12 桃のオープンパイ
本日の夕食のメニューはキノコの旨味で出汁を取ったクリームシチューと自家製の全粒粉パンと白身魚のポワレ。デザートにテオの買ってくれたパイを二つ食べる。少々カロリーオーバーな気もするが精霊だからまあその辺は大して気にする必要性がない。
カットグラスにプラム酒を注いで食卓に乗せる。テーブルの中央には枝ぶりの美しいサンジシャゲを生けて手を合わせる。料理に添えるのは宝物の銀のカトラリーだ。それでは実食、頂きます。
フェンリルは食事よりも真っ先にパイに食いついた。わたしの作ったものより先に食べちゃうなんてどうなんだろうと思いながら。それくらいに食欲をそそる匂いがしていたのだろう。フェンリルの口からさくさくと音がこぼれる。桃が皿のなかにいくつか落ちてそれをなめとるようにフェンリルは綺麗に間食した。
「どうだった、美味しい?」
「きゅおん、きゅんきゅん」
「だめよ、もう残りはわたしのものなのだから」
「きゅおん、きゅおん」
名残惜しそうに鳴くとフェンリルはかぼちゃのパイも静かに食べた。ぽろぽろとパイク頭がこぼれ落ちてそれは上手く食べられないらしく懸命に口を擦りつけている。あとで掃除しなきゃなと思いながらフェンリルに質問をした。
「どっちがお気に入りかな」
桃、とフェンリルは間髪入れずに鳴いた。そんなに格段の差があったのだろうかと思う。
ドリュアデスは食事を終えるとまずはかぼちゃの方から試食した。かぼちゃパイは何度か食べたことがあるがこの店のものは甘さに嫌味がない。上品な味のコントラストが描かれていてきちんとかぼちゃを生かしている。正直自分にこんな美味しいものが作れるだろうかと思った。
もう結構お腹一杯なんだけれどもう一つだけ、と桃のパイもかじる。さくっとパイが崩れてすぐに桃の柔らかさが口を満たす。桃には少し酸味があってもしかすると完熟していないものをわざと使っているのかもしれない。おそらくカスタードクリームとの相性を考慮してのこと。カスタードクリームはどちらかというとバニラビーンズは控えめで卵黄を利かせている。もったりと濃厚な味だ。
こんな美味しいものを一朝一夕で作れるのだろうかと思う。最後のひとかけらを名残惜しく賞味したあと、かぼちゃパイも食べたのだけれどやっぱり桃のパイが忘れられない。
桃だな、桃と独りごとをいいながら夕食の洗い物を済ませて風呂にゆっくり浸かると図書館で借りてきた本をお供に今夜は眠ることにした。
人間のレシピは美味しそうなものばかり。発想が自由で機転が利いて。それそこに使っちゃう? と問いかけしたくなるようなアイデアばかりだ。かぼちゃパイの作り方は載っていたので参考にパイ生地の作り方をこれでもかと頭に叩きこんでイメージトレーニングをし、瞼が落ちて来るまで本にかじりついていた。
翌日には桃を収穫して常温で追熟させ、さらにその翌日に朝からパイを焼くことにした。本当は焼き立てが美味しいのだろうけれど直前まで焦って失敗したくない。庭に出てみると日和がよくたくさんの精霊が自然の恵みを喜んでいる。精霊がたくさん住まう場所は自然の力がとても強くいい木が育つ。
白桃の木はおばあさんが亡くなったのちに若木を植えたものだがもうすでに立派な成木に成長している。色づく前に白い紙を被せて日光を遮り虫や風雨から守り、丁寧に手をかけた実は絶品で一つ二つといわず丸かじりしたくなる美味しさだ。いくつくらい要るんだろうと思いながら少し多めにもいだ。
* * *
パイ生地は小麦粉に塩水を混ぜて練り、伸ばし棒で平らにしたバターを包みこんで折り重ねながら何度も層を作る。折るたびに層が増えていくのだが、あまりに層を増やし過ぎると逆に貧弱になる。ギリギリ限界を探りながらと……まあそこは本に従ったほうが賢明だろう。
ドリュアデスの力ではバターを伸ばすのがとても大変でうんしょ、うんしょとひとりでに声が出ていてそれを不思議そうにフェンリルが見上げている。層作りが終わるとパントリーで一度生地を冷やして固くする。
それを待っている間にカスタードクリームを作っておこう。
試食で大事だと分かったのはカスタードクリームとの桃の相性だ。露店のものは桃が酸味があったのでカスタードは濃厚だった。でも今回使用する白桃はとても甘い。甘いものと濃厚なものを組み合わせるとしつこくなるのでカスタードクリームは卵黄を控えめに大好きな牛乳を濃くしてさっぱりと作る。
泡だて器でかき混ぜているとバニラビーンズのいい香りが立ち上る。カスタードクリームがもったりとしてきて筋が立つ。卵黄控えめなので若干色が薄いがこれは時々作るのでそう不安ではない。
「よし出来た」
指先をつっこんで味見をして確認する。理想通りに出来ている。
切り分けたパイ生地で土手を作りたっぷりとカスタードクリームを敷きつめてその上に純白の桃を乗せる。一切れ、二切れ、三切れ……
「いい感じ」
石窯オーブンに入れてこれから二十五分焼く。大事なのは桃がいい感じに色づいてなおかつ繊細なパイ生地が焦げ過ぎないように。
フェンリルが尾をふり待ち遠しそうにしている。大丈夫よ、あなたの分もあるからと毛並みを撫でてやった。
ほのかな香りが漂ってくる。カヌレほどの香りではなく白桃の爽やかな香り。季節の果実をふんだんに使用した豪華なオープンパイ。お菓子作りはしっかりと頃合いを見計らってちょうどを見つけるの。
ミトンで熱くなった天板を二枚取り出すと美味しそうなパイが綺麗に焼きあがっていた。お店で売られているものより格段に豪華な仕上がりだ。艶やかな桃肌が美しい。女王さまのような気品だ。一個はドリュアデスの味見用。もう一個はフェンリルのおやつ。残りの八個を夜会用に持っていく。
「うん、美味しいじゃない」
立ったままエプロン姿でパイをかじった。想像以上の出来栄えだ。
夜まで時間がある。おやつはもう少しあったほうがいいかもしれないとブルーベリーのマフィンをせっせと焼いて洋梨のババロアも作った。専用の紙箱に入れると準備は万端だ。
さてと夜会用のワンピースを着ないと……と思いかけて止めることにした。今日は精霊の集まりだ。精霊らしくいこう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます