第17話 出立
砦の門前。朝霧が立ち込め、冷たい空気が石壁に反射する。馬の鼻息が白く立ち、蹄の音が石畳を低く震わせる。
オークたちは二つの隊に分かれていた。
族長である俺――バルドが率いるのは、カズロス男爵領を襲撃するために編成されたオルク=ガル戦士団。戦火を潜り抜けた彼らの眼は、疲弊の影を宿しつつも、鋭さと闘志を曇らせることはない。
砦を守り抜いたという事実が、その立ち姿をより逞しく見せていた。
一方で、先代族長テポンが率いるのは女子供と傷を負った戦士たち。砦を放棄した彼らが向かうのは、人の目を避けた奥地の隠れ里。
「バルド、しばしの別れじゃ」
白い髭を風に揺らし、テポンはゆるやかに近づいてきた。その瞳は衰えてなお鋭く、長き戦を生き抜いてきた者の威を失ってはいない。
俺は馬上から降り、差し出された手を力強く握り返した。骨ばった掌からは、熱が伝わってくる。
「前族長、彼らの隠れ里への護送を頼む」
「後ろは任せておきなさい。カズロス男爵領、それにマグ=ホルドまでの道は険しい。じゃが――お主らに戦士の加護があらんことを」
その言葉は、祈りであり、託す願いでもあった。背後では子供が不安げにこちらを見送り、傷兵たちが仲間に支えられながら門を出ようとしている。彼らが再び自由を掴むためにも、俺達は戦い続けなければならない。
俺は彼らの視線を受け止め、深く頷いた。
「ああ、戦士の名に恥じぬ戦いを約束しよう。次に会うときは故郷の奪還を報告する」
テポンの顔に、わずかに笑みが浮かぶ。
「ほっほっほ!ああ、それまでは長生きしようかのぉ」
短いが戦士の別れは済んだ。前族長なら後方を安心して任せることが出来るだろう。俺達はただ前だけを見ていればいい。
俺は馬に飛び乗り、剣を抜きざまに掲げる。
「出発だ!オルク=ガルの戦士達!王国北西――カズロス男爵領へ急行する!」
やがて角笛が空を裂いた。
二つの隊は別々の道を歩み出す。
霧に包まれた石畳を、戦士たちの重い足音と馬蹄が刻む。
振り返れば、テポンの隊は森の奥へと消え、俺の隊は赤い陽の昇る西――人族の領域へ。
それぞれの背に同じ未来を背負いながら、砦の門を後にした。
♦
行軍する戦士たちは、まるで寄せ集めの影絵だった。
馬上にある者、徒歩で剣や槍を担ぐ者。
砦に転がっていた人間の鎧を無理やり体に合わせた者もいれば、肩当てだけが妙に立派なやつ、鎖帷子の隙間から傷痕が覗くやつもいる。
新品と呼べる武具は一つとしてない。
だが、その不揃いこそが強さの証だった。
粗野であれど、彼らは勝利を掴み、砦を守り抜いた猛者たちだ。
獣道のような細い道を縫うように、戦士たちは一列をなして行軍していく。斧を担ぐ者が枝葉を払えば、後ろからは短弓を背負った若い戦士がそれを避ける。彼らは戦場を目指し黙々と進む。
その最中、馬の歩調を合わせるように、一頭が俺の横へと並んできた。
騎乗していたのは片目の戦士、グル。頬を刻む古傷と、無事な片目に宿る炎は、幾度も死地を越えてきた証だ。
「バルド――」
低く、くぐもった声でグルは口を開いた。
「なぜ、カズロス男爵領を狙う? 王国の辺境には他にも村や砦がある。だが、あそこは人族の領主が直に治める地。王国軍が察知すれば反撃も早い。……俺には、わざわざ危険に飛び込むように思えてならねぇ」
グルの声は疑念であると同時に、戦士としての直感からくる警鐘だった。彼の言葉に、後ろを行軍する戦士たちがわずかに耳を傾けた。湿った葉が頭上から落ち、馬の首筋に張りつく。
俺は剣の柄に手を置いたまま、森の奥を見据える。
「……黄泉再演の写しにそれほどの価値があるということだ」
――黄泉再演。始まりのリッチが書き記したとされる死霊術の禁呪書。原典は闇に消え、いま残るのはわずかな写しだけ。
《TALISMAN~ タリスマン~》では、闇に落ちた魔術師がその力を求めて各地に散らばる写しを奪取していた。カズロス男爵領に存在するのもその一つである。
マグ=ホルドまでの距離を考えれば、狙うべきはここしかない。
だが問題がひとつある。
――ゲームには、亜人種のネクロマンサーが存在しなかった。
死霊術を扱えたのは、人間とエルフだけ。高度な知識を備えた種族でなければ不可能とされていた。
なら俺はどうだ?
オークの身体に、人としての知識を抱えた異物。
弔いの儀を応用できたように、死霊術を習得できる可能性は、ゼロではない。
死者を操る禁呪。人族が震えあがるその力を、オークが手に入れればどうなるか……
俺は行軍する戦士たちを見渡し、低く、だが確信を込めて言葉を放った。
「これまでの戦は、血を流した数で決まってきた。多く殺し、多く殺され、最後に立っていた者が勝者となる。それが戦の本質だった」
蹄の音が石を叩き、乾いたリズムが広がる。
戦士たちは口を閉ざし、族長の声に耳を澄ませている。
「だが――俺が黄泉再演を手にすれば、その本質は変わる。死んだ者がそのまま兵として蘇るなら、人族の数の優位は意味を失う。死を恐れて逃げ惑う兵は、もはや戦場に立てなくなる」
後方からざわめきが起こる。
不安と期待が混ざり合った低い声。
俺はさらに言葉を強めた。
「戦争は、もはや血と食糧の消耗ではなくなる!
死者を支配した者が、戦場を支配する。
そしてそれを成せるのは――俺たちオークだ!」
一瞬の沈黙ののち、鬨の声が爆ぜた。
不揃いな鎧が打ち鳴らされ、斧や槍が空を突き破る。
森にこだまするその響きは、霧を震わせ、鳥を散らし、
新たな戦の時代の到来を告げる咆哮となった。
人を喰らい、人としての知を失わぬ化け物。
その手に禁忌の頁が渡ったとき、戦場はもはや単純な殺し合いではなくなる。
地獄が歩き出すのだ。
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