終章 俺はもう、きみと離れることなんて考えられない


 シャロット達が野営地に戻ると、団員達は騒然としていた。


 暴虐の魔物を封印した時の光は、野営地にまで届いていたらしい。


「殿下! ご無事でしたか……っ! 先ほどの光は殿下の御力でしょうか……!?」


 ヴァルダムの姿を見つけた途端、駆け寄ってきたゴラウスに、ヴァルダムはあっさりと「暴虐の魔物の再封印が成った」と告げる。


「なんと……っ!」


 驚きを隠せないゴラウスにヴァルダムが問うたのはミナンダの居場所だ。


「ミナンダ様はご自分の天幕にいらっしゃいますが……」


 いぶかしげなゴラウスを無視して、つないだままのシャロットの手を引いて、ヴァルダムがミナンダの天幕へと向かう。


 激しい憎悪をぶつけてきたミナンダに会うのは、正直に言えば恐ろしい。


 思わず足取りが淀んだシャロットに、「大丈夫だ」とヴァルダムが握った手に力を込める。


「何も心配しなくていい。もう誰にも、きみを傷つけさせたりなどしない」


 ヴァルダムのことを信用していないわけではない。


 だが、なんと答えればよいかわからず戸惑ううちに、ミナンダの天幕についたヴァルダムが天幕の入口の布を開け放つ。


「誰っ!? 無礼な……っ!」


 目を吊り上げて文句を言いかけたミナンダが、ヴァルダムの姿を見た途端、「ひぃぃっ!」と顔を蒼白にして震え出す。


 後ずさろうとして失敗し、無様に尻もちをつく。


 それでもなお、震えながらヴァルダムと距離をとろうと尻もちをついたまま後ずさる姿は、ヴァルダムにすり寄ろうとしていた昨日までの姿からは考えられない変化だ。


 シャロットが知らないうちにいったい何があったのだろう。


「ゴラウス、証人としてお前もよく聞いておけ」


 ついてきていたゴラウスをちらりと振り返ったヴァルダムが、苛烈な怒りを宿してミナンダを睨みつける。


「俺は、大切な聖女を傷つける者を許す気はない。シャロットが死んでもかまわないと野営地から追い出したんだ。同じ目に遭わせてやってもいいところだが――」


「ひぃぃっ!」


「ヴァ、ヴァルダム様!?」


 ミナンダの悲鳴とシャロットの声が重なり、ヴァルダムが仕方がなさそうに吐息する。


「シャロットが気に病みそうだからやめてやろう。だが、決して許されると思うな。ミナンダ・クラグス。王太子として命じる。お前が一生を過ごすのはこのクラグス領だ。領民の安寧を守るために騎士団に協力し、一生を領のために尽くせ。それがお前の務めだ。もしまた、分不相応な野望を抱くようなら――」


 鋭い雷鳴とともに、へたり込んだミナンダの周りに小さな雷がいくつも落ちる。


「今度こそ、雷をお前に落としてやろう」


「嫌ぁっ!」


 ミナンダが恐怖に満ちた悲鳴を上げる。


「頼まれたって、王都になんか……っ! あ、あたくしはクラグス領から出たりしないわっ! だから……っ!」


「その言葉を一生忘れぬことだな」


 冷ややかに命じたヴァルダムがシャロットの手を引いて天幕を出る。


 何ごとかとゴラウスについてきていたらしい騎士達が、ヴァルダムの姿を見た途端、はじかれたように背筋を伸ばす。


 その中でざっと膝をついたのはトラムスだ。


「で、殿下! シャロット様! どうかお許しくださいっ! どれほどお詫び申し上げても足りないことは承知しております! ですが、どうかご寛恕かんじょを……っ!」


 深く頭を下げるトラムスの全身も声も激しく震えている。


 無感動にトラムスを見下ろしたヴァルダムがシャロットを振り返った。


「きみはどうしたい? 罰を与えたいというのなら、どんな償いでもさせるが……」


「ば、罰だなんて! 償ってもらうことなんてありませんっ!」


 驚いてぶんぶんとかぶりを振ると、「きみは優しすぎる」とヴァルダムが嘆くように吐息した。


「だが、そんなきみだからこそ、暴虐の魔物を鎮められたのかもしれないな……」


 ひとり納得したように呟いたヴァルダムがトラムスを見下ろす。


「シャロットの慈愛に深く感謝するんだな。本当に反省しているというのなら、騎士として、もっと真実を見る目を身につけろ」


「か、かしこまりました! 心から感謝申し上げます……っ!」


 感極まった声を上げたトラムスにはそれ以上答えず、ヴァルダムが後ろのヘストを振り返る。


「再封印が終われば、カデルア山地にもう用はない。俺達は下山するゆえ、ゴラウス団長と調整をしておいてくれ」


「かしこまりました」


 恭しく頷いたヘストがゴラウスへと歩いていく。ヴァルダムが足を向けたのは自分の天幕だ。


 下山すれば、今度こそヴァルダムとの別れの時だ。


 いい加減、この手を放さねばと、胸の痛みをこらえながら手を引き抜こうとしたところで、天幕に着いた。


 入口の布を上げたヴァルダムが中へシャロットを導く。


「あの……」


 これ以上、ヴァルダムのそばにいては、離れなければならないのに離れられなくなってしまう。


 けれど、なんと言えばいいかわからず思い悩んでいると、振り返ったヴァルダムが不意につないでいた手を引いた。


 よろめいた身体を広い胸に抱きとめられる。


「本当に、無事でよかった……っ! きみに何があったら、死んで詫びても足りないほどだった」


「っ!? とんでもないことをおっしゃらないでくださいっ!」


 さらりと恐ろしいことを言うヴァルダムに血の気が引く。


「私なんかの命をヴァルダム様の命を比べられるはずが……っ」


「『私なんか』と自分を卑下しないでくれ」


 ヴァルダムの穏やかな声がシャロットの言葉を遮る。


「きみは優しくて真摯に人のために尽くす素晴らしい聖女だ。そんなきみだから――これほど、かれてたまらないんだ」


「え……?」


 なんと言われたのかわからず、呆けた声をこぼしたシャロットの頬を、ヴァルダムの大きな手のひらがそっと包む。


「きみが好きだ、シャロット。出逢ってからの時間なんて関係ない。心に寄り添ってくれるきみの清らかさに魅せられたんだ」


 ヴァルダムの声はちゃんと耳に届くのに、言葉が頭へ入ってこない。


 凍りついたように金の瞳を見つめていると、ヴァルダムが困ったように微笑んだ。


「俺はもう、きみと離れることなんて考えられない。お願いだ。俺と一緒に王都へ来てくれないか?」


 思いもしなかった言葉に目を瞠る。考えるより早く、シャロットは大きく頷いていた。


「私も……っ! 私もヴァルダム様と離れたくありません……っ!」


「シャロット……!」


 喜びが抑えされないと言いたげにヴァルダムが強く抱きしめる。


 互いの鼓動を確かめるようにしばらく身を寄せ合ったところで。


「……きみにくちづけたいと言ったら、許してもらえるだろうか……?」


 ヴァルダムが遠慮がちに口にする。


「今朝の俺はどうかしていたんだ。きみさえ許してくれるのなら、あんな奪うようなくちづけではなく……。ちゃんと想いを伝えさせてくれないか?」


 ヴァルダムの声に宿る熱がうつったように、燃えているみたいに頬が熱くなる。


 おずおずと顔を上げるとシャロットを見下ろす金の瞳と目があった。


 愛おしさにあふれたまなざしに、言葉で答える代わりにそっと目を閉じる。


「シャロット、愛している……」


 甘い囁きとともにおりてきた優しいくちづけを、シャロットはあふれる幸せとともに受け止めた。


                                 おわり

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役立たずのしゃっくり聖女と馬鹿にされてきましたが、このたび短気な王太子殿下に召し上げられることになりました 綾束 乙@8/18『期待外れ聖女』発売 @kinoto-ayatsuka

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