第10話

 夜のリビング。

 テレビの音がBGM代わりに流れていたが、誰も見ていない。


 ソファにうずくまるレイナ。

 キッチンからは夕飯の匂いがするけど、食欲なんてとっくに失せていた。


「……レイナ」


「……うん」


「お前、俺の家に来た時さ。あの時は、逃げてきたわけじゃないって言ってたけど……」


「うん。最初は、ただの引っ越しのはずだった。でも……心のどっかで、逃げ場所探してたんだと思う」


「そっか」


 俺は隣に座って、彼女の肩にそっと自分の肩を寄せた。


「逃げたっていいじゃん。俺の家、そういうとこだし」


「なにそれ」


「お前が笑える場所なら、それでいいよ」


 レイナは俯いたまま、ぽつりと呟いた。


「……強くなったと思ってたのに。結局、過去ひとつ越えられてなかった」


「でも、今は一人じゃない」


「……悠真」


「俺がいる。レイナを守るために、ここにいる。だから――」


 言いかけて、俺は言葉を止めた。


 けれどその沈黙の中で、彼女の指先がそっと俺の手に触れた。


「……ありがと。悠真が、そう言ってくれるだけで、少しだけ安心する」


     ***


 その夜、俺は眠れなかった。


 南条の言葉が頭の中でリフレインする。


「理想のヒロインは、そんなに都合よくできてねぇから」


 ……そんなもん、わかってる。


 レイナは、ただの“理想のヤンキー女子”なんかじゃない。

 過去に傷があって、今も怖くて、でもそれでも一生懸命“笑おう”としてる人間だ。


 俺はそのすべてを好きになった。

 だからこそ、守りたい。口だけじゃなく、行動で。


(……逃げない。絶対に)


     ***


 翌日、放課後。

 俺は南条を待ち伏せしていた。


 校門の前。いつもより人通りが少ない、夕方の時間帯。


「おー、お前から来るとは」


「話がある」


「言っとくけど、俺、もう手出してねーよ? あの子に手ぇあげたりするつもりはない」


「そんなことじゃない」


 言葉が出るより先に、拳を握っていた。


「俺は……レイナの隣にいたい。過去がどうとか、誰のものだったとか関係ない。今、あいつと一緒にいるのは、俺だ」


「……へぇ」


「だから、過去のことで、これ以上レイナを縛るな」


「……口だけは立派だな。じゃあお前、“あいつの全部”受け止める覚悟あんのかよ?」


「あるよ」


 即答だった。


 南条が、目を細めて俺を睨んだ。


 でも、怖くなかった。

 俺の中には、それ以上に大切な想いがあったから。


「わかったよ。……どうやら、お前、マジみたいだな」


「……」


「安心した。あいつ、ずっと誰にも心開けなかったから。お前みたいな奴が隣にいてくれるなら、ちょっとだけ――負けた気分だけど、認めてやるよ」


 南条はポケットに手を突っ込んで、背を向けた。


「……けどもし、裏切ったら殺すからな」


「その時は、殴られて当然だと思ってる」


 俺の言葉に、南条はくっと笑って、校門を去っていった。


 夕日が差し込む道。

 その影の向こうに、何かがようやく終わった気がした。


     ***


 帰宅すると、リビングでレイナが待っていた。


「悠真……」


「話、してきた」


「……怖くなかった?」


「うん。大丈夫だった。むしろ、俺があいつに言いたかっただけ」


「……そっか」


 レイナは立ち上がって、俺に近づく。


「ありがと。本当に、ありがと……」


 そう言って、彼女は俺の胸に顔をうずめた。


 ぎゅっと、俺の制服を握りしめて。


「もう、逃げたくない。あたし、悠真の隣でちゃんと立ちたい」


「じゃあ、支えるよ。ずっと」


 その言葉に、彼女は黙って頷いた。


 鼓動が静かに、二人分重なっていく。


     ***


 その夜、レイナが俺の部屋の前で立ち止まった。


「ねえ」


「ん?」


「……今度さ、2人でどっか行かない?」


「え?」


「制服じゃなくて、私服で。学校じゃない場所で。……“恋人”っぽいこと、してみたい」


 その言葉に、俺は顔を赤らめながら――静かに頷いた。


「じゃあ、今度の休みに。俺が計画する」


「……うん。楽しみにしてる」


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