第三章『風、夏にまどろむ』
第一話「日々はにぎやかに、音は遠く」
――それは、陽炎の中に滲んでいた。
昼下がりの空は高く澄みわたり、照りつける日差しが大地をじりじりと焼いている。
蝉のように鳴く魔鳥の声さえ、暑さに辟易したのか、ぴたりと鳴りを潜めていた。町の空気は重く、砂と熟れすぎた果実の香りが混ざり合う。肌にまとわりつく湿気に、呼吸すら億劫になるほどだ。
「……暑い……もう無理……セイラ、あの角の水場でわたしは溶けてしまう……」
リリアナが仮面の下で呻くように呟き、路地の石畳に身を投げ出そうとする。それを、アルヴァがひょいと引き止め、苦笑交じりに声をかけた。
「溶けるなら、もうちょい綺麗に溶けてくれよ、お嬢さん。ほら、手ぬぐい冷やしてやるから」
「……ありがとう。でも、あなたも暑そうね。さっきから汗が弓に当たって、カンカン鳴ってるわ」
「それは俺の情熱がほとばしってる音さ」
「うるさいわよ、二人とも……」
セイラはうちわで風を起こしながら、町の中央の木陰に腰を下ろす。ローブの肩に縫い取られた星座の刺繍が、日差しに照らされ、かすかにきらめいていた。
「なあセイラ。星が燃えるのは夜だけにしてくれよ……見てるこっちが汗をかく」
アルヴァ=フィーニスが皮製の水筒を肩越しに投げて寄こす。セイラは片手でそれを受け取り、すぐに口をつけた。
「ぬるい……けど、助かるわ」
「ぬるいって文句言われる水の気持ちになってみろよ」
「口の悪い詩人、黙りなさい」
二人のやりとりを聞きながら、リリアナ=ノクトは日陰の下でくすっと笑った。左半分の仮面の奥、その片目だけで、十分に感情が伝わる。
ここは、森と湖に挟まれた中規模の
「つまり――あの森に棲みついた大物のせいで、小さな魔物たちが押し出され、町の方へ流れ込んできているのね」
セイラが確認するように言うと、目の前の商人風の男は汗を拭いながら深く頷いた。
「ええ、占い師さま。獣避けの柵も持ちませんし、ケガ人も何人か……。狩人たちだけじゃ、手が足りんのですわ」
「それで“報酬は寝床と飯”ってわけか。悪くない条件だな、なあセイラ」
アルヴァがにやりと笑い、セイラに軽く肩で合図を送る。セイラはわずかに苦笑を浮かべ、立ち上がった。
「引き受けましょう。その代わり、討伐した魔物の素材は一部、こちらでいただくわよ?」
「もちろんでございますとも!」
男は何度も頭を下げた。こうして、セイラたちは“ちょっとしたお手伝い”を引き受けることになったのだ。
狩りは、順調だった。
アルヴァの矢が音もなく獣の急所を射抜き、リリアナの舞のような動きが敵を惑わす。セイラは幻で気配を遮断し、戦場全体の流れを操った。
戦いというより、まるで舞台だった。
三人の動きは、もはや息をするように自然で、互いの気配だけで戦局を読み取っていた。
「リリアナ、その技やっぱり戦闘用だったのね。前は“踊りです”って言い張ってたけど」
「……踊りよ。戦ってる“ふり”をしてるだけ」
軽く笑ってそう言う彼女に、アルヴァが口笛を吹く。
「ふりって言うには、俺の肩越しに飛んできたイノシシの首が真横にねじれてたけどな。あれが演出なら、ちょっと怖いぞ?」
「じゃあ、次はもっと可愛く戦ってみせるわ。楽しみにしてて」
「いや、あの、可愛くてもやっぱり怖いですって」
他愛もないやりとり。
けれどその気楽さが、どこか心地よかった。
森に住みついたという大型魔物の討伐も、ほどなく終えた。セイラの魔術による結界、アルヴァの矢、リリアナの跳躍――。
戦いは一度も声を荒げることなく、静かに、そして的確に終わった。これで町に流れ込む獣たちの波も、すぐに収まるだろう。
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