第二章 盤上喰らい

第16話 幹部会合

砦の奥、石壁に囲まれた古い会議室。かつて人間が使っていた長卓の上には、割れた木片や欠けた剣、使えなくなった矢筒が散乱している。冷たい石の床に足を付けると、その硬さが骨まで伝わり、微かに音が響いた。


卓を囲む六人。

新たに族長となった俺、バルド。

隣には、隠居したとはいえ古株の威圧感を残す先代族長テポン。

さらに、ソルジャー隊長ザルグ、アーチャー頭目テルン、アサシンまとめ役シャドリク。

そして片目に布を巻いた戦士グル。


顔ぶれは揃った。ここにいるのは、砦を支える骨子そのものだ。


俺は腕を組み、全員の目をゆっくり見渡す。敵は待ってくれない。判断は今、この場で下すべきだ――胸の奥で鼓動が高鳴り、喉が渇く。


「砦を放棄し、部隊をマグ=ホルドに向け進軍する」


言い切った瞬間、空気が固まった。湿った木片の軋む音が、緊張を増幅するかのように響く。全員の視線が、一斉に俺を射た。


最初に反応したのは先代族長だ。

「……ほう、マグ=ホルドか。随分と思い切った決断じゃのう」

口角を僅かに上げ、楽しげとも試すようとも取れる声音。


大剣を背負ったザルグが机を叩き、声を荒げた。

「馬鹿な! せっかく守り抜いた砦を捨てるだと!? 俺たちの血は何だった!」


黒い装束のシャドリクは沈黙のまま、鋭い瞳で俺を見据える。内心で計算しているのだろう――砦防衛かマグ=ホルド参入か。だが口には出さず、あえて無言を貫き、俺の決断を測っている。


弓を弄るテルンは口元を吊り上げ、鼻で笑った。

「おもしれぇな……大将軍のお膝元かい」

陽気な声の奥に、危うい棘が潜む。


グルは腕を組み、低く鼻を鳴らす。

「……戦争の最前線じゃねぇか。理由を聞かせてくれねぇか」


血の匂いよりも濃い緊張が、広間を支配する。


俺は散乱する瓦礫や割れた窓を見渡し、静かに息を吐く。

「見ての通りだ。東西の塔を使いつぶした今、この砦に第二、第三の防衛戦を行う余力はない」


再びザルグが机を叩き、怒声を上げた。

「冬まで防衛すれば王国の兵は引くだろう? ならば守り続けるべきではないのか!」


俺は首を振る。感情ではなく理を映す瞳で言葉を選ぶ。

「敗北を許さぬ王国は、確実に倍の兵を用意してくる。冬季用の油の備蓄も、火計で使い潰したことを忘れたか」


テルンは肩をすくめ、含み笑いを漏らす。

「あちゃ~、それはまずいね。どうやら族長の考えの方が利がありそうだ」


シャドリクは腕を組んだままザルグを制し、グルは眉をひそめ低く唸る。

「理解は出来る。だが、なぜマグ=ホルドなんだ? 他に部隊を養える場所はねぇのか」


俺は目を閉じ、記憶を辿る。水上要塞マグ=ホルド――オーク最大の防衛拠点。王亡き後、大将軍が指揮を執り、人間の軍勢を阻み続けた場所だ。


だが知っている。あと半月もせず、陥落する。


ゲームで繰り返し見た道筋、スログの動きを思い出す。レーウェンの砦で三度の防衛戦を経験した彼は、このマグ=ホルドに撤退する。しかし既に陥落しており、辛くも同盟の亜人種に救われる――ストーリー上の出来事だ。


大将軍もマグ=ホルドも、設定上のみ存在する。言わば未知の領域だ。


だが、俺なら、今の俺達なら間に合う。


マグ=ホルドの防衛が成功すれば、オーク達の未来は根本から変わる。ストーリーでは他の亜人種と同格であったオークが、亜人の盟主として君臨する世界が現実となる。


オークに宿った我が身。ならばオーク全体のために動くべきだ。これは言い逃れできない程の歴史改変。だが、族長として彼らを導くのが俺の生きる意味だ。汚泥を啜ろうともやる。


「マグ=ホルドの陥落はオーク種族全体の敗北を意味する。大要塞が抜かれれば、その後は蹂躙が始まる。我らの故郷と同じ道を辿ることになる」


ザルグは唇を噛み、拳を握りしめる。

シャドリクは沈黙を守り、鋭い視線を投げる。

テルンは鼻で笑い、グルは眉間に皺を寄せる。

テポンは椅子にもたれ、微笑を浮かべながら俺を見つめる。


「未来を、俺達は現実に変えられる」俺は続けた。

「もし俺達が動けば、マグ=ホルドの防衛は成功する」


グルが小さく吐息を漏らす。

「……だが、最前線だぞ。失敗すれば、全員が死ぬ」


「死ぬ可能性は常にある」俺は肩をすくめる。「だが、何もしなければ全員が死ぬ。故郷への道は閉ざされ、オークの未来は消える。では問う。俺達のマグ=ホルド参戦の壁となるものは何だ?」


「……兵数だ。向こうは万単位の軍勢のぶつかり合い。他の亜人種に協力を求められればいいが、知り合いはほとんどいねぇな」


兵数。その通りだ。俺達の名声はまだ低く、他種族やオーク連合の協力を得るには力不足だ。


「武器の質だ。防衛戦で戦利品は得たが、全員に行き渡るにはまだ足りない」


正しい。良装備の有無は戦況すら変えかねない。


「部隊の質も重要だね。全員が騎馬に乗れれば少数でも侮れぬ脅威になるでしょ。現状は数十頭しかいないけど」


それも正解。騎兵なら部隊運営次第で、指揮官の喉笛を噛み千切ることも可能だ。


三者三葉の答えを受け、俺は獰猛に口角を上げた。


「オルク=ガルの筆頭戦士ともあろう者たちが揃いも揃って“欲”がないな」


「“欲”?……族長、具体的な計画はあるのか?」


「ああ」俺は頷く。「兵数、武器、部隊の質――俺なら一度に全て手に入れる!」


誰もが息を呑み、言葉を失う。


「あるわけねぇ!そんな方法なんて!」ザルグの怒声には、葛藤が混じる。


「――だ」


全員が凍り付く。


「な……なんだと!?」


驚き、疑念、恐怖――様々な感情が一気に迸る。


俺は全員の瞳を見渡す。動揺も迷いも、計算も、すべて手に取るように見える。


「砦の報復も兼ねて、人族の領域にあるカズロス男爵領を襲撃する。死者を操る呪術書『黄泉再宴』の写しを奪い取る」


言葉の一つ一つが、室内の空気に重く落ちる。倫理の壁を打ち破る決断。人喰いに次いで、俺は二つ目の禁忌ネクロマンシーに手を伸ばした。

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