第12話

 デートから帰った夜。

 家に戻っても、レイナはほとんど喋らなかった。


 ご飯の支度も、シャワーの順番も、いつも通り。

 だけどその間中、彼女の顔から笑顔が消えていた。


「……レイナ」


 俺が声をかけると、彼女はゆっくりと頷いて、リビングのソファに座った。


「話さなきゃいけないことがある」


「……うん」


「悠真、信じてくれる?」


「……もちろん」


 そう答えたけど、心臓はずっと早鐘のように鳴っていた。


     ***


「南条に会ってから……ずっと考えてた」


 レイナは、ゆっくりと言葉を選ぶように話し始めた。


「実はね、あたし、今の家……戻らなきゃいけないかもしれない」


「……え?」


「親から連絡が来たの。来月から父親が仕事でこっちに戻ってくるから、“もう家に帰ってきなさい”って」


「……でも、そんなの」


「無理やりってわけじゃない。ただ、“当たり前の話”みたいに言われて……」


 レイナの目が、少しだけ伏せられた。


「わたしが逃げたこと、誰も責めてなかった。でも、あたし自身が……自分を許してなかったんだと思う」


「……」


「悠真の家にいるのが、あまりに居心地よくて、あったかくて……自分がどれだけ弱い人間なのか、思い知った」


「それのどこが“悪い”んだよ」


「悠真……」


「お前がここにいて、俺は何度助けられたかわかんない。毎日が楽しかった。辛いときも、お前がいるだけで安心できた」


「……あたしもだよ。でも、逃げたままじゃいけない気がして」


 レイナの目から、一筋の涙が流れた。


「悠真と一緒にいたい。でも……このままだと、ずっと“借りてる人生”みたいで怖いの。いつか、また全部壊れる気がして」


 その涙に、俺の胸も締めつけられる。


「じゃあ……どうしたい?」


「……わからない」


「俺は、離れたくない」


 まっすぐ、そう伝えた。


「お前がどこにいても、俺はお前の味方でいたい。家族でも、彼氏でも、なんでもいい。だから――」


 震える手で、彼女の手を握った。


「どうか、俺の前でだけは、泣いてもいい。逃げてもいい。俺のとこに、帰ってきてくれれば、それでいい」


「悠真……っ」


 レイナが泣きながら、俺にしがみついた。


「こんなあったかいの、知らなかった……」


「お前に、これから毎日あげるよ。ずっと一緒にいたい」


「わたしも……一緒にいたい……!」


 涙は止まらなかった。

 でも、それは“絶望の涙”じゃない。

 誰かに受け止められた喜びの涙だった。


     ***


 数日後。

 学校で、担任の三好先生から話があった。


「結城さん、来月から実家に戻る可能性があるって、親御さんから連絡があってね」


「……」


 現実が、再び目の前に突きつけられた。


 レイナがいなくなるかもしれない。


 だけど俺は、決めていた。


(絶対に、終わらせない)


 離れたとしても、関係は終わらせない。

 “同じ屋根の下”じゃなくても、隣にいる方法はいくらでもある。


     ***


 その夜。


 俺は、レイナに言った。


「レイナ。お前が帰るなら――俺、お前の家族に会いに行く」


「え……?」


「俺の気持ち、ちゃんと伝える。お前を、放したくないって。勝手だけど、俺は“彼氏”として、それくらいの覚悟がある」


「……悠真、そんなの……」


「もう“逃げ場”じゃなくていい。“選んだ場所”にしよう。俺の家も、俺自身も」


 レイナは、しばらく何も言わなかった。


 けれどやがて、目に涙を浮かべながら、強く頷いた。


「……うん。私も、もう逃げない。悠真と一緒に、“戻る場所”を決めたい」


     ***


 2人で決めた。

 この物語の、終わらせ方を。

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