第30話 魔王の系譜
謁見を終え、俺はグルを伴ってマグ=ホルドの要塞内を歩いていた。
シャドリク率いるアサシン隊からの報告を待つ傍ら、自らでもこの城塞の空気を肌で感じておきたかったのだ。
濁流の中洲に築かれた巨城の内部は、まさに戦場の延長だった。
兵たちは忙しなく動き回り、折れた槍を繕う者、血に染まった鎧を洗う者、矢羽を束ねて火矢に備える者――そのすべてが苛烈な戦の真っただ中にいることを物語っていた。
石畳に響く靴音も、運ばれる武具の金属音も、ひとつとして無駄のない、切羽詰まった音。
だが、そんな中でも。
俺が通るたび、兵たちは作業の手を止め、拳を胸に当てて軽く頭を垂れた。
それは敬礼というより、戦士が戦士に示す尊敬の印だった。
「……何故俺に挨拶をするんだ?」
思わず呟いた俺に、隣のグルが牙を覗かせて笑った。
「そりゃあ優れた戦士には風格が出るからな。族長ってのは、そういうもんさ」
風格――。
俺は短く息を吐く。
積み重ねたのはただの血と死だ。それが「風格」と呼ばれるのなら、笑える話だ。
だが兵たちの目がそう映すのなら、それを利用せねばならない。
俺が背負うものは既に俺一人の手で受け止められるモノではなくなっているのだから。
俺は足を止め、武具を運んでいた兵のひとりに声を掛けた。
「……君、少しいいか」
若いオーク兵が驚いたように目を見開き、慌てて拳を胸に当てて頭を下げた。
「はっ、客将殿。なんでしょうか?」
「大将軍について聞きたい。……彼は今も戦の最前に立つのか?」
兵はわずかに首を傾げ、言葉を選ぶように口を開いた。
「いえ……大将軍は三年ほど前から戦場にはお立ちになっていません。
今は指揮所から我々を導いて下さっています。恐らくは、ご高齢によるものでしょう」
「兵たちの前に姿を現すことは?」
「……滅多にございません。大将軍はマグ=ホルドの最高戦力ですから。
御姿を拝むのは将軍方か、選ばれた兵に限られます。一般の兵士にとっては――伝説のようなお方です」
俺は静かに頷き、短く言った。
「そうか。忙しいところ済まなかった」
「いえ! アクーバ将軍の恩人ですから。何でもお申し付けください!」
兵は再び深く頭を下げ、慌ただしく持ち場へと戻っていった。
……三年前から、戦場に立っていない。
やはり、俺の違和感は正しかった。
あの広間で見たのは、燃え盛る覇気を纏った老将――しかし。
この兵の話を信じるならば、三年も戦列を離れている者に、あの覇気が残っているはずがない。
では――俺の前に座していた存在は、一体何だ?
血も、骨も、魂すらも感じられなかったあの「空虚」は……。
「グル、オルク=ガルの戦士達に今のうちに休息と武器の補給を徹底させておけ」
「わかった。本格的な戦闘は近ぇのかバルド?」
「分からない。が、用心するに越したことはない。それが外敵であれ、味方であれ……な」
♦
俺が要塞の回廊を歩きながら、兵たちの様子を観察し続け、しばしの時間が流れた。灯火の届かぬ柱の影から、気配もなく現れたシャドリクが、俺の前に片膝をついた。
「……族長、アサシン隊の報告をまとめた」
「ああ、聞かせてくれ」
「まず兵糧について……管理は杜撰。倉庫ごとに差があり、横流しの形跡もあり。もって二か月。ただし、現状では兵はまだ飢えてない」
「武器と矢は?」
「備蓄は潤沢だった。矢倉には山積みで、しばらくは尽きることはない」
「兵数は?」
「一万。現時点では全員、戦線に立てる状態」
淡々と告げる声に、無駄はない。
それでいて、俺に報告することを誇りとしているような響きがあった。
「将軍たち各々の評価はどうだ」
「兵の間で最も信頼が厚いのはアクーバ将軍。次いでムルガン将軍。……シャマルク将軍に関しては、何をしているのか分からないという者が大半。ただし、恐れは抱いてる様子」
シャドリクは一拍置き、懐から黒鉄の小さな塊を取り出し俺の掌へ置く。
「……玉座の裏の扉。その鍵かと。護衛の一人から、拝借した」
俺はしばし鍵を見つめ、静かに息を吐く。
「……完璧な仕事だ。鷹の目が拾えない細部を良く掬い上げてくれた」
「……アサシン隊にも伝えておく」
再びシャドリクは闇に溶けた。
(やはり……大将軍とあの扉は繋がっていると見て良い。今夜にでも確かめるとしよう)
♦
夜が降りた。
濁流に囲まれた要塞は、昼間の喧騒が嘘のように沈黙していた。
だが、俺の胸中に広がるざわめきは収まらなかった。
(……護衛はいないか)
シャドリクが拝借してきた黒鉄の鍵を手に、俺は再び大広間へ足を運んだ。
玉座は闇の中に浮かび上がり、昼間と変わらぬ威圧を放っている。
だがその背後――壁に埋め込まれた黒鉄の扉こそ、俺を呼び寄せていた。
鍵を差し込み、ぎぃ……と重い音を立てて開く。
鉄の軋みはまるで扉が長く忘れ去られていたかのような音だった。
だが、違う。
扉の向こうに広がっていたのは、よく整えられた石階段と、ほのかに薬草の匂いが漂う空間だった。
(……手入れされている。誰かが、定期的にここへ通っている)
俺は警戒を強め、静かに階段を降りる。
足音を殺しながら、壁に手を当てて進む。
やがて開けた地下の空間にたどり着いた。
そこには、冷たい石の祭壇があった。
その上に――
遺体が横たわっていた。
黒鉄の鎧に身を包み、両手を胸の上で組んだその姿は、まるで眠るようだった。
だが、その肌は青白く、瞳は二度と開かない。
――大将軍ザガノス。
(……やはり、死んでいたのか。なら、昼間のあれはなんだ?)
防腐処理が施されている。
見事なほどに腐敗の兆候はなかったが、それが逆に“人工的な死”を匂わせていた。
「王よ。よくぞ、おいでなさいました」
その声は、俺の背後から聞こえたが、足音はなかった。
いつからそこにいたのか。扉を閉めたはずの地下空間に、風が一瞬、吹き抜けた。
振り向けば、黒布を被った老婆――『呪婦』シャマルクが膝をついていた。祈るように、跪くように静かに佇んでいた。
「王?……ここで何をしている?」
俺は問いながら、抜刀できるよう自然と距離を詰めていく。
だが、シャマルクは逃げも隠れもせず、石の間の中央で深々と頭を垂れた。
「やはり、ここまで辿り着かれましたか。我が王よ」
「……何のつもりだ。質問に答えろ」
俺の言葉に、シャマルクは顔を上げず答えた。
「“黒”。その特別な肌の色を見た時から、ワタクシは時代が動くのを感じておりました」
石畳に杖をつき、シャマルクは淡々と続ける。
「
「……それがどうした」
(……魔王?何の話だ?TALISMAN~ タリスマン~の本編には名すら出ないぞ)
「その血が再び、オークに巡ってきたのです。魔王とは、かの“落胤”――世界の縁から滑り落ちた者が、亜人に生まれ変わり、人と亜人の均衡を繋ぐ存在。あなたもまた、“その系譜”に連なる者」
(……転生者のことを言っているのか?コイツはどこまで知っている?)
「名は問いますまい。ですが、ワタクシ達は……待っていたのです。我が王が再び現れるその日を」
沈黙が落ちた。
石の間に、灯火の明滅だけが揺れていた。
やがて、俺は一歩踏み出し、ザガノスの遺体を見下ろした。
「……ならば、あの幻のザガノスは、お前が創ったものか」
「ええ。あれは苦肉の策でした。王亡き後、我が民が絶望しないように。亜人の王が現れる、その“刻”まで持ちこたえるために、彼の姿を“残した”のです」
「俺に選択を迫る気か」
シャマルクは、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳の奥に宿っていたのは、狂信。そして、
――覚悟だった。
「今や人間たちの軍勢は城を包囲し、亜人たちは散り、蹂躙され、滅びの淵にあります。希望は……あなたしか残されていない」
シャマルクは膝をつき、祈るように頭を垂れた。
「どうか、この地を、我ら亜人の未来を、救い給え。我が王よ」
……その声に、俺は即座に答えなかった。
「――お前はキングメーカーとして、ただ力を得たいだけなのか?」
シャマルクは微かに笑った。黒布の影に声が吸い込まれるように響く。
「いいえ。ワタクシ達“ンドウ士族”は、古より、王を選ぶ存在でした。血族であれ、将であれ、その“戴冠”の儀を正しく取り行うことが我が務めであり、それだけなのです」
バルドは眉をひそめる。
「それで? 目の前の死体を喰らえというのか?」
シャマルクはその言葉にそっと頷いた。
「ええ。大将軍ザガノスの肉体――戦の英雄として名を馳せた遺体を継いで下され。それが、正統なる後継者としての証明になるでしょう」
俺はザガノスの死体をまじまじと見る。死してなお、燃えるような意志の残滓が刻まれていた。石台を包む冷気すら、その存在の熱に押されて退いているように感じる。 この男を喰らえば、力を得られる、オーク・キングへ至れる、それは間違いない。
――だが
「――順序が逆だ、シャマルク」
俺は低く言い放ち、ザガノスの亡骸に視線を落とす。
「俺は《故郷》を取り戻すまで、人肉以外を口にしないと戦士の誓いを立てた。死霊術も、人喰いも、全てはオークの未来のため」
シャマルクは静かに頷いたが、その手元の骨飾りがカラリと小さく鳴った。
「……誓い。それは、魂に刻まれし鎖。だが王とは、誓いを超えて民を導く存在でもありましょう」
「違うな」
俺は短く切り返す。
「王というのはただ力を得た者じゃない。兵たちの敬意を集め、背を預けられる戦士でなければならん。敬意は、勝利が与えるもの。勝たねば、語る言葉も届きはしない」
「俺が今ここでザガノスを喰らい、王の座に就いたとして……誰がそれに膝を折る?」
シャマルクの顔が一瞬揺らぐ。闇の中、蝋燭の影がその頬をなぞった。
「名もなき戦士たちが、命を懸けて守ろうとしてるものを踏み躙るような“戴冠”に、意味はない」
そう言い切った俺に、しばしの静寂が訪れる。石壁が呼吸をするように、空気が重く沈んだ。
「……先を見通すその慧眼、感服致しました。……わかりました。今は引きましょう。ですが――」
彼女の声は少しだけ低くなり、床に額を近づけるようにして囁いた。
「あなたはきっと、この力を欲する時が来ましょう。――その時こそ、戴冠の儀を」
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