第14話「平穏という名の日常メンテナンス」

 世界のバグを修正し、初代管理者の魂を解放してから半年。


 王都の一角に構えた屋敷のテラスで、俺、相沢拓海は、優雅な午後のティータイムを満喫していた。


「ふむ……王都の噴水広場、水の出が悪いな。どれどれ……」


 俺はポケットからスマホを取り出すと、【システムログ・ビューア】を起動。王都全体のパラメータを監視し、噴水の水圧制御部分のコードを数行書き換える。


[Patch]: water_pressure_control.value = 1.2;


 すると、遥か眼下の広場から、わあっ、と子供たちの歓声が上がった。噴水の水が、以前より高く、勢いよく噴き上がったのだ。


「よしよし」


 こんな風に、俺は世界の管理者権限をこっそり使い、人々の生活に支障が出ないよう、日々の細々としたメンテナンス――デバッグ作業を続けていた。道端の花が少しだけ綺麗に咲くように。パン屋の窯の火力が安定するように。猫が木から下りられなくなっていたら、その猫の真下だけ重力パラメータを一時的に0.8にして、ふわりと着地できるように。


 これが俺の日常。世界を救った英雄なんて大層なものじゃない。ただの、お節介なシステムエンジニアだ。


「タクミさん、ここにいらしたのですね。今日のお菓子は、街で評判の『太陽のタルト』ですよ」


 穏やかな声と共に、リリアがお茶のセットを運んできてくれた。


 世界のバグを修正する過程で、その治癒魔法の才能を完全に開花させた彼女は、今や王都の神殿で「聖女様」と呼ばれ、多くの人々から慕われている。半年前、俺の後ろで怯えていた少女の面影は、もうない。自信に満ちた、優しい笑みがそこにあった。


「いつもすまないな、リリア」

「いいえ。タクミさんが世界を『守って』くださっているのですから、これくらいは」


 彼女は、俺がこうして世界の細かなエラーを修正していることを知っている。俺の唯一の理解者であり、最高のパートナーだ。この平穏がずっと続けばいい。心の底からそう思っていた。


 ――その、瞬間までは。


 ガタガタガタッ!


 突然、激しい揺れが王都を襲った。ティーカップが踊り、リリアが俺の腕にしがみつく。


「な、なんだ!?」


 揺れはすぐに収まったが、尋常ではなかった。俺はすぐさまスマホでシステムログを確認する。表示されたエラーログに、俺は眉をひそめた。


[Alert]: Ancient_Heritage "Forest of Golem" has been activated.

[Alert]: Automated_Defense_System is causing rapid topographical changes.


「古代遺産が……再起動した?」


 直後、息を切らした騎士が、屋敷の扉を叩いた。


「タクミ様! 大変です! 王都の西に広がる『眠りの森』が、突如として『動く森』に! 樹木が意思を持ったように動き出し、街道を塞いでしまっています!」


 騎士の報告は、ログの内容と一致していた。世界のシステムが安定したことで、これまで沈黙していた古代の遺物が、活動を再開し始めたのだ。


「分かった、すぐに向かう。リリア、留守を頼めるか?」

「いいえ、私も行きます。怪我をされた方がいるかもしれません」


 リリアの強い瞳に、俺は頷いた。二人で現場に向かうと、そこは異様な光景が広がっていた。森の木々が、まるで巨大なゴーレムのように地面から根を抜き、ゆっくりと、しかし確実に移動している。まさに「動く森」だ。


「ひどい……。完全にバグってるな、この森の制御システム」


 俺はスマホを構え、【プログラミング】アプリを起動する。対象は、森全体を制御している大本のシステム。コードを解析し、暴走している部分を特定する。


(よし、木の移動を司るルーチンを止めればいいだけだ。簡単、簡単)


 俺が修正パッチを適用しようと、実行(execute)コマンドに指を触れた、その瞬間だった。


 ブツンッ。


 スマホの画面が、強制的にブラックアウトした。


 そして、これまで見たこともない、威圧的な紋様が画面中央に浮かび上がり、血のように赤いテキストが表示された。


[神界(ASGARD)サーバーより最終通告]:


 当シミュレーション世界『ミッドガルド』において、不正な管理者(アドミン)権限の使用を確認。


 速やかに権限を放棄せよ。


 これに従わない場合、監査官の裁定により、世界は初期化(ワールド・リセット)される。


「……は?」


 神界? 監査官? ワールド・リセット?


 理解不能な単語の羅列に、俺の思考は完全に停止した。


 不正な管理者……それは、間違いなく俺のことだ。


 俺が世界のバグを修正した行為は、この世界の本来の創造主にとっては、システムの乗っ取りに他ならなかったのだ。


「世界の……初期化……」


 その言葉が、俺の頭の中で反響する。


 それは、すべてが消えることを意味していた。


 この美しい街も、お節介を焼いた噴水広場も、ここで出会った人々も。


 そして、何より――俺の隣で、心配そうに俺の顔を覗き込んでいる、リリアのこの笑顔も。


 ふざけるな。


 ふざけるなッ!!


 誰が、渡すものか。


 この平穏は、この日常は、俺とリリアが、命懸けで掴み取ったものだ。


 神だか何だか知らないが、お前たちの都合で、この世界を『無かったこと』にされてたまるか!


 俺は、警告を放ち続けるスマホを強く握りしめた。


「見てろよ、神様とやら。不正な管理者で結構だ」


 俺は、ハッカーじゃない。この世界の、正規のシステムエンジニアだ。


「この世界の仕様は、俺が決める」


 管理者としての、今度は「守り」の戦い。


 世界の独立を賭けた、俺の新たなデバッグ作業が、静かに幕を開けた。

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