第三話「石の門は揺れる」
冬の海路を越え、船は遺跡に最も近い港へと滑り込んだ。港から村まで続く小径は雪解け水で濡れ、ところどころに残る氷がきらめきを放つ。樹々の枝にはまだ冬の名残が揺れ、風が乾いた冷気を運んでいた。
村は熱気に包まれていた。小さな宿屋の軒先には「遺跡探索者歓迎」と染め抜かれた布が下がり、肩に地図や道具をかけた冒険者たちが行き交う。
酒場では声高な議論や笑い声、鍋をかき混ぜる音が混じり合い、町全体が未知に挑む熱で震えているようだった。
セイラはローブの裾を押さえ、道を歩きながら息を吐く。
「……港町とはまた違った熱気ですね」
アルヴァは鼻歌をひとつ零し、肩越しに村を見渡した。
「俺はこういう村も嫌いじゃない。欲も希望も渦巻いて……それが旅の匂いってやつだ」
リリアナは酒場の窓越しに冒険者たちを眺め、仮面の奥で笑みを含ませる。
「競り合う姿も舞の一部みたい。戦うのも踊るのも……結局は同じ気持ちから生まれるのかもしれないわ」
三人は宿に荷を預けると、情報収集に奔走した。
「この遺跡は、古代魔導師が封印を施していると申します。挑んだ者の多くは、途中で退けられるとか……」
老主人の声は小さくも、重みを含んでいた。
セイラは黙して頷き、低く応じる。
「……挑む価値はあります」
アルヴァは笑みを浮かべ、雪を被った村の外れへと指を向けた。
「なら俺たちの出番だな」
視線の先――巨大な石の門が山肌の麓にそびえていた。苔に覆われており、荘厳な表面には、古代の文字がびっしりと刻まれ、鈍い冬の光を反射している。
門前には、すでに数組の探索者が集まり、機構を探るようにして立ち尽くしていた。
黒鉄のモノクルの下、バルクが冷静な声を落とす。
「この門を越えるには、力だけでは足りません。心と技術を重ねねばならない。……我らの力を結集すれば、道は開けるはずです」
セイラはヴェールの奥で瞳を細める。
「ならば……合同探索を」
リリアナが微笑み、アルヴァも大きく肩をすくめた。
「よし、行こう。石の壁が立ちはだかっても、俺たちの意志まで塞げやしないさ」
冬の光が石門の紋様を淡く照らし、影となって波打つ。冷ややかな空気の中、四人の歩みはひとつに揃っていた。
――古代魔導師の封印が、旅人たちを試すように静かに待ち構えている。
冒険の幕は、ここで確かに上がったのだった。
石門を潜ると、頬を撫でる冷気が肌を刺した。外の光は断たれ、薄闇の通路に足音だけが吸い込まれていく。
壁一面に刻まれた古代文字が淡い光を放ち、その揺らぎがセイラの瞳を導いた。
「……魔導師の封印の匂いがします」
ヴェール越しの声は低く、確かな響きを持つ。
アルヴァは弦を軽く鳴らし、肩をすくめて笑う。
「静かすぎる……逆に不気味だな。油断はできねえ」
仮面の奥で周囲を観察しながら、リリアナは舞うように歩みを進める。
「罠は刃や矢だけじゃない。音や光の流れそのものが、魔導師の仕掛けよ」
バルクは拳に魔力を宿し、壁や床の微かな振動を探った。
「幻惑の光……感覚を狂わせる仕組みだ。しかし順序と反射を読めば、抜け道は見える」
通路が曲がりくねり、やがて光の迷路へと変わった。壁の光は目を欺き、足元の感覚を惑わせる。だが、バルクの声は理路整然と響く。
「左の光は偽り。右の足跡を辿れ。壁の震えも、規則に従っている」
セイラは光の波にそっと手をかざし、頷いた。
「……なるほど。これは幻ではなく、意図的に編まれた規則性ですね」
「兄貴分、計算高くて頼もしいな」
アルヴァが弓を構えながら笑い、軽く肩をすくめる。
やがて回廊を抜け、四人は広間に足を踏み入れる。そこには石像の番人が無言で立ち、四方を睨むように睨んでいた。柱の陰に潜む影は、動くたびに冷たい風を震わせる。
バルクは拳を握り直し、低く告げる。
「動きは規則的だ。力任せでは通れない」
魔力で身体を強化すると、観察した動きにあわせて拳を打ち込んだ。正確に肩口を捕らえられた石像は大きく揺らぎ、その隙をセイラが幻影で視覚を乱す。
アルヴァは旋律を響かせ注意を逸らし、リリアナは舞の軌跡で影を断つ。
幾度かの応酬の末、番人は再び沈黙を取り戻した。息を整えながら広間の奥を見据える。
「……封印の本丸は、まだ先だ」
バルクの声には冷静さの奥に、わずかな興奮が滲んでいた。
セイラは深く頷く。
「心と技を重ねる――まさに、あなたの眼と私たちの力の融合ですね」
アルヴァは肩越しに笑い、リリアナも仮面の奥で小さく微笑んだ。
「これでやっと、序章が終わったってところか」
冬の光は届かぬ遺跡の奥。
古代魔導師の封印は、なお重く眠っている。
だが冒険者たちの意志は確かに届き、石の門は完全には閉ざされていなかった。
――門は、まだ開かれぬ。しかし、挑む者の意志が、その壁を揺るがす兆しを見せていた。
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