16 小さな息吹を感じて

 世界の北のフェルバリというところに精霊の隠れ里がある。自然豊かなとても美し地で人間は誰も知らないひっそりとした場所にある。この地では自然の奏でる音楽、そよぐ風、纏う空気、小川のせせらぎ、昆虫の舞う花園、高く伸びた樹木、ありとあらゆるところでニンフが生まれる。精霊は偶発的に生ずるものが多いけれど、稀に望まれてうまれてくるものたちも存在する。


 たとえばほら、また樫の木が一つ強く光り始めた。水鳥が羽ばたき、虫が獲物を捕らえ、花が風に揺られた一瞬を切り取るように光が根元からさあっと梢まで走り空に駆け抜ける。命の誕生の瞬間だ。


 視線を落として見ると根元にうずくまっていたのは小さな女の子だ。銀糸の髪を流れ落し、色白の裸のままでアメジスト色の目を瞬かせている。透けるような声で一つこぼした。


「ここはどこ?」


 すると背に立っていた大きな樫の木が枝葉をなびかせほほ笑んだ。


「キミはドリュアデスだよ。生まれてきてくれてありがとう、ようこそフェルバリへ」


 ドリュアデスは周囲に気配がして見渡すと気づけばたくさんのニンフに囲まれていた。


「生まれてきてくれてありがとう」


 彼女らのなかから抜け出してしゃがみこんであいさつしてくれたのは緑色のとても美しいニンフだった。


 ドリュアデスは仲間から小さな緑色のドレスを与えられてそれを身にまとう。精霊が自らの念糸で編んだものだが彼女が身に着けるとまるで美しい蝶のよう、精霊というのは見目美しく可憐であるが彼女はなかでも際立っていた。


 仲間はドリュアデスを隠れ里の中心部の大樹の元へと導いた。そこには大樹の精霊がいてみんな長老と呼んでいた。何年生きているのかもしれないほどに老いていて、白く長い髪と皮膚はしわを刻み、目はほとんど閉じて起きているのかさえも分からなかった。でも彼は生きている。彼とは口を動かすのではなく思念で会話する。頭のなかに穏やかな声が響いてきた。



——仲間と里のルールを守って暮らしなさい。美しい日々を送りなさい。


「はい」


 ドリュアデスが胸の前で手を組んで小さく返事をすると長老は眉一つ動かすことなく消えた。


 里のルールというのは暮らしていくなかで多少理解した。それはこの地を出ていかないこと、仲間を裏切らないこと、周囲の慣習に従うこと。みんながやっていることを真似ればいいのだけれどそれがドリュアデスにはとても難しかった。


 たとえば樫の木のそばでドリュアデスたちは祈りを捧げる。そうすれば木がよく育ち、森が栄え、よりいっそう力のある精霊が生まれてくる。けれどもドリュアデスにはそれが出来なかった。一生懸命に祈っているのだけれど一つも芽吹かない。何故なら彼女は。


「ドリュアデスが何故白い髪にアメジスト色の瞳をしているのかしら」

「不思議ね、ドリュアデスは普通緑色をしているのに」


 心無い仲間の声が身に突き刺さる。青い瞳の小川のニンフだ。彼女らも意地悪でいっているのではない、精霊は良くも悪くも好奇心旺盛でその好奇心が他人を傷つけることがある。


(いつものこと、いつものことだけれど今日はなんだかとても悲しい)


 ドリュアデスは少し俯いてそっと姿を消した。


 ドリュアデスの見目は少し成長して大人の女性に近づいたころには止まった。けれども髪は白いまま、瞳はアメジスト色、祈る力はないままだった。仲間のドリュアデスは森の力となるために働いている。それなのに自分はろくに木を育むことさえ出来ない。


 両手を上げて祈ってみたり、樫の木に抱き着いたり、しゃがみこんでお願い、と話しかけたりもした。でも樫の木は返事一つしない。指先が震えて涙がこぼれてくる。


「どうしてなの。わたしのことが嫌い? わたしがドリュアデスじゃないから?」


 樫の木に寄りかかって肩を滑り落ちるなだらかな髪に触れた。仲間の髪は黄色、深緑の瞳、色もこんなに白くはない。空を見ているとドリュアデスの気持ちを読んだかのように黒い雲がやってきて雨が降り始めた。強く降るかもしれない。雨のニンフは喜んでいるけれど、大概の精霊は姿を消す。静かになった森に雨の音だけが響く。


 仲間のドリュアデスたちは自分のことをどう思っているのだろう。

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