが、子供たちに、父と母が作った場所を見せてやりたかったのだ。


「ふふっ。ゼノ様、とても素敵なお父様ですわね」

 私はお茶を飲みながら、その微笑ましい光景に目を細める。

「……からかうな」

 ゼノは、娘を背負ったまま、少しだけ耳を赤くして私を睨んだ。子供たちの前ではすっかり威厳をなくしてしまう彼が、可愛くて仕方がない。

 その後も、不器用ながらも子供たちにお菓子を食べさせてやろうとして、自分の口に運んでしまったり、かくれんぼで真っ先に見つかったりするゼノの姿に、私は何度も笑ってしまった。


 宿の女将や従業員たちは、そんな私たちの姿を、少し離れた場所から温かく見守ってくれている。彼らにとっても、領主一家の幸せそうな姿は、何よりの喜びなのだろう。


 夜になり、子供たちが遊び疲れてぐっすりと寝静まった後。

 私とゼノは二人きりで、宿の最上階にある貸切の露天風呂に来ていた。

 ひんやりとした夜気の中、温かい湯に身を浸すと、体の芯から疲れが溶けていくようだ。空には満月が輝き、静かな湯音だけが響いている。

「良い場所になったな」

 ゼノが、眼下に広がる温泉街の灯りを見下ろしながら、ぽつりと言った。

「ええ。本当に。これも、ゼノ様と、領民の皆が頑張ってくれたおかげですわ」

「君がいたからだ」


 彼はそう言うと、私の体をそっと引き寄せ、その肩を抱いた。

 月明かりに照らされた彼の横顔は、やはり私が愛した「氷の騎士」のままだ。けれど、その瞳に宿る光は、出会った頃とは比べ物にならないほど、優しく、そして温かい。

 私たちは言葉を交わす代わりに、どちらからともなく唇を寄せた。

 家族四人で過ごす、何気ない一日。それこそが、私たちが血と汗と涙で手に入れた、かけがえのない宝物なのだと、改めて実感する夜だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る