第11話 魔眼

──オーク側・バルド視点──


胃の奥が急に裏返り、喉を熱いものが駆け上がった。

次の瞬間、俺は地面に膝をつき、泥の上に盛大に吐き出した。

酸っぱくて鉄臭い液体が舌をかすめ、まだ形を保った肉片が混じって流れ落ちる。


鼻腔に、先ほど噛み千切った脂と血の匂いが再び広がる。

喉が痙攣し、胃が第二波を押し上げてくる。咳き込むたび、胃液が喉を焼き、目尻に涙が滲む。


……ああクソ。


これが力を得る代償だと、わかっていたはずだ。


部隊から少し離れた夜の森で、膝をつき肩で息をする。背中を伝う汗が冷え、皮膚を刺すように寒い。

背後では仲間のオークたちが突入に向け武器を磨き、さっきの肉宴を笑って話している。彼らだけには、この惨めな姿を絶対に見られたくなかった。


人間を喰った理由は飢えでも衝動でもない。

元々、この世界のオークには「弔いの儀」という風習があった。戦死した同胞の肉を喰らい、その魂と力を自らに宿す――と彼らは信じていた。


だが俺は、それが単なる信仰ではないと知っていた。

ゲームの中での知識、それとスログを喰らったことによる経験から導き出された結論だ。優れた戦士を喰らえば、通常の戦闘よりもはるかに多くの経験値を得られる。

ならば種族を問わず、同じ理屈が通じるはずだ――そう考えた。


結果は、正しかった。


人間の肉を口にした俺たちは、確かに進化した。

身体が軽くなり、筋肉が強く、視界が広く、世界そのものが鮮やかに見える。

倫理を捨てれば、力は手に入る。俺はそれを証明してしまった。世界のに触れたのだ。


だが……。


もう人間だった頃の俺は、この体のどこにも残っていない。

厚く変形した手はペンよりも骨を砕くのに向き、牙は笑うためではなく噛み千切るためにある。

罪悪感はある。恐怖もだ。だがそれ以上に、この力を手放す気はなかった。この世界で力無き者が生きていくには、あまりにも過酷だった。


吐瀉物を靴で踏み潰し、泥まみれの手で顔を拭う。何食わぬ顔で部隊に戻った俺は、指揮官の仮面を張り付けた。


「間もなく丘だ。念のため“アレ”を使う」


俺は短く告げる。屈強なオークたちが唸る声を上げ、武器を握り直した。

風向きが変わり、獲物の匂いが濃くなる。

もう後戻りはできない。先刻、自らに覚悟を説いた通りだ。ならばバケモノとして、この戦場を駆け抜けるだけだ。


俺は左目を抑え、意識を一点に集中させた。

新たに得た力を呼び覚ます。


【スキル発動:鷹の目】


瞬間、視界が一変した。

俺の目は遥か上空から地上を見下ろす。レーウェン丘全域が航空写真のように俯瞰される。

敵陣の布陣、兵力の配置、物資倉庫の位置まで一目で把握できた。


これがスキル【鷹の目】。疑似的な魔眼を上空に展開し、神経と接続する異能。


ゲームでは当たり前だった、戦場を丸ごと俯瞰するプレイヤーの目線。だが現実の体にかかる負荷はその比ではない。

頭が重く、目の奥が焼けるように痛む。血管が浮き出る左目を手で覆い、スキルを維持する。


――これが、オーク・ストラテジストとして進化した力。

ゲームには登場せず、俺だけが手に入れた“神の視点”。


しばらく敵陣を俯瞰していると、驚くべき光景が飛び込んできた。

主力部隊が、既に陣地へ帰還している。

砦を包囲する兵力を必要最低限に絞り、撤退速度を最大限に高めたのだろう。

帰還前に物資を破壊しようと考えていたが、敵の指揮官は予想以上に慎重かつ確実な判断で動いている。


だが、東塔での火計は間違いではなかった。

敵は失った士気を取り戻すため、物資や陣地を守りつつも酒を振る舞い、兵士たちの気持ちをほぐしていた。


――予想外だ。だが悪い展開ではない。


作戦の成否は、主力の不意打ちを狙うかどうかにかかっていたが、敵が油断して酒に酔っている今こそ、決行の好機だ。

俺だけが持つこの“鷹の目”でリアルタイムで状況を掌握できる。進化したオーク部隊なら、やってくれるはずだ。


深く息を吐き、俺は左目を押さえたまま、部隊に指示を送る。


「敵陣の物資を優先的に破壊する。北の荷馬車6台と貯蔵庫だ。主力の注意は酒に向いている。今が好機だ」


俯瞰された戦場が手に取るように分かる。その代償として、疲労と痛みが脳裏を打つ。それでも神の視点を手放すわけにはいかない。

敵の動きを一秒でも捉え続ける。それが今の俺に出来ることだ。この状態は無防備だが、問題ない。俺には仲間がいる。


「グル、お前は現場指揮を頼む。手筈通りな」


「任せろ」灰色の戦士が頷く


撤退を視野に入れつつ、相手に察知される前に兵糧を焼き払う。

ゲームでは当たり前の知識だが、現実の肉体で実行する難易度は桁違いだ。


――しかし、それを可能にする手段は揃っている。


「アサシンは見張りを始末しろ! アーチャーは投擲の準備! ソルジャーはアーチャーを守れ!」


「「応ッ!」」


左目を押さえたまま、俺は指示を送る。

もう後戻りはできない。人を喰ったバケモノとして、オーク達の指揮官として、俺は冷酷に戦場を掌握する。



勝利は――もう視えた

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る