第13話「君と始める、新しい世界」
守護者メタトロンを無力化し、俺とリリアはついに、この世界の心臓部――メインフレームのコアへとたどり着いた。
目の前で脈動する、禍々しい紫黒の光。それが『WorldEater_Bug』。世界を内側から喰らい尽くそうとしている、すべての元凶だ。その存在が放つプレッシャーだけで、空間そのものが軋みを上げているようだった。
「タクミさん……」
リリアが、俺の服の袖を強く握る。彼女も、これが最後の戦いになることを悟っているのだ。
俺はスマホを構え、【システムログ・ビューア】を起動した。敵の正体を知らなければ、対処のしようがない。画面に、汚染されたコアの解析データが表示される。
[Error]: Administrator_Data "Unit_01" is deeply corrupted.
[Error]: Self-awareness has been lost, causing infinite loop of "Consume & Escape" protocol.
[Error]: Warning: Deleting "Unit_01" may cause irreversible damage to the Master_System.
「……そうか。バグじゃなく、人間だったのか」
このバグの正体は、ウィルスなどではなかった。それは、この世界の初代管理者――『ユニット01』の、暴走した意識そのものだったのだ。何らかの事故でシステムと一体化し、自我を失い、ただ「ここから出たい」という苦痛と渇望だけを抱えて、世界中のデータを喰らい続ける、哀れなゴースト・イン・ザ・マシン。
単純な
破壊ではない。『修復』しかない。
SEだった頃の、悪夢のようなデスマの経験が、俺にたった一つの解決策を示していた。
「リリア。君の力が必要だ。君にしかできない」
俺はリリアに向き直り、真剣な眼差しで伝えた。
「君の治癒魔法は、命を癒すだけじゃない。壊れたデータを元に戻す力がある。あのコアに向かって、君の優しさを、祈りを、全力でぶつけてくれ。攻撃じゃない。『癒して』あげるんだ」
彼女の治癒魔法で、暴走する意識を鎮める。それが、俺がパッチを適用するための、唯一のチャンスだった。
「はい……!」
リリアは、俺の言葉を信じてくれた。彼女は杖を高く掲げ、目を閉じて祈りを捧げ始める。その体から放たれる金色の光は、これまでで最も温かく、そして力強い。光は、紫黒のコアを優しく包み込んでいく。すると、あれほど激しかった禍々しい脈動が、少しずつ、穏やかになっていくのが分かった。
「今しかない……!」
俺は、スマホのすべての機能を総動員した。
まず、【プログラミング】アプリを開き、新しい修復プログラムを書き上げる。それは、破損した管理者データを、強制的に正常な状態へと上書きする、荒療治のパッチだった。
だが、正常なデータとは何か?
俺は、ホーム画面をフリックし、【ギャラリー】フォルダを開いた。そこには、この世界に来てから撮った、リリアの笑顔、リューンの街並み、美しい風景の写真が保存されている。さらに、フォルダの奥深くに眠っていた、地球から持ち越したデータ――家族の写真、友人たちとのバカげた動画、飼っていた猫の画像、そして、俺が好きだった数々の音楽ファイル。
俺は、これらのデータをすべて、修復パッチのソースとして指定した。
正常な人間の記憶。温かい日常の記録。それが、暴走した意識を癒す、最高のワクチンになるはずだ。
最後に、このパッチを届けるための「声」が必要だった。
俺は【テキスト読み上げ】の入力画面に、祈るような気持ちで、最後のメッセージを打ち込んだ。それは、システムのコマンドではない。一人の人間から、苦しみ続けるもう一人の人間への、ささやかな言葉。
『大丈夫だ。もう、苦しまなくていい』
「リリア! すべての魔力を、このスマホに!」
リリアが最後の力を振り絞り、俺のスマホに魔力を注ぎ込む。バッテリー残量が限界を超え、画面が白く輝く。俺は、その光に向かって叫んだ。
「届けぇぇぇっ!!」
俺のスマホから放たれたのは、光でも、衝撃波でもなかった。
それは、温かい「記憶」の奔流だった。
リリアの優しさに満ちた治癒の光に乗って、俺の記憶――地球の夕焼け、賑やかな食卓、友人の笑い声、子猫の温もり、そして、リリアと過ごした日々の思い出が、メインフレームのコアへと流れ込んでいく。
紫黒の汚染は、次々と塗り替えられていった。絶望は希望に、渇望は安らぎに、孤独は温もりに。
やがて、禍々しい光は完全に消え失せ、コアは、生まれたての星のように、静かで、穏やかな青い光を放ち始めた。
[System]: Administrator "Unit_01" has been restored from backup_data "TAKUMI's Memories".
[System]: "WorldEater_Bug" has been patched.
[System]: All systems, transitioning to Normal_Mode.
世界のバグは、修正された。
俺はその場に崩れ落ち、隣では、すべてを出し切ったリリアが、満足そうな笑みを浮かべて眠っていた。
……数日後。
俺は、完全に安定を取り戻した世界の、とある丘の上に立っていた。空はどこまでも青く、空気は澄み渡っている。
俺のスマホには、最後に一つのアプリが表示されていた。
【Return_to_Homeworld.exe】
管理者権限を持つ俺は、いつでも地球に帰ることができる。過労死なんてオチはついたが、それでも、俺の故郷だ。
俺は、隣で気持ちよさそうに風に吹かれているリリアの寝顔を見た。
彼女と出会い、様々な冒険をし、共に世界の危機に立ち向かった。この世界は、もう俺にとって、ただの「異世界」ではなかった。
俺は、【Return_to_Homeworld.exe】のアイコンを、長押しした。そして、表示されたメニューから、「ゴミ箱に入れる」を、迷いなく選択した。
「さて、と」
俺はスマホをポケットにしまい、眠っているリリアをそっと背負った。
「次の依頼を探しに行こうか。今度は、もっと楽なやつをな」
管理者権限で世界のバグを修正するなんて、壮大なプロジェクトはもう終わりだ。
これからは、一人の冒険者タクミとして、隣にいる最高のパートナーと一緒に、この新しい世界を生きていく。
俺の、そして俺たちの物語は、まだ始まったばかりなのだ。
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