第32話 炉の火を絶やすな


 補給倉庫は喧騒に満ちていた。

 昨日まで酒に溺れていた者たちが、まるで別の戦場に投げ込まれたかのように、走り、叫び、指示を飛ばしていた。


「ねぇ、麦俵は北側の棚!混ぜない!」「そっちは傷んだ干し肉の場所、捨てろとは言わないけど後回し!」

 テルンの甲高い声が飛ぶ。監査責任者としての口調は軽いが、指示に迷いはない。


 兵士たちはその指示に従って動いていた。背後に立つのは、整列したオルク=ガルの監視部隊。笑顔ひとつ見せず、ただ静かに睨むだけで、規律は維持されていた。


「……最初にこうしてればよかったのにね、ムルガン将軍の兵たち」

 テルンは記録帳を片手に、鼻で笑った。


 俺は補給倉庫の奥を眺めながら、静かに息を吐いた。


(改善は進んでいる。だが、根は倉庫ではなく――組織の上にある)


 酒の横流しが黙認されていたということは、それを許した上官がいるということだ。


 “炉鳴り”ムルガン。四将のひとりにして、南棟全体の責任者。


 俺は踵を返し、オルク=ガルの部下に目配せした。


「ムルガンの居所は?」

「南の鍛冶場って聞いてるぜ、族長」


 俺は無言で頷き、補給区画を後にした。


 鍛冶場――鉄と汗と怒声の場所。

 そして、俺が次に刃を向けるべき“将軍”が待つ場所でもある。



           ♦



 俺はオルク=ガルの戦士たちを背後に従えて、鍛冶場の入り口に立っていた。


 白熱した鉄を叩く槌の連打が耳を突き、火花が飛び散るたびに、石床にこぼれた煤が一瞬光る。炉の熱気が肌を刺し、職人たちの顔を赤く染め上げていた。


 ――だが、その“戦場”にしては、どこか違和感があった。


 鍛冶台は十基以上あるというのに、稼働しているのは半分ほどだ。作業員の姿もまばらで、一人で二つの炉を掛け持ちしている者までいる。火を維持するだけで手一杯、鉄を叩く手は追いついていない。


 静かに、俺の眉が動いた。


 この数では、装備の修繕すら間に合わない。


「ムルガン将軍はいるか!」


 俺の声が熱気を割り、空間を支配した。


 その瞬間、全ての作業が止まった。鍛冶兵たちは動きを止め、槌を振るっていた手を下ろす。火花は次第に消え、炉の唸り声だけが残った。


 静寂の中、奥から鈍い足音が響いてくる。


 鍛冶場の最奥、炉の影から現れたのは、屈強な体格の男――ムルガンだった。肩に煤をまとい、素肌にエプロンを巻きつけた姿は、職人そのものだ。額には汗、手には赤黒い火傷の痕。だがその目だけは、将軍としての鋭さを残していた。


「なんの用だ、バルド将軍」


 彼は槌を置きながら俺に目を向けた。その声に、怒気も驚きもなく、ただ静かな疲労が滲んでいた。


「ここは、貴様が管理する区域だ。補給倉庫での無秩序と杜撰さ、酒の横流し――それらの責任を問うために来た」


 俺は一歩前に出た。だがムルガンは、火の光の中でも表情を歪めなかった。


「見ての通りだ、バルド将軍。……人手が足りんのだ」


 低い声だった。


「戦で腕を失った者、病に倒れた者、前線に引き抜かれた者……鍛冶場にはもう半分も残っちゃいねぇ。だが鉄は止められん。兵の武器が折れれば、それで終いだからな」


 ムルガンは、俺の背後に並ぶオルク=ガルの姿を見て、微かに肩を揺らした。


「それでも、残った奴らは文句も言わず、夜まで槌を振ってる。……だから、せめて酒くらい飲ませてやりたかった」


 俺はしばらく黙ったまま、再び鍛冶台の列を見渡す。赤々と燃える炎。煤まみれのオークたち。死んだような目で鉄を叩く者。そこに“怠惰”はなかった。ただ、“限界”があった。


(……見誤ったか)


 補給の乱れの背後に、もっと根深い疲弊がある。


 俺は目を細めながら、壁にずらりと並べられた武器の一群に視線を移す。


 大剣、槍、斧――形状は様々だが、どれも一様に手入れが行き届いている。打ち込みの角度、重心の調整、鍔の接合部に至るまで、妥協がない。手に取らずとも分かる。これは粗製濫造ではない。使う者の命を預かる武器として――本気で鍛えられている。


(……これほどの質を、あの人数で仕上げているのか)


 俺の背後で、ザルグが低く唸った。


「こりゃ……鍛冶兵、寝てねぇな」


 その言葉が現場の実情を物語っていた。


「――ならば、方法を変える」


 俺の言葉に、ムルガンの額がぴくりと動いた。


「……どういう意味だ?」


「死者を働かせる。戦場で散った者に刻印を施し、死骸を労働用の骨兵スケルトンへと転用する」


 ムルガンの目が細くなる。


「……ふざけるな、バルド。死者を、労働力に?」


「ふざけてなどいない。あれは“死体”ではなく“器”だ。意志は持たない。ただ動くだけの骨だ。魂はとうに去っている。死者の尊厳を汚すことはない」


 俺は淡々と告げた。


「もちろん、すべて俺の管轄下で管理する。鍛冶場に配置するのは炉の火維持、風箱の操作、材の運搬までだ。武器には一切触れさせない」


 その時だった。炉の近くで鉄槌を握っていた一人の職人――年配のオークが、静かに立ち上がった。顔に刻まれた古傷、煤で黒ずんだ額。彼は目を逸らさず、まっすぐ俺を見据えた。


「バルド将軍。……それが戦に必要だってのは、分かってます。だが……」


 言葉に詰まり、槌をぐっと握り直す。


「死人に火をくべさせ、炉を守らせる……その光景を見ながら、俺たちは鉄を打てと? ……アンタは“器”と言ったが、俺にとっては仲間だ。昨日まで隣で槌を振っていた奴が、骨になって火を運んでるのを、ただの労働力だと割り切るのは……俺にはできねぇ」


 静寂が落ちた。誰もが口を閉ざし、ただ火の音だけが響いていた。


 俺はその想いを受け止め、短く頷いた。


「……お前の言う通り、誇りは尊重しよう。訂正する。死者は“使う”のではなく、“借りる”のだ。名を記し、触れる作業は限定する。武器の鍛造には一切関わらせない。誇りは生きた者の手で守れ。それが俺の出せる譲歩だ」



 ムルガンはしばらく黙っていた。だが、視線を炉の奥へと移し、ひとつ、吐息を漏らす。


「……俺はあいつらに、酒しか渡してやれなかった。鍛冶兵が一人死ぬたび、炉の火がひとつずつ消える。……骨だろうと助けがあるなら、俺は否定しない」


 その言葉に、俺は小さく頷いた。


「――ならば動こう。今日中に二十体は用意できる。明日には倍に増やす。……人族に勝つには、俺達には決定的に人手がいる」


 ムルガンがわずかに笑う。


「……アク―バの奴が褒めるわけだ。お前はどこまでも、手段を選ばず“戦える形”を作る」


「……すべてはオークの未来のためだ」


 俺は鍛冶場を見渡す。火の中で削られた魂たち――それを守るのが、将の責務だ。


「……準備に入れ。ここを“戦場”に戻す!そして一つ、作ってもらいたいモノがある」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る