17 樫の木の心

 ドリュアデスというのは樫の木のニンフの総称で彼女にも特別な名はない。他の精霊は彼女のことを呼ぶときに「紫の子が」と表現する。それにとても心が痛んだ。同種のドリュアデスにはそういう呼び方をするものはいないけれど陰ではいっているのかもしれない。考えるだけで涙が出てくる。


 精霊には大事な役割があってそれは精霊の力を循環させること。この星には大きな精霊の力が循環していてその恵みで大地は繁栄している。美しい花々や澄んだ空気、凛と伸びた木の梢にまで広がる不思議な力の源、精霊には元来それを巡らせる力がある。

 またドリュアデスという種族には樫の木の森を守る役割があって、そのおかげで動植物は生きていける。落ちたどんぐりの実を口いっぱいに集めてきょろきょろしていてるリスの可愛らしいこと、ドリュアデスはそれを見て何故だかとても悲しい気持ちになった。


(みんなが出来ることがわたしにはどうしてできないの?)


 もしかすると自分がドリュアデスではないからかもしれない。この見目の違いも力の無さも、何もかもが恨めしい。樫の木に触れて涙して話しかけても答えてもらえなくて、まるで孤独という名の牢獄に閉じこめられたような気分だった。


 一人沈んでいたドリュアデスに話しかけてくれたのは髪の短い緑色のニンフだった。彼女は生まれた日に歓迎してくれた力あるドリュアデスだ。


「キミはいつも悲しそうな顔をしているね」


 胸の奥がつんと痛んだ。図星で触れられたくないこと、でも本当は誰かに気づいて欲しかった。悩みを打ち明けたかった。


「わたしはどうして精霊らしいことが何一つ出来ないの。出来損ないの落ちこぼれ?」


 涙がつうっと伝った。パールライトの花に落ちてそれが雌しべに流れる。


「悲しみでいっぱいなんだね」

「そう。誰も理解してくれないの」


 目元をぬぐうと緑色のスカートに触れた。仲間の念糸で編まれたスカートはとても美しい、でも自分にはどうしても似合わない。


「無理して着る必要性はないけれど、キミは仲間の思いを理解しているかい?」

「えっ」

「ドリュアデスは樫の木のニンフだ。毎日樫の木を育ててようやく培ったエネルギーをキミのドレスのために使う。どうしてだと思う」

「…………」

「迎えられたって思えないかな?」

「それは……」

「他の種族は知らないよ。でも少なくともキミは樫の木から生まれたドリュアデスだ。誰がどういおうとも自分自身の生まれを否定することは出来ない」


 彼女はそういって短い黄色の髪を揺らした。


「知りたいのならば樫の木に聞けばいい。本当のことを教えてくれるよ」

「無理よ、話しかけても答えてくれた日はない」

「自分のことばかりなんだね」


 自分の感情を否定された気がして言葉を無くした。たしかにそう、でもそれは彼女らがきっと自分とは違うからいえる言葉だ。緑のドリュアデスは悟った様子もなく「おいで」と告げるとドリュアデスを生まれた樫の木の元へと導いた。


 ドリュアデスを産んだ樫の木は森で一番の古木だ。幹は褪せて所々樹皮が剥がれ落ち、それでも生きている。強さと賢さをあわせ持ったような木だと彼女はいっていた。

 樫の木の前に立つと緊張した面持ちで話しかけた。唾を飲み、口元を振るわせて涙声にならぬよう懸命に我慢しながら話しかける。


「樫の木さん、聞こえているでしょ。教えて欲しいの」


 指先で乾いた樹皮にそっと触れて懇願する。でも樫の木は言葉ひとつ話さない。涼しい森のなかに爽やかな風が吹いている。梢が揺れて、キツツキの木を打つ音が響いていた。


 緑色の彼女はドリュアデスの手を優しく掴むとそっと樫の木の樹皮へ導いた。


「どう思う?」

「どう?」


 意味が分からずに問い返した。緑色の彼女は手を上下させるともう一度問いかけた。


「幹が乾いて、木肌はこんなに苔むして。下手したらキノコも生えそうだ」


 彼女の冗句に、あっとドリュアデスは呟いて樫の木を見上げた。彼は若木のように青々とはしていない。祈りの力が足りないのではなく年老いているのだ。


「疲れているの?」

「そう、彼はとても疲れている。疲労困憊の彼に何て祈った? 教えて欲しい、わたしは寂しい?」

「そうじゃ……なかったのね」


 そう、掛けるべき言葉はそうじゃなかった。老いて話すことも出来なかった古木は労わらねばなかったのだ。精霊の本来の役割は大地の力を循環させること。森を支えてきた大樹を大切に思う気持ち、それが祈りのなかに欠落していたのだ。


 そう、とドリュアデスは目を閉じてすっと古木を抱きしめて涙する。


「ごめんなさい、わたしはドリュアデスなのに理解をせずにごめんなさい」


 優しい気持ちで話しかけると梢がざあっと大きく揺れた。生命が巡ったように木が震えるのを感じた。枝葉がドリュアデスに抱きしめるように優しく寄り添う。


 しわがれた老人の声が聞こえた。


「とても困っていたよ、泣いているから」

「ごめんなさい」


 今度のごめんなさいはもっと沈んだ声でいった。心から申し訳ないと思っていた。


「精霊の本来の役割は自然をいたわること。そうだったよね、ドリュアデス」

「うん……」

「眠りが長いと色々なことを忘れてしまうけれど、キミの生まれたときのことは覚えているよ。知りたいのかい、ドリュアデス」

「教えて。どうしてわたしはみんなとは違うの。わたしはわたしが生まれてきた理由を知りたい」


 樫の木は「いいよ、今日は特別だ。教えてあげる」といって蛍のように光り始めた。

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