第29話「嵐の中心と『創生の心臓』」
アンチウィルス・プログラム『レギオン』を退けた俺たちは、ついに『魔力飽和地帯(マナ・フラッド)』の深部へと侵入した。
天空の箱舟(アーク・ワン)の周囲には、七色の稲妻が絶えず走り、空間そのものが、まるで生き物のように歪んでは、元に戻るのを繰り返している。ブリッジの窓から見える光景は、神々の創造と破壊を同時に見ているようで、荘厳で、恐ろしかった。
「タクミさん……すごい魔力です。空気を吸っているだけで、体が痺れるようです」
リリアが、窓の外の光景に圧倒されながら呟く。彼女ほどの聖なる力の持ち主でさえ、この異常な環境には強い負荷を感じているようだった。
「アーク・ワンの防御フィールドも、長くは保たない。急いで『中心』を見つけ出すぞ」
俺は、艦長席でメインコンソールを操作する。船のセンサーを最大出力にし、この魔力の嵐の中心――イヴを復活させるための、莫大なエネルギーの源を探し始めた。
だが、あまりにも膨大な情報量とノイズのせいで、センサーはまともに機能しない。マップは意味をなさず、ただホワイトアウトするだけだ。
「くそっ、これじゃあ、どこに向かえばいいのか……!」
手詰まりか――そう思いかけた時、俺は一つの可能性に思い至った。
センサーがダメなら、もっと原始的な方法で探せばいい。
「リリア。君の『心』を貸してくれ」
「え?」
「君の聖なる力は、生命や自然と共鳴する。この嵐の中心にも、きっと『核』となるべき生命の源があるはずだ。それを、君の心で感じてほしいんだ」
それは、SEだった俺からすれば、あまりにも非論理的で、オカルトに近い提案だった。だが、この世界に来てから、俺は何度も、論理だけでは説明できない奇跡を目の当たりにしてきた。リリアの力は、その最たるものだ。
「……はい。やってみます!」
リリアは、ブリッジの中央に立つと、静かに目を閉じて、祈りを捧げ始めた。彼女の体から、穏やかな金色の光が放たれ、アーク・ワンの船体を通して、外の荒れ狂う魔力の嵐へと、そっと溶け込んでいく。
数分が、永遠のように感じられた。
やがて、リリアの瞳が、カッと見開かれた。
「……見えました。あちらです!」
リリアが指さす方向は、嵐が最も激しく、空間の歪みが最大になっている一点だった。俺は、彼女の感覚を信じ、アーク・ワンの舵を、その絶望的なまでの嵐の中心へと向けた。
船が、悲鳴のような軋みを上げる。防御フィールドが限界に達し、船体のあちこちで火花が散る。それでも、俺は進んだ。
そして、ついに、俺たちは嵐の目にたどり着いた。
そこは、嘘のように静かな空間だった。荒れ狂う嵐が、壁のように俺たちを取り囲み、その中心だけが、穏やかな凪に包まれている。
そして、その中心に、それは、浮かんでいた。
巨大な、心臓。
水晶のように透き通った、脈動する巨大な心臓だった。
その一拍、一拍が、この魔力飽和地帯全体の嵐を生み出している。ドクン、と脈打つたびに、周囲の空間に、七色の魔力の波紋が広がっていく。
あれが、この世界の創生期に、神々が生命を生み出すために使ったとされる、アーティファクト。
『創生の心臓(ジェネシス・ハート)』。
「……あれほどのエネルギーなら、間違いなく、イヴを……!」
俺は、アーク・ワンのファクトリーで完成していた、イヴの新しいボディを、転送装置でこのブリッジへと呼び出した。白銀のオリハルコンでできた、眠れる少女の姿。俺は、その体を、そっと抱きかかえる。
そして、イヴの魂が眠る『種子(シード)』のデータを、俺のスマホから、彼女の新しいボディのコア・ユニットへと、転送した。
残るは、エネルギーだ。
俺は、アーク・ワンの船首にある集光レンズを展開し、その照準を、創生の心臓に合わせた。
「リリア! 君の力を貸してくれ! あの心臓から、イヴに必要なだけの生命エネルギーを、『分けて』もらうんだ!」
リリアが、再び祈りを捧げる。彼女の聖なる力は、集光レンズを通して、創生の心臓へと向けられた。それは、攻撃でも、吸収でもない。対話であり、願いだった。
『この世界を愛する、一人の少女の魂を、どうか、もう一度、この世界へ還してください』と。
リリアの祈りに応えるかのように、創生の心臓の脈動が、わずかに変化した。そして、その鼓動から生まれた膨大なエネルギーの一部が、優しい光の奔流となって、集光レンズへと注ぎ込まれていく。
その光は、俺が抱きかかえる、イヴの新しい体に、そっと降り注いでいった。
エネルギーゲージが、凄まじい勢いで上昇していく。90%、95%、99%……。
そして、ついに、100%に達した。
俺が抱きかかえる、冷たいオリハルコンの体が、ゆっくりと、温かみを取り戻していく。
指先が、かすかにピクリと動いた。
やがて、長い、長いまつ毛が震え、その蒼い瞳が、ゆっくりと、開かれた。
「……タクミ……? リリア……?」
その声は、以前の無機質なものではなく、確かな感情の温かみを宿していた。
彼女は、俺の腕の中で、ゆっくりと体を起こすと、少しだけ戸惑ったように、自分の手を見つめた。
「おはよう、イヴ。……おかえり」
俺がそう言うと、イヴの蒼い瞳から、一筋の、光の涙がこぼれ落ちた。
「……はい。ただいま、戻りました」
AIの少女は、ついに、本当の『心』を手に入れて、俺たちの元へ、還ってきた。
だが、その感動的な再会を、祝福しない者たちがいた。
[DANGER! DANGER! SYSTEM_ERROR!]
[管理者『ネメシス』による、強制アクセスを確認]
ブリッジの警報が、けたたましく鳴り響く。
メインスクリーンに、鬼の形相をした、監査官ネメシスの顔が映し出された。
『――見つけたぞ、バグども。私の『母さん』に、何をした』
彼女の背後には、おびただしい数の、黒い戦闘機。
創生の心臓から放たれるエネルギーは、イヴを目覚めさせると同時に、神々の追跡者たちを、この場所へと呼び寄せてしまったのだ。
世界の心臓部で、最後の戦いの火蓋が、今、切って落とされようとしていた。
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