第4話

 翌日、昼休み。

 食堂ではなく、学校の裏庭のベンチで、俺は一人の女子と向かい合っていた。


「ねえ、悠真。正直に言って」


 橘ほのかが、じっと俺を見つめてくる。

 普段は明るい彼女も、今は眉を下げ、真剣な顔をしていた。


「レイナさん、本当に“たまたま”悠真の家に来たの?」


「それは、えっと……親の知り合いっていうか、家の事情で……」


「“たまたま”の割に、すごく仲良さそうだったよ?」


 言葉が刺さる。

 昨日の、レイナの甘えた声。食卓での笑顔。隠しきれなかったぬくもり。


 ……あれを、見られてたんだ。


「悠真ってさ、昔から嘘つくの苦手じゃん」


「……」


「だから、すぐわかるよ。いま、隠してるでしょ?」


 俺は、口を開こうとした。でも、言えなかった。


 “家ではレイナがデレデレです”なんて、そんなの誰に言えるか。

 しかも、それがバレたら彼女の評判も壊れる。

 俺だけの秘密――だったはずなんだ。


「……本当に、ただの居候。それ以上でも、それ以下でもないよ」


「ふーん……」


 ほのかは、しばらく何も言わなかった。

 やがて立ち上がり、制服のスカートの裾をはらったあと――静かに、言った。


「もし、困ってるなら言ってね。あたしは、悠真の味方だよ」


「……ありがとな」


 でも、心が重かった。

 その“味方”という言葉が、いまは少しだけ苦しく感じた。


     ***


 放課後。

 帰宅すると、台所からトントンという包丁の音。


「ただいま」


「おかえり! 今日はチキン南蛮だよ!」


 振り向いたレイナは、エプロン姿で、笑顔を浮かべていた。

 昨日の一件があった後でも、彼女はいつも通りだった。……むしろ、いつも以上に張り切っているように見えた。


「レイナ、無理してない?」


「え?」


「なんか、昨日のほのかの件……気にしてるんじゃないかって」


 レイナは少し驚いたように目を見開いてから、フライパンに視線を戻し、静かに答えた。


「……うん、ちょっとだけ」


「やっぱり……」


「でも、それ以上に、安心した」


「え?」


「悠真が、ちゃんと“あたしのことを隠してくれてる”って。信じてたけど、やっぱり嬉しかった」


 そう言って、レイナはまた微笑んだ。

 だけど、その笑顔はどこか――陰があった。


「……なあ、レイナ。お前って、なんでそんなに学校でガード固いの?」


「それ、聞いちゃう?」


「……ダメ?」


「ふふ。いいよ」


 レイナは、フライパンの火を止めてから、椅子に座った。


「中学のとき、いろいろあってね」


「いろいろ?」


「まあ……簡単に言うと、“裏切られた”の」


「……誰に?」


「友達、かな。女子グループってさ、たまにあるじゃん。リーダー格がいて、空気読まない子は排除されて、噂流されて、孤立させられて」


 言葉が静かに、ゆっくりと語られる。

 それは“誰にでも起こりうる話”に思えて、でも確実に彼女の心に深い傷を残していた。


「それ以来、人間関係ってめんどくさいなって思って。だったら最初から、“怖い人”でいれば、誰も近寄ってこないでしょ?」


「……」


「そうすれば、裏切られることも、ない」


 レイナはそう言って、ポツリと笑った。

 その笑みが、痛々しいほどに――優しかった。


「でもね、今は違うよ」


「え?」


「悠真がいてくれるから。あたし、ちょっとずつ人を信じられそうな気がしてきた」


「……レイナ」


 俺は思わず、彼女の手を取った。


 温かい。その体温が、何よりも本当のことを教えてくれる。


「ありがとう、悠真。……あたし、もう少しだけ頑張ってみる」


     ***


 夜。


 自分の部屋に戻って、布団に潜る。


 でも、レイナの“中学時代の話”がずっと胸に残っていた。


 あんな笑顔をしてるけど、彼女はずっと、誰にも頼れずにいたんだ。

 だからこそ、今のあの“デレ”は、ただの気まぐれなんかじゃない。


 信頼の証なんだ。


 ……だから、俺も応えなきゃいけない。

 彼女の気持ちを、絶対に、壊さないように。


     ***


 翌朝。

 リビングに行くと、レイナが俺の制服のシャツにアイロンをかけてくれていた。


「ほら、しわ伸ばしといた。これで学校でもモテるかもね?」


「ありがと。でも……俺がモテたら、どうする?」


「んー……怒る?」


 軽く笑いながら、彼女は口元に指を当てた。


 その笑顔が、なんだかもう“家族”みたいだった。


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