第12話 邂逅

 俺は後方で左目を押さえ、【鷹の目】を維持しながら戦場を俯瞰していた。

 頭蓋の内側を誰かに掻き回されているような痛みが走るが、手は緩めない。


 ――北門の見張り台に二人。酔ってはいるが、槍を持ってる。

 ――南側から騎兵が一隊。気づかれると面倒だ。


「アサシン、見張りの二人を始末しろ」


 合図とともに、闇に溶けていたオーク・アサシンたちが静かに動き出す。

 獲物を狩る獣のように背を低くし、湿った草を踏みしめる足音は風の囁きにすら紛れる。

 敵の見張りがあくびを噛み殺した瞬間、影が背後に立った。

 短剣が喉を裂き、刃に塗られた毒が瞬く間に血流へ回る。兵士は悲鳴を上げる暇もなく痙攣し、膝から崩れ落ちた。

 その死体を物陰に引きずり込み、アサシンは無言でバルドへサインを送る。


 全員が北の物資集積エリアを目指し、月光を浴びて光る柵へと駆ける。

 柵を越える音が夜気を裂いたが、見張り台は沈黙を保ったまま。

 奇襲は続行だ。


「火炎瓶の準備!」


 オーク・アーチャーが腰袋から瓶を掴み出す。

 瓶首に巻いた布を火で灯すと、不気味な炎が揺れ、牙を赤く照らした。


 アーチャー達は瓶をただ振りかぶるのではなく、まるで矢を放つように狙いを定める。

 足幅を広げ、腰を沈め、肩から指先にかけて無駄のない動作で弾道を計算。

 呼吸を整え、風の流れを読む――。


 一斉に放たれた瓶が夜空に弧描き、物資の山へ落ちる。


 ――破裂。


 油が弾け、炎が木箱と布袋を舐めるように広がった。

 瞬く間に物資集積所は赤々と燃え上がり、煙が黒い空へと伸びていく。


「倉庫が燃えている!」

「敵襲!団長に知らせろ!」


 悲鳴と怒声が交錯する。敵兵が慌てて武器を掴むが、その統制は稚拙だった。


 その時だった。燃え盛る炎の中から、影がゆらりと揺れた。炎を背にして屈強な悪鬼たちが姿を現す。


 焼け焦げた木箱を踏み潰し、煙を切り裂きながら歩み出る彼らの肩には、人間の騎士が扱うはずの両手剣が、まるで木の枝のように軽々と担がれていた。


「オイオイ!こんなに小さかったか?人間?」

「ようやくまともな殺し合いができる!」


 オーク・ソルジャーだ。火柱を背にした巨躯は力を漲らせ、肌を伝う汗と血は炎に照らされて赤黒く輝く。

 牙を剥いて笑うその姿は、人の兵士からすれば悪夢そのもの。

 ただ立っているだけで、戦場の空気が圧し潰されるような威圧感があった。


「……お、オークなのかッ!?」

「なんだあの巨体は!?」

「怯むな!相手はただのオークだ!」


 炎の中から歩み出た巨躯のオーク・ソルジャーは、大剣を肩から滑らせるように下ろした。

 その仕草には乱暴さも粗野さもなく、熟練の剣士が呼吸を合わせるような自然さがあった。


「クソ!陣形を組んで攻めろ!」


 混乱から立ち直った数名の騎士が突きかかる。鋼の刃が閃き、火花を散らす。

 だが次の瞬間、オークの大剣が弧を描き、驚くほど滑らかな角度で敵の剣を受け流した。


 豪力で押し切るのではない。

 僅かな手首の返しと体軸の転換――技巧そのものだった。


「な……馬鹿な……っ!」


 騎士の驚愕を嘲笑うように、オークは剛力を加えた返し刃を叩き込む。

 受け止めた剣は吹き飛ばされ、次の瞬間、厚い鋼板の鎧に刀身が生えた。


 血飛沫が炎に照らされ、赤黒い雨となって降り注ぐ。


 別の兵が後ろから槍を突き込むが、オーク・ソルジャーは一歩も振り返らない。

 剣を背後に流すだけで、刃は正確に槍を弾き飛ばし、振り返った刹那には逆袈裟で兵士の首を斬り落としていた。


 その動きは荒々しい巨獣の暴力でありながら、どこか人間の剣士のそれに似ていた。

 だが、その一撃ごとの重みは人間の比ではなく、受け止めた瞬間に命が砕ける。


「な、なんだ……あれは……」

「オークの……剣術だと……?」


 恐怖に震える兵たちをよそに、ソルジャー達は血に濡れた大剣を軽く払う。

 その巨躯に漂うのは、ただの怪物ではなく、剛力と技巧を併せ持つ戦場の殺戮者の風格だった。


「次はどいつだ?」


 バルドは炎に照らされた戦場を見渡し、静かに息を吐く。

 初動は完璧に決まった――そう確信できる光景だった。




 ──人間側・第二騎士団長 ロダン視点──


 鎧の擦れる音、乱れた呼吸、鉄靴が大地を叩く轟き。

 騎士団長ロダンは、騎士団の先頭に立ち伝令からの情報を元に集積地へと駆けた。

 その胸にあったのは、間に合うはずだという確信――だが、それは無残に打ち砕かれる。


 目に飛び込んできた光景に、思わず息が止まった。


 物資集積所は、もはや地獄だった。

 赤々と燃え盛る炎が、闇夜を昼のように照らし出す。

 爆ぜる木材、油に焼かれる匂い、焦げた布袋から立ち昇る黒煙。

 そこに横たわるのは、仲間の死体だった。

 炭のように焼け爛れた兵。目を見開いたまま血を吐いて倒れる者。首を斬られ、なお剣を握りしめたままの者。


「……な、何が……起こっているというのだ……!襲撃の知らせから数分も経っていないんだぞ!」


 ロダンは思わず呻き、足を止めた。


 絶望的な光景の中、炎の壁の向こうに影が揺れる。

 黒煙を背に浮かび上がる巨躯――オークたちだった。

 しかもそれは、ただの獣の群れではない。

 統制された動き。整然とした撤退。

 そして何より、その姿。


 人間の大剣を軽々と肩に担ぐ、筋骨隆々たる巨体。

 まるで戦場を支配するかのように進む。

 その圧力に、歴戦の兵でさえ思わず後ずさった。


「馬鹿な……オークが、ここまで……!」


 ロダンの目が、その群れの中の“異質”を捕らえる。

 黒い皮膚。

 夜よりも濃い闇に塗りつぶされた巨体。

 そして、炎に照らされて黄金に煌めく瞳。


 ――そいつが、こちらを見ていた。


 全てを射抜くような視線。

 言葉なき威圧。

 その目に晒された瞬間、ロダンの背筋に氷の針が突き立った。理屈ではない。戦場を幾度も潜り抜けてきた騎士の直感が告げている。


 ――あれだ。

 あれが、今回のレーウェンの古砦を導いた首魁。

 本来団結しないはずのオークを束ね、陣頭で采配を振るってきた指揮官。


 ただの獣、そんな気配はない。

 あの静けさ、あの揺るぎなき視線。

 狂乱の戦場にあってなお動じぬその姿は、まるで人間の将軍のようだった。

 

 ロダンは目を見開き、炎に揺らめくその影を凝視した。

 次の瞬間、黒煙が視界を覆い、オークたちは闇に溶けるように姿を消した。


 燃え盛る炎と無数の死体だけが残された戦場は、まさに地獄。

 ロダンは震える拳を握りしめ、呟いた。


「…………4体目の……」


歴史は確実に動き始めた。

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