第5話 開門

──人間側・第二騎士団長 ロダン視点──


陽はすでに高く、戦場に影はほとんどなかった。

風が熱を孕み、崩れた西塔の粉塵が未だ地表に漂っている。裂けた大地と石塊の向こうで、火矢の炎が物資を焼き続けていた。これはもう、ただの虐殺ではない。紛れもない――戦争だった。


騎士団長ロダンは、汚れた外套の裾を払いながら、戦列後方から駆けてきた伝令を振り返る。兵は半ば声を失い、顔色を失っていた。


「……何だと?」


答えは震えていた。


「熟練魔術師エデン様が……砦内から飛来した巨大な矢により、左脇を抉られる重傷。術者の被害多数。部隊は混乱し、すでに詠唱不能です……!」


重苦しい沈黙が流れた。

ロダンの右手が、無意識に鞍の縁を握る。木が軋む。


彼は戦況を再確認するように前を見渡した。

西側では塔の崩落により数百騎が圧死したが、かろうじてロダンの直率する騎士たちだけは戦列を維持している。だが、それすらも時間の問題だ。


(……全軍が、重い。槍を掲げる速度が落ちている。もう、彼らも気づいているのだ)


王直轄の精鋭である魔術師団が、一方的に狙撃された。狙い澄まされた火矢。動線を分断する崩落。この混乱は偶然ではない。

敵は、戦いの流れを読んでいる。軍の配置と脆さを、まるで――。


「……“戦略家”がいるな」


ロダンは低く呟いた。

砦の中の敵は、ただの獣ではない。帝国の将軍にも比すべき狡猾さを持つ、指導者がいる。これはもはや確信だった。


「騎士団長、命令を……」


副官のフレイが隣で問う。ロダンは短く命じた。


「魔術師団の残存兵は……後方へ。急ぎ治療を施し、戦線から外せ」


「はっ」


もう、使えぬ。使えば、死ぬ。これ以上の損耗は王の逆鱗に触れるだろう。これが最善だった。


ロダンは視線を東に移す。廃砦の外壁。その中でも、今なお沈黙を守り続けている東塔が、気になって仕方がなかった。


火もない。兵も見えない。

不自然すぎるほど、何もない。


「奴らがこのままで終わるとは思えん……西塔のように崩落の危険性がある。全軍は、中央・東砦から距離を取りつつ警戒を怠るな!」


 その時だった。戦場の空気が変わった。


 砦の東端、静かにそびえていた塔の門が、ついに音を立てて動き出した。

 石の重さを噛むように、左右へとゆっくりと。ごく自然な、だが意図を持ったような動きだった。


「……門が、開いた……?」


 呟いたロダンの前に、第二伝令が駆け寄ってくる。

 砂埃にまみれた顔に、明らかな動揺が浮かんでいた。


「東塔、開門しました!敵影は見当たりません!内部の様子は不明ですが、伏兵の可能性高し、との報告です!」


 フレイが思わず歯噛みする。「罠です」――そう言いたげな表情だ。だが、ロダンは静かに口を開いた。


「分かっている。罠だ。崩落か、突撃か、伏兵か。いずれにせよ、こちらの反応を見て誘っている」


 そこには明確な意志があった。

 偶然ではない。動揺でもない。“選んで”開いた門だった。


「だが――この好機を逃すわけにはいかん」


 ロダンは低く言った。

 西塔の崩落、火矢の列崩し、巨弩による狙撃。すべてが戦術的だった。無秩序な獣の突撃ではない。明らかに、何者かの意志が軍を動かしていた。

 その指導者は、今あの砦の中にいる。

 討ち漏らせば、王都にまで災いを及ぼす。


 この機を逃せば、次はない。騎士団の長としての勘がそう告げていた。


「……先鋭部隊を編成。近衛から三十、遊撃隊から三十、斥候二十。攻城用具を積んだ支援班を随行させろ。百騎で東塔を制圧する」


「東塔……突入、ですか?」

 フレイの声に、ロダンは短く頷いた。


「罠なのは承知の上だ。だが、あの知恵を持った指導者をここで逃がせば、いずれ我らの背を刺す。討つならば、今」


 フレイは口を結び、深く頷いた。


「了解。すぐに編成いたします!」


 命令が走る。戦場の騎士たちの中から、選抜された強者たちが馬を走らせ、武具を整え、静かに並び始める。

 百騎。生還を前提としない突入部隊。

 その背に太陽が射した。


 ロダンは、開かれた東門を睨みつけた。


 (やるなら、ここでだ。退けば国が乱れる。この傑物を生かせば、必ず陛下のの妨げとなる)


 その穴には、不気味な風が吹いていた。

 何も見えない。聞こえない。ただ、誘うように空いた門があるだけ。


 それでも、退く気はなかった。


 「──進め。敵指揮官の首を刎ねろ」


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