第23話 黄泉再宴

 転がった頭部は、泥の中で虚ろに口を開いていた。

 その目はなおも見開かれ、刹那の恐怖と驚愕を映したまま固まっている。


「……見苦しい」


 俺は冷ややかに吐き捨て、血を吸った刃を払った。

 権威に溺れ、兵を無能と罵り、最後は馬に縋って命乞い――

 その末路が、泥に沈んだ滑稽な頭ひとつ。


 視線を落とす。

 鞄が泥に倒れ、本の束が口を開いていた。

 その中に一冊――黒革に覆われ、表紙に禍々しい印を刻んだ本があった。


 【黄泉再宴】の写し。

 禁じられた死霊術の書。


 ようやくだ。俺は迷いなく拾い上げる。

 その瞬間――


「ッ……!」


 脳が焼け付くような激痛が走り、膝が地に沈んだ。

 視界がぶれ、右目が二重に世界を映す。

 大地は血に染まり、家屋は白骨の残骸に変わり果てていた。

 俺の手は骸骨のように痩せさらばえ、シャドリクの姿もまた、肉を削ぎ落された亡者の影に歪んで見える。


 ――禁忌を犯し者よ。

 ――来い、こちら側へ。


 耳に届くのは、呻きと嗤い。

 本から流れ込む膨大な情報が、俺の脳を無理やり広げていく。

 死の理、血管を模す糸の概念、魂を引き戻す禁忌の術式。

 これはただの魔導理論ではない。

 死を超越した存在――リッチのみが使える御業。


 それを、生者の身で、オークの身で、掌握しようとしている。

 多少の不具合は起きて当然だ。


「ぐ……ッ、はぁ、はぁ……!」


 呼吸が乱れ、胃の底から吐き気が込み上げる。

 右目には異質な黒い靄が横切り、視界に常に死を刻み込んでくる。


「族長!」


 闇の中からシャドリクが駆け寄る。

 普段は無言の男が、珍しく狼狽を滲ませていた。

「族長、大丈夫か!」


 俺は奥歯を噛み締め、首を振った。

 幻視は続き、靄も晴れない。

 だが――心は妙に澄んでいた。



【スキル獲得;死霊術ネクロマンシー

死霊術ネクロマンシー》を習得しました。

 死体を魔力の糸で操り、擬似的な生命を与えることが可能になります。

 ※対象によって特性が変化します。



「……問題ない」


 紙片は静かに崩れ始め、灰となって指の隙間からさらさらと零れ落ちていく。

 理解できた。

 この痛みは代償だ。

 分不相応な者が求めた罰だ。

 だが同時に、俺は確かに触れたのだ。

 超越者の力に。  


 俺は周囲を見渡した。

 死体は二つ。

 小太りの男爵――そして、黒馬ジェンダ。


 どちらを選ぶかなど、迷う余地はなかった。


 泥に沈む人間の首は、哀れで見苦しいだけだ。

 だが――馬は違う。

 四人の暗殺者に暗器を浴びてもなお走り抜き、主を背にして最後まで死地を駆け抜けた。

 あの胆力、忠義。

 死してなお、戦場に立つ価値がある。


「……選ぶのは、お前だ」


 俺は黒馬の巨体に近づき、【黄泉再宴】の術式を呼び起こした。


 途端に、脳髄を針で貫かれるような激痛が走る。

 視界が二重に強く揺れ、右目には黒い靄が漂う。

 骨と臓物が世界を塗り替え、血と腐臭が鼻腔を満たす。


「ぐッ……!」


 呻きながらも、俺は頭に残る術式を読み解き、魔力を編んだ。

 それは糸。

 血管を模す無数の細線を、俺は掌から垂らし死骸へと差し込む。


 ――ズブリ、ズズズ……。


 糸が肉の隙間を這い、血管を押し広げる音が響く。

 骨の髄を貫き、心臓の位置に絡みついた瞬間、ドクン、と異様な鼓動が鳴った。

 死骸に心拍など無い。それでも魔力が、疑似的な生命を流し込んだのだ。


「起きろ……戦場はまだ終わっていない」


 低く命じると、馬の四肢がわずかに痙攣した。

 切り裂かれた首の断面から、黒い靄がふつふつと噴き出す。

 それはやがて全身を覆い、冷気のように揺らめく死装束と化した。


 次の瞬間――


 ジェンダは、立ち上がった。


 蹄が石畳を砕くと同時に、深淵を思わせる首の断面から耳を裂く咆哮が放たれる。

 ただの嘶きではない。空気が裂け、周囲の影が震える。

 近くに潜んでいた鼠が、その声だけで痙攣し、血を吐いて絶命した。

 恐怖そのものが音に乗り、命を削り取る。




 ──── STATUS ────


【名前】ジェンダ


【種族】軍馬 → 首無し騎士馬デュラハン・ホース


【称号】《黒き死装束》

 └ 術者バルドによって呼び戻された「黄泉再宴」の異形。最初の蘇生ボーナスによりユニークユニットとして覚醒。死装束の黒霧を纏い、恐怖を撒き散らす。


【スキル】恐怖の嘶き

 └ アクティブ:絶叫で周囲の敵を威圧。高確率で怯み・士気崩壊を引き起こす。


【スキル】死者の疾駆

 └ ユニーク:不死でありながら生前以上の速度を保持。通常のグールが受ける「鈍重」のペナルティを無視する。


────────


「……首無し騎士馬デュラハン・ホース


 俺は幻視を振りほどき、息を整えた。

 眼前の存在は、もはやただの軍馬ではない。

 死を超え、恐怖を撒く死戦馬。


 黒い霧に覆われた巨躯は、見る者の魂を凍らせる。

 兵であれ騎士であれ、この姿を見れば怯まずにはいられまい。


 俺は血に濡れた手を伸ばし、その背を撫でた。

 温もりはなく、ただ冷たく硬い気配が返る。

 だが確かに――俺の命令を待っている。


「よくぞ戻った。共に戦場を駆けようぞ」


 首のない軍馬は、ただ低く、ぞっとする咆哮で応じた。周囲の闇がそれに応じるように震え、月光すら陰りを帯びていた。


 俺は剣を収め、冷たく吐き出す。

「……街の防衛機能は停止した。シャドリク、部隊と死体を中央広間に集めろ」


 闇の中から、即座に低い声が返る。

「承知」


 暗殺者は影のように消え、命令を果たすために闇へと溶けていく。


「ッ!!!」


 ――禁忌を犯し者よ。

 ――余の元へ、来い。


 そのとき右目の奥がズキリと疼いた。

 黒い靄――死を映す幻視が、消えずに視界に張り付いている。

 まるで俺の内に、黄泉そのものが根を下ろしたかのように。                           

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