第9話

 秋晴れの朝。

 カーテンを開けると、金色の光が差し込んでいた。


 そしてその日、俺たちは――


「い、行くぞ……?」


「うんっ」


 玄関を出て、並んで歩き始めた。


 レイナと一緒に、学校へ向かう道を。


 家では何度も顔を合わせているのに、こうして制服姿で並んで歩くのは、なんだか新鮮で照れくさい。


 でも、それ以上に胸に広がるのは――


 誇らしさだった。


「……ドキドキしてきた」


 レイナが小さく呟く。


「俺も。……大丈夫か?」


「悠真が隣にいるから、大丈夫」


 彼女はそう言って、ほんの少しだけ俺の袖を引いた。


     ***


 校門の前。

 2人並んで歩いてくる俺たちを見て、生徒たちの視線が一気に集中する。


「あれ、相沢と結城……」


「一緒に登校してきた?」


「付き合ってるの、やっぱ本当だったんだ……!」


 ざわめきが一気に広がっていく。


 でもレイナは、まっすぐ前を向いて歩いた。


 堂々と、胸を張って。


 その背中が、少しだけ震えているのを、俺は気づいていた。

 だけど、それを誰にも気づかせたくなかった。


 だから俺は――彼女の隣に立って、同じ速さで歩いた。


(いいんだ。もう隠さなくても)


 そう思えるほど、俺たちはお互いの存在を受け入れていた。


     ***


 午前の授業が終わった昼休み。

 教室の空気はややざわついていたが、特に誰かがからかってくるわけでもなかった。


「レイナ、チョコパンでよかった?」


「うん、ありがと。てか、あたしの好みよく覚えてたね」


「前に食ってたの見た」


「さりげなく観察してんの草。きもい」


「今のは照れてる言い方だよな?」


「そうだけど?」


 周囲が苦笑混じりに見ていた。

 けれど、誰も割って入ってこない。変な詮索も、冷やかしもない。


 (……なんか、意外と自然だな)


 そう思っていた、そのときだった。


 ガラッと教室のドアが開く音がした。


「よぉ。久しぶりだな、レイナ」


 空気が一瞬で凍りついた。


 その声に反応して、レイナの手がピクリと震える。


「……なにしてんの、アンタ」


「挨拶だよ、旧友に」


 立っていたのは、一人の男子生徒――

 鋭い目つきに無精ひげ、制服を着崩した高身長の男。

 校外の不良グループで有名な、“南条ハルキ”。


「な、なんでお前がこの学校に……?」


「お前と同じだよ。転校」


 平然と答えるその声が、妙に冷たかった。


「心配でさ。俺の“元カノ”が、こんなに丸くなっちまったって聞いてさ」


「っ……!」


 教室がざわつく。


 “元カノ”。

 その言葉が、教室中に刺さるように広がった。


 そして、レイナの顔からすっと色が引いていく。


「レイナ……?」


 俺が呼びかけると、彼女は小さく、かぶりを振った。


「大丈夫、悠真。ごめん、ちょっと……外の空気、吸ってくる」


 そう言って、教室を出ていった。


 その背中は、いつになく小さく見えた。


     ***


「――なんなんだ、あいつ」


 俺は気づけば、南条の前に立っていた。


「お前、レイナに何しに来たんだよ」


「ん? 別に。ちょっと昔話でもしようと思ってさ」


「ふざけんな。もう関係ないだろ」


 南条は一瞬、目を細めたあと、ニヤリと笑った。


「……へえ。マジなんだ、お前ら」


「……」


「じゃあ、忠告しとくよ。レイナはな――あんまり誰かに期待すると、勝手に傷つくタイプなんだよ」


 その言葉が、なぜか引っかかった。


「さよなら、相沢くん。お前の“理想のヒロイン”は、そんなに都合よくできてねぇから」


 そう言い捨てて、南条は教室を去っていった。


 俺の中に、重たい不安だけを残して。


     ***


 夕方。

 家に戻っても、レイナはあまり喋らなかった。


 ご飯を作る手もどこかぎこちなく、笑顔もどこか薄かった。


「レイナ……南条って、元カレなんだよな」


「……うん」


「アイツ、何しに来たんだ?」


「たぶん……あたしのこと、まだ“自分のもの”って思ってるんだと思う」


「は?」


「昔、付き合ってたって言っても……それ、ほとんど強引だったから」


 レイナの目が、少しだけ伏せられる。


「優しかった時もあったけど、束縛も強くて、手を出されたことも……あった」


「……!」


「逃げたんだ、あたし。一度全部捨てて、ここに来た。でも、忘れたふりしてただけなんだね。……自分でも、情けない」


「レイナ……」


 彼女は、ゆっくりと自分の肩を抱くようにして座った。


「もう、“怖くない自分”でいられると思ったんだけどな……」


 俺はその姿を、ただ見つめることしかできなかった。


 どうしてもっと、強く守ってやれなかったんだろう。

 俺は、ただの“味方”じゃ、足りない。


 ――この気持ちは、守りたいだけじゃない。


 もっと、深くて、熱くて、痛いほどに――恋だった。


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